1-3 恵まれたものと恵まれないもの
◆
チューリングに帰投命令が届けられた、とクリスティナが聞いた時、ノイマンは全くの損耗を出さずに、宇宙空間をスネーク航行で進んでいた。ミューターも機能し、誰にも見えない形でである。
極指向性通信で送られてきたテキストを見て、ノイマンにはチューリングの任務を引き継ぎ、継続するように命じられていることを知ったクリスティナは、ヤスユキ少佐とリコ軍曹とともに星海図を前にして、思案することになった。
「チューリングの索敵管理官はおかしいですよ」
あきれ返った声で、リコ軍曹が言う。
「こんなに複雑で入り組んだ音を詳細に把握できる索敵要員は、私は知りません」
「チャンドラセカルの索敵管理官でも無理?」
そう水を向けるクリスティナに、リコは首を振った。
「ヘンリエッタ先輩は確かに優れてますけど、普通の感覚の持ち主なら、混乱しますよ、誰であれ。うまく説明できませんが、チューリングの運用している千里眼システムは、宇宙空間に放り出されるようなもので、しかも自分が止まることなく、ランダムに回転しているようなものです。どちらに何があるかなんて、すぐに把握するのは無理です」
「もういい、軍曹」ヤスユキ少佐が彼女の言葉を止めた。「電子頭脳にフォローさせる。目標はわかっているのだ」
ミリオン級の例に漏れず、ノイマンにも高性能の電子頭脳が搭載されている。
クリスティナは星海図を見ながら、リコ軍曹とヤスユキ少佐のやり取りを聞いていた。
星海図の中には赤い点が一つ打たれている。そこにチューリングが捕捉した宇宙基地α、今ではホワイトと呼ばれている宇宙基地がある。
実際にはチューリングが一度、捕捉し、しかし逃してしまったはずが、宇宙基地オスロを襲撃した敵性艦を追跡した結果、再捕捉した形だった。チューリングは知らないようだ。
このホワイトが独立分子の拠点の一つである。司令部からの命令では、この拠点に密かに近づき、その上で他の重要拠点を暴き出せ、というのだ。
チューリングに搭載されたように、ノイマンにも高性能観測ブイであるサイクロプスが二基、搭載されている。千里眼システムは仕組みとして組み込まれているが、ここに至るまではフル稼働させていない。そもそも、それは難しい。
「見えないのはお互い様ですから、結論としては、息をひそめるしかありません」
リコ軍曹の声が思案しているところへ急に聞こえ、思わずクリスティナは笑っていた。リコ軍曹、ヤスユキ少佐が彼女の方を見る。
「まさにその通りね。知らん顔して、彼らのそばまで行くことにしましょう」
「宇宙基地ホワイトにですか。危険ではありませんか? 艦長」
「でも、敵にはこちらは見えないわ。そうでしょ? リコ軍曹」
言葉の綾ですよとリコ軍曹は肩をすぼめているが、クリスティナはもう決めていた。
どちらにせよ、相手を詳細に観察し、そこから手繰り寄せていく以外、ないのである。この広い宇宙を隅から隅まで把握することは、どんな存在にも不可能だ。
例え、神が実在するとしても。
この先の索敵に関する打ち合わせが終わり、ヤスユキ少佐に発令所を任せ、クリスティナはリコ軍曹とともに食堂へ移動した。士官用の食堂というものはあるが、この船ではそこは会議室とされていて、実質的に士官用食堂はない。そのため食堂では階級は無視されるのが常だ。
その時もクリスティナが食堂に入っても、誰も敬礼などしなかった。
「艦長、敵が本当に宇宙ドックを持っていると思いますか?」
声をひそめるリコ軍曹に、保存食をフォークでつついていたクリスティナは首をかしげて見せた。
「独立勢力の艦船は、そう簡単には用意できないでしょう。どこかで建造しているなら、そういう施設があるはずだし、今のところ、宇宙ドックで既存の民間船を改修するのが、ありそうなことだわ」
「でも、宇宙ドックを作る資材はどこで調達するのですか?」
「それを言い出したら、戦闘艦に改造する前の、おそらく民間の船をどうやって手に入れているかも問題になる。今の彼らの戦闘艦の数だけでも、管理艦隊の手に余りつつあるし」
不思議な話ですよとリコ軍曹が飲み物の入ったボトルのストローをくわえる。
「宇宙船が湧き出す泉でもあるんですかね」
思わずクリスティナは声にして笑っていた。
その問題は実は地球連邦そのものの不自然さにも直結するのだ。
宇宙開発は確かに進んだ。人間が使える技術はあっという間に発展し、今では宇宙コロニーも人造衛星もあれば、月面の居住施設も、火星の部分的な地球化さえ、現実になった。
では、そのために必要な資材や人材はどこから来たのか。
地球連邦と言っても、未だに貧富の差はあるし、それは生活水準の差や学力の差を伴っている。その上で地球上においてその国の産出する資源にも差があり、それは経済力の不均衡を生んでいる。
つまり地球連邦などといいながら、実際には一部の大国が支配する枠組みにすぎない。
その言わば「緩やかな支配」が独立勢力を生んでいるのかもしれないと、クリスティナは思っていた。
宇宙船が湧く泉がないように、何も持たな人や国が確かにいる。
恵まれているものには、恵まれないものの気持ちはわからないのかもしれない。クリスティナ自身も、路地裏でゴミを漁って日々を過ごすものの気持ちは、分かりそうもなかった。想像することでは、実体験にはとても辿り着けないのである。
食事が終わり、クリスティナは休息のために部屋に戻った。
任務はまだ継続している。やっと本来的な任務が始まったようなものだ。
艦長室のベッドに横になり、まるで艦が揺れないので、時間が停止しているような錯覚を、クリスティナは感じた。
(続く)
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