第1話 地球にて
1-1 嘘まみれの大地
◆
湖の上に浮かぶボートに、パラソルを設置して作った日陰が落ちている。
寝っ転がった姿勢で紙の本を読みながら、ヨシノ・カミハラは小舟の揺れを感じていた。
管理艦隊に所属していたのは、すでに一年近く前のことになる。
チャンドラセカルの任務の終了と同時に複数のレポートを提出し、さらに誓約書にもサインして、そうして軍から自由になったものの、ヨシノにはまだやるべきことが残されていた。
木星から火星を経て、地球に戻り、チャンドラセカルの乗組員の戦死者、その遺族を訪ねたのだ。
しかし管理艦隊は、まさかチャンドラセカルの任務を遺族に教えられるわけもなく、訓練中の不幸な事故で死亡した、と遺族に通知していた。
最初の一人の遺族はアメリカの都市部に住んでいて、高層の集合住宅の一室に暮らしていた。ヨシノがインターホンを押し、戦死者の友人だと嘘を告げると、ゆっくりとドアが開く。今時、珍しく自動ドアではないのだ。
ドアの隙間から顔を覗かせた女性はまだ若く、婚約者か、そうでなければ姉か妹だろうと見当がついた。
室内に入れてもらい、どういう作法が正しいのか、と迷ったが、とりあえずはヨシノの故郷である日本の流儀で、戦死した部下の写真の前で手を合わせて、目を閉じた。
「ニコラスとはどういうご友人?」
姿勢を解いたヨシノに、女性が声をかけてきた。ニコラスというのが部下だった男の名前だ。
「宇宙船に使われる技術に関して、意見交換をしました」
「え? いつのこと?」
ヨシノは二十歳になってはいたが、日本人はそもそも若く見られる。大学生どころか、高校生と思われたかも知れない。
「つい二、三年前です。管理艦隊に呼ばれて」
「あなたが? あなたはどういう立場なのかしら。学生よね?」
「僕が指導を受けている大学教授の助手として、管理艦隊に行ったのです」
嘘の上に嘘を重ねる自分が恥ずかしく、みっともない。しかしそれ以外に、自分が言えることは何もなかった。
ただ、遺影の前に来るだけなのに、嘘まみれだ。
心中でヨシノは嘆息した。
もう女性は何も言わず、じっとヨシノを見据えて、あきらめたように肩をすくめた。
「宇宙軍になんて、志願しなければいいのに」
今度はヨシノが言葉に詰まる番だった。
軍人になるということが、死というものに自ら近づいていく行為であるのは、誰でもわかる。
しかし軍人の大半は、それでも何かを守るという立場に誇りを持っているだろう。
自分を犠牲にしてでも、誰かを守る。
そう、ニコラス曹長も、この女性や、家族を守ることに誇りを持っていたはずだ。
お茶でも飲んでいく? と非常に気やすい調子で訊ねられたが、ヨシノはそれを断った。
もう一度、ニコラスの写真を見て、礼を言って部屋を出た。建物の外へ出ると、そこはいかにも都市らしく、人いきれや喧騒がすべてを包み込んでいた。攻撃的なようでもありながら、他人に無関心な、通り過ぎるだけの人また人の群れ。
それから数ヶ月をかけて、ヨシノは全部の戦死者の遺族を訪ねた。
自分が全てを秘密にすることの罪悪感が、いやがうえにも増していった。
最後の遺族を訪ね、四十代の軍曹の遺族である七十代の老夫婦が、息子の遺影の前で手を合わせるヨシノの背後で静かに泣き出した時、何もかもを台無しにする衝動が突き上げてきた。
自分は秘密任務に従事した艦の指揮官で、あなたの息子は艦長である自分の無能のせいで死んだのです。
そう言えたら、どんなに楽だろう。
目を閉じ、手を合わせたまま、ヨシノはどうにか冷静さを取り戻した。
誓約書だの何だのは関係ない。
今、自分が全てをぶちまければ、なるほど、ヨシノ自身は楽になれるだろう。そして老夫婦は、自分たちの最愛の息子の命を誰が奪ったかを知る。
それでどうなる?
きっと憎しみが芽生えるだろう。
殺し合い、潰し合い、否定し合う、そんな現実が一つ加速するだけだ。
戦死者の全ては、平和のための礎にするよりない。
例え死体の上に仁王立ちになるとしても、自分がまっすぐに立つことで、そうすることでより高いところにある理想に手を伸ばすことができるなら、死体の上でも立ってみせるしかないのだろう。
遺族を訪ねる旅が終わり、ヨシノはやっと日本へ戻ることが出来たが、後味の悪いものが心に残った。
東京で両親と久しぶりに再会し、しかし両親ともが不安そうに彼を見たことで、やっと自分の疲弊に気づくヨシノである。
「少し痩せたんじゃないの?」
「疲れているようだが、パーティは明日でもいいぞ」
そんな両親の気遣いを押し切って、ヨシノは豪華な食事の並ぶ席に着いた。
死んでしまえば、食事だの何だのとは無縁になる。
今、自分は生きていても、明日にはわからないのだから。
両親がヨシノが生まれた年のワインを持ってきて、栓を抜いた。それがグラスに注がれ、飲んでみてもヨシノには美味いとも不味いとも言えなかった。ワインの味は初めて知ったのだ。
不思議な味のぶどうジュースみたい、と言うと、両親が笑う。
それから三人で仕事の話になった。
父親は中堅の工業関係の国際企業で、研究室の一つを受け持っている。母親はやはり中堅企業で、こちらは人事を担当していた。それぞれに高給取りだけれど、仕事で話せる内容は多くはない。
それでも二人が守秘義務に触れない範囲で笑い話をするのに対し、ヨシノは何も言えないのだった。
全部が守秘義務の対象、口にしてはいけない内容なのだ。
まるで人生の丸三年が真っ黒く塗りつぶされたようなものだな、とヨシノは思った。
「宇宙はどうだった?」
それでも優しさからだろう、母親にそう訊ねられ、ワインの深すぎるほどに深い紫色の液体を見ながら、ヨシノは考えた。
宇宙……。
「面白かったかな」
思わずそう言っていて、自己嫌悪が湧いた。
宇宙に遊びに行ったわけじゃない。戦いに行ったのだ。
あそこでは敵も味方も、みんな、命がけだった。
でも……。
何かが刺激されもしたのだ。ヨシノの中にある、形を持たないもの。
あるいはそれは人の本能のようなもので、本能がささやかや自分の言葉に、静かに興奮したのかもしれない。
なぜだろう?
僕は何故か、宇宙を忘れたいと、思っていないのだ。
(続く)
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