9-3 勝負手

     ◆


 副長は平静と変わらない落ち着いた口調で言った。

「スパークモードを使ってみてはどうでしょう?」

 瞬間、全員の意識が彼女に集中したのは事実で、しかしレイナ大尉にはまだ冷静さを保つ余裕があったようだ。

「スパークモードの強烈な電磁波の放出を、サーチウェーブの代用にするのです。こちらの位置が露見するので、諸刃の剣ですが、今のままでは敵に主導権を取られたまま、ゆっくりと追い詰められます」

 決断は素早かった。ハンター大佐の声がまずザックスの背中に飛んできた。

「ミサイルへの迎撃のタイミングはこちらで指示する」

 了解、と短く返事をしたザックスの背後で、ハンター大佐は今度は艦運用管理官に向いた。

「ロイド中尉。装甲のモードを指示したタイミングでスパークに切り替えてくれ」

「シャドーからスパークですと、スパークの最大出力まで、おおよそ三秒のタイムラグがあります。その間は姿が露出し、防御力も低下します」

「構わない。さて、あと五秒だ、ロイド中尉。ザックス軍曹、同時にミサイルを撃墜しろ」

 ハンター大佐の声を聞きながら、ザックスの義手は照準装置で向かってくるミサイルを常に狙い続けている。

 五秒が過ぎた瞬間に「やれ」とハンター大佐が声を発した。

 レーザーが迸り、三発のミサイルを撃墜し、光が瞬くが、同時に多量の欺瞞物質が雲のように拡散され、巨大な雲の帯がまるでチューリングの行く手を塞ぐ壁のようになる。

 同時にメインスクリーンの表示では装甲がスパークに変更されているとわかる。

 艦長の指示は続く。

「カード軍曹、速力全開で雲を迂回しろ。これからは敵の攻撃を受けるか受けないかは、君にかかっている」

「ありがたいことで」

 軽口で応じながら、カード軍曹は急激な転針で、発令所はもちろん、チューリングの乗組員の半数を床に叩きつけた。

 しかしそれがほとんど彼らの命を救ったと言っていい。

 三方向から、ほとんど隙間なく浴びせられた数条の粒子ビームが、チューリングにかすりもしなかったのは、ほとんど奇跡だった。無神論者を改心させるのに十分なほどの奇跡だ。

 二つの事実が、この瞬間にチューリングに味方した。

 一つは敵艦が必殺を期して自分の現在座標が露見するのを覚悟で、粒子ビームを撃ったこと。これで敵の位置はおおよそ把握できた。ただし、また感を消されれば追跡は困難になるはずだった。

 にも関わらず、もう一つの事実が、この困難な事態への対処を実現可能な領域まで引っ張り上げていた。

 スパークモードの装甲が発する欺瞞目的の電磁波が、設計者や技術者の悪ふざけとしか思えないほどの出力で周囲を走り抜けていたからだ。

 その電磁波の激しい乱れの中から、乱れの中でも不自然な乱れを、天才であるユキムラ曹長が拾い上げた。

「艦を捕捉しました。ザックス軍曹、見えますか?」

 索敵管理官の声に、ザックスは素早く応じた。

「見えるのはあんただけだよ、曹長」

 ザックスの端末には今度は、漆黒の宇宙空間の中に、ぼんやりとした光の輪郭で小型船が浮かび上がっていた。

 ユキムラ・アートというのはやはり天才だ。

 そんな感想を抱きながら、ザックスはチューリングの粒子ビーム砲の引き金を引いた。

 粒子ビームが走った先、何もないはずの空間で火花が散り、炎が吹き上がる。

「あまり派手に壊すなよ、ザックス軍曹。敵の装備が知りたい」

「注文が多いですな、艦長」

「君の実力に期待するよ」

 その間にも事態は刻々と変化している。

 カード軍曹は今も激しい運動でチューリングを動かし続け、ザックスは照準を手動で続けたが、離れ業としか言えない技術で、両手で同時に二つの照準を操作し、両舷にある粒子ビーム砲をまるで別人が操っているかのように稼働させていた。

 ロイド中尉はスパークモードの装甲をコントロールしており、エネルギーの総量と発生量、消費量のせめぎ合いに肝を冷やしていた。冷や汗を滲ませつつ、彼はザックスが操る粒子ビーム砲塔にエネルギーを振り分け続けた。

 ユキムラ曹長は、でたらめな機動を続ける船の中で、周囲の状況を空間ソナーと千里眼システムの全情報を頼りに把握し続けた。敵艦の位置を掌握するために、チューリングが発する狂気じみた電磁波の波濤の、その雑音の中に紛れるさらなる雑音に耳を澄ませるよりない。

 各人の努力の結果、と言ってしまうとまるで当然の結果のようだが、もし一人でもどこかで失敗すれば、結果は自ずと変わっただろう。

 しかし結果を見ればチューリングは、姿を消していた小型船三隻のうち二隻を航行不能にし、三隻目が準光速航行で離脱する、という一方的な勝利を手にしていた。

 その代わり、宇宙基地αはこの戦闘の最中に姿を消してしまった。準光速航行ではない。何かしらの隠蔽だが、あまりにも遠距離であるが故に、小型船を看破したスパークモードの装甲の想定外な使用法でも、捕捉は不可能とするよりなかった。

 しばらくの間、チューリングはスパークモードの装甲を維持したが、これは他にも姿を消している敵性艦船が潜んでいる可能性を考慮したためで、十分な検証の結果、すでに敵性組織の艦船は現場から退去し、見当たらないと判断するに至った。

 無意識に深く息を吐き、やっとザックスは照準装置を手から離し、やはり無意識に額を生身の左手の甲でなぞっていた。

「生きているのが不思議だな」

 そう艦長であるハンター大佐が呟いたのに、各管理官は自分たちの指揮官の方を見ていた。ユキムラ曹長でさえ、機械の体を振り返らせたくらいだ。

 口元はヒゲでわからないが、目元に十分な笑みを見せ、ハンター大佐が言った。

「いい乗組員に恵まれたよ」

 ザックスは鼻で笑い、カード軍曹はなぜかラフに敬礼をした。ユキムラ曹長もそれに習って、機械の手が形だけの敬礼をした。軍人であるロイド中尉はそんな不遜なことはしなかった。レイナ大尉は無言だ。しかしどこか嬉しそうに見えた。

 推進装置を破壊されて漂流している小型船を鹵獲するため、極指向性通信で戦闘艦ジャミロクワイに座標が連絡された。

 しかしその到着より前に、ハンター大佐と機関部員の技術者数人が、小型船の片方へ向かったということをザックスは後になって知ったのだった。

 その話は、食堂でカード軍曹と食事をしているところに、ユキムラ曹長の言葉で伝えられた。



(続く)

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