第9話 任務の失敗

9-1 過去の悲劇

     ◆


 ザックス・オーグレインという男を語る時、右腕をなぜ失ったのか、というのは避けては通れない話題になる。

 彼自身は場合場合によって色々な作り話をしたが、のちに重要な間柄になるユキムラとカードには、訓練生の時に真相を話していた。

「家に殺人鬼が押し入ったんだ」

 そう聞かされても、片やカプセルの中の青年は無反応で、片や海賊上がりの訓練生の中年男は特に感銘を受けたようでもなかった。

「切り落とされたのか?」

「まあ、そうなるな。しかもゆっくりと、指先からな」

 冗談でしょう? と言いたげにカプセルの上のカメラが動いたが、ザックスは平然と続けた。

「相手は俺の奥さんの昔の恋人で、まぁ、何をどう解釈したのか、女を取られた復讐心に燃えて、まさにその女の前で、今の亭主の腕を切断した、となる」

「ドラマの見過ぎか?」

 カードがあっさりと断定するのに、ザックスは「だと思うか?」と言い返すことで、カードの決め付けを完全に覆して見せた。

「どうなったんです?」

 ユキムラの質問に、ザックスは特に未練もなく、あっさりと真相を白状した。

「殺人鬼の刃が俺の肘を断ち割るところで、愛情ではなく恐怖に駆られた奥さんが、元の恋人に飛びかかった。で、振り回されたナイフの一撃で、頭を半分輪切りにされて、絶命した」

「殺人鬼は?」

「自分が女を殺したことに呆然として、そこへ遅ればせながら、俺の人目をはばからない悲鳴を聞きつけた住民の通報を受けた警官がやって来て、男を逮捕した。俺は病院に担ぎ込まれたが、出血と痛みでほとんど人格がなくなっていたな」

 ひどい話だ、とユキムラのカプセルにくっついているスピーカーがつぶやき、同意見だよ、とカードが答えた、彼はものすごく嫌そうな顔をして、飲みかけの野菜ジュースの入った紙コップを見ていた。

 結局、野菜ジュースを諦めたカードが、空気を変えるためか、意地の悪そうな顔でザックスを見る。

「それで、どうやって回復した?」

「回復? 三ヶ月ばかり薬漬けで、よくわからん偉いんだろう医者の話を聞き続け、最終的には新しい生き方を見つけた。暴力を受ける側から、暴力を行使する側へ、くら替えしたのさ」

「お前も殺人者になったとか?」

「正確には、殺人を商売にする側になった。傭兵だな」

 地球連邦では民間人の重度の武装は極めて限られた範囲でしか認められない。その範疇に入るのが、民間軍事会社で、その社員こそが傭兵という代名詞で呼ばれるのである。

 傭兵たちはいくつかの国で戦闘技術を教えたり、銃器全般の使い方から爆薬の取り扱いや部隊の運用、作戦立案、補給の確保に至るまで、一から十まで、戦闘とは無縁の連中に兵士としての能力を叩き込む。

 実際的には地球連邦軍の中にその役目を負っている部門はあるが、奴らはケチで、高額を要求するため、かろうじて民間軍事会社は数が少ないながらも、まだ存在する形だ。

「傭兵が宇宙に出るとは、珍しいな」

 カードの指摘に、ザックスはニヤリと笑ってみせる。

「逆だよ。地球はほとんど、連邦の庭だな。連邦に逆らう奴はいない。しかし宇宙ではまだ、連邦に挑戦する者がいて、その脅威を退けたい奴がいる。大規模な輸送会社が運営する私兵とかだな」

「それであんたは傭兵になって、宇宙戦闘を教えて、それでなんで火星に送り込まれる?」

 当然のカードの疑問に、ザックスは淡々と答えた。

「一般人から鞍替えして傭兵になった俺が、また鞍替えして海賊になっちゃいけない理由があるか?」

「少しもないね」

「そういうことだ。だいぶ連邦宇宙軍の船を沈めたよ」

 悪い奴だなと笑うカードも、自分が元は海賊だったとザックスにもユキムラにも話している。これは例外のパターンで、ザックスもカードも、周りにいる訓練生たちには自分たちが連邦宇宙軍の敵だったなどとは、言っていない。

 何せ、訓練生の大半は、紛れもない連邦宇宙軍の兵士なのだ。

「少しはビビったかな、ユキムラ」

 からかい半分にザックスがカプセルの方を見ると、ユキムラの目であるカメラが小さく左右に揺れた。首を振る動作の代わりだ。

「ザックスさんは強い人だと思いました」

「そうかい」

 答えながら、ザックスの思考はもう遥か昔に思える、あの事件の瞬間に戻っていた。

 妻が悲鳴をあげて、男に飛びかかる。男のナイフが湿った音を立て、妻の体が急に脱力して倒れ込む。ナイフを握った男がその姿を見て、立ち尽くしている。

 自分は何をしていた? ザックス・オーグレインはその時、何をしていた?

 そう、ザックスはただ、その光景を見ていたのだ。

 何をすることもなく。何もできずに。

 もし自分があの殺人者を取り押さえれば、別の可能性があったか。腕を切断される痛みや、ナイフを前にした恐怖に打ち勝てば、未来は変わったか。

 それは考えても仕方ないことだった。

 ただ、忘れることのできない、諦めのつかない場面ではある。

 過去の惨劇や、訓練生であった時の記憶が遠ざかり、ザックスはやっと現実に戻ってきた。

「三隻? 見えるか、ザックス」

 ハンター大佐からの指示で、ザックスは自分の前の端末、火器管制管理官のそれを操作し、照準装置を動かした。ユキムラ曹長からの情報と照らし合わせるが、該当宙域に実際的な敵艦の姿はない。

 ただし、ユキムラ曹長が捉えたかすかな残滓が重ねて投影されると、わずかに像に歪みがあると気づけた。遠くの星の光点が、かすかに不規則的な揺らぎを起こすのだ。

「何かがいそうですね、しかしよく見えないな」

「攻撃するべきではないでしょう」

 そう進言したのはロイド中尉だった。もちろんだ、とすぐにハンター大佐も答えている。

「知らないふりをして、こちらも抜かりなく姿を隠すとしよう」

 ザックスはもう一度、端末の画面を覗き込んだ。

 敵は今、そこにいる。



(続く)

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