10-5 傲慢、貪欲、崇高

     ◆


 報告書、聞き取り、会議、それらが全部、片付いて今度こそ休暇が本格的に始まった。

 と言ってもハンターは妻を早くに亡くしていたし、子どももいない。帰る場所はないし、そうなればいる場所は一箇所だけだった。

 宇宙ドッグであるフラニーには、作業員のための宿泊施設が充実しており、その中でも十二人部屋に空きを見つけると、堂々とハンターはそこで生活し始めた。作業員たちはいきなりやってきた士官の老人に困惑していたが、同じ畑の人間と理解すれば、打ち解けるのに時間はいらなかった。

 毎日毎日、ハンターはドッグへ出かけ、遠くからチューリングが生まれ変わるのを眺めていた。早めに休暇を切り上げたウォルター中尉がハンターに気づき、歩み寄ってくる時からすでに目を丸くしている。

 ハンターも同じような顔をしてやった。

「親方、休暇はどうしたんです」

「ここで休んでいるんだよ。お前こそ、やけに早いな」

 ウォルター中尉には年をとった両親がいるはずで、火星の衛星軌道上の人造衛星で暮らしていると聞いている。返事は肩をすくめる動作とともに返ってきた。

「認知症が進んで、手の施しようがない」

「薬があるだろう」

「それでもダメな時もありますよ。人間は神様じゃない」

 それもそうだ、と頷き返して、この会話は打ち切ることにした。誰の生活にでも気が重くなる側面があるものだ。

 二人はチューリングを眺め、またも細かなデザインチェンジがされたフレームを指差し、議論を始めた。この二人が揃って、しかも目の前に艦船があれば、議論せずにはいられないのである。

 白熱してきたところで、かすかな音に二人が同時にそちらを向いた。

 機械の足に装着された車輪が、カプセルを運んでくる。

「久しぶりだな、ユキムラ曹長」

 そう声をかけて、ハンターはいつかの発令所以来の再会に笑みを浮かべた。

「親装備の話を聞いて、やってきました」

「新装備?」

 とぼけてみせるハンターに、ユキムラが音声だけで笑う。彼は表情を変えることさえできないのだ。

「ミューターというらしいです。空間ソナーを無力化するとか」

「おい、ちょっと待ってくれよ、曹長。そいつは……」

 ウォルター中尉が声を上げ、黙っているハンターを見て、何かに気づいたようだった。そして舌打ちをしてから小さな声で下品なののしり声を上げる。

「その様子だと知っていましたね、親方は」

「少し前にな」ハンターはそう応じて、口の前で人差し指を立てた。「内緒だったんだ」

 もう一度、何かを罵ってから、三人でミューターについて議論したが、詳しい者は誰もいないので、ミューターでこういう効果があれば戦いやすいとか、敵を欺けるとか、逆に敵がミューターを使った場合にどう対処するかとか、想像の域を出ない会話に終始した。

「誰から聞いたんだい、ミューターのことは?」

 ええ、まあ、などと少しためらってから、ユキムラ曹長が答える。

「レイナ大尉からです」

 なるほどね、と頷くハンターの横で、またウォルター中尉が声を上げ、ユキムラ曹長の機械の体、その腕を何度も叩いた。ぐらぐらと揺れながら、やめてくださいよ、と笑いまじりに青年がスピーカーで答えている。

 それからしばらく雑談を続け、どうにかこうにかウォルター中尉はユキムラ曹長とレイナ大尉の関係を聞き出したいようだったが、仲がいいだけです、と青年は譲らなかった。

 そのうちに技術者が三人ほどやってきて、ウォルター中尉に助言を求めたので、彼は後ろ髪を引かれる思いだと全身で表現してから離れていった。

「少しは期待に応えることができたかな」

 チューリングを眺めながら、ハンターはカプセルの中にいる青年に問いかけた。

「病院から無理矢理に連れ出して、大きな責任を負わせて、恨んでいるか?」

「とんでもないです、大佐」

 カプセルの上のカメラが、ハンターの方を向く。

「大佐に見つけてもらえなければ、僕は今も地球で、ただ遠くに見える宇宙を眺めているだけでした。それが本当の宇宙を、本当の宇宙船で、実際に進むことができる。これに勝る喜びは、感覚が蘇った時くらいです」

 そうか、としかハンターは言えなかった。

 誰にも未来がある。しかし命は一つしかない。人生は一回だ。

 ユキムラ曹長を安全な部署へ移せば、彼の危険は減る。もしかしたら安全な船に乗る未来もあるかもしれない。

 ただ、それはきっとユキムラ曹長の望むものとは違うだろうな、とハンターは思った。

 人間が何よりも恐れ、しかし同時に引き寄せられる、未知という存在。

 誰も知らないところへ行きたい、誰も知らないことを知りたい。傲慢で、貪欲で、しかし、きっと崇高でもある感情。

 ハンターがユキムラ曹長の機械の腕を叩く。

「きみの奮闘に期待しよう」

 ありがとうございます、と機械の腕が持ち上がり、敬礼をして見せた。



(続く)

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