1-6 準備運動の始まり

      ◆


 ハンターは男をじっくりと観察した。

 見たところ、日常に支障はなさそうだが、困ったことに薬物中毒の色があるのは否めない。

 強制労働において麻薬の類が囚人に投与される事実は知っていたが、実際にそれで廃人になるものがいることは、こうして実際に対面してみると残酷なことだ。

「誰? 誰って聞いているの、聞こえない?」

 男に急かされる形になり、しかしハンターはどうするべきか迷い、結局はいつものようにまっすぐに言葉を向けた。

「宇宙軍で、乗組員を募っている。あんたが腕のいい航海士だったと聞いて、様子を見に来たんだ」

「宇宙軍? 俺を採用するのか? そいつは良い話じゃないか」

「相当な腕だと聞いているが、事実かな」

 男のまともさを確認するように、ハンターが促すと、ああ、ああ、と男が頷く。

「何年前か忘れちまったが、火星から木星外縁の宇宙基地まで、秘密裏に物資を運ぶ仕事を請け負ってね。あの時の最短時間の記録を塗り替えられる計算だった。本来は四回に分けて準光速航行を使うんだが、三回で到着する計算をしたんだ」

 それはハンターが事前に調べた、彼の取り調べの記録にもあった話だ。

 実際にハンターは星海図の中でそれが事実か確認した。おおよそ、うまくいきそうだった。微調整はそれこそ航海士の役目だ。

 男はペラペラと細部を説明し始め、ハンターも質問を返した。麻薬にやられているために、口の角に泡がたまり、何度かよだれを垂らしそうになったが、意外にも男は具体的なこと、専門的な理屈を口にした。

 悪くないじゃないか。ハンターはそう判断した。麻薬程度なら、最新の医療技術でどうにか克服させることができるだろう。

 時間になり、あんたの名前を教えてくれよ、と男が言った。

「ハンター・ウィッソン。また会おう」

「俺が死ぬまでに頼むよ、ハンターさん」

 男が退場して、係員とともにハンターは部屋を出た。

 それからまた装甲車で腰を痛めそうになりながら地球化された都市へ戻り、そこで一泊、翌日には宇宙へ上がり、また準光速航行の船に乗って木星へ戻る。長い旅の間でもハンターが退屈しないのは、彼にとって時間を持て余すことがないからだ。

 使い物になりそうな民間人や軍人に関する情報を漁り続ける必要があり、ほとんど眠らないほどだった。運動不足を解消する、器具を使った運動や専門のトレーナーのマッサージを受けている間さえも、様々な情報サイトを閲覧している有様だ。

 木星の間近に浮かぶ宇宙空港から、宇宙基地カイロへ向かい、そこでは予想外の事態が起こっていた。

 ミリオン級潜航艦の二番艦であるノイマンが帰投していたのだ。艦そのものは巨大な宇宙ドッグに収容されているという。一年ほどの航海だったことになる。

 カイロの執務室に久方ぶりに戻り、ソファに寝転がってハンターは考えた。

 どうやらミリオン級という船の運用は、事実上、困難しかないようだ。売り文句は、絶対に敵に露見しない装甲と、痕跡を一切残さない航行システムを備えている、という魅力的なものだが、どちらも絶対ではないらしい。

 生き残っているのは、チャンドラセカルだけということか。

 すでにハンターも調べて知ってはいるが、民間人から採用された艦長は、ハンターの三分の一と少し程度の人生しか生きていない。しかも技術者であって、宇宙戦闘の専門家ではないようだ。

 ただし、天才という呼び名が最もふさわしい、ということもハンターは理解していた。本当の天才はどの分野でも図抜けた能力を示すらしかった。

 ハンターが留守にしている間に、別の展開もあった。チューリングの改修がより大規模なものになり、これはノイマンの帰投もあってだろうが、推進装置であるエネルギー循環エンジンを積み替えるというのだ。まったく新しい、より静粛性の高いものが試験的に採用されるらしい。

 より隠密性や静粛性が増すのは結構なことだ、と思う一方、運用がより困難になるかもしれない、とも思う。ただでさえ新造艦で、データがないのだ。

 すでにチューリングは半年以上の長い時間、港にいるわけで、乗組員はどうやらいくつかの管理艦隊の船に分散し、技能を錆びつかせないように訓練に勤しんでいるとも報告書で読んだ。

 これはさっさと乗組員を選抜して、実践的な訓練が必要だとハンターは考え始めた。おそらくエイプリル中将は理解してくれるだろう。

 宇宙基地カイロに戻って程なく、ハンターはエイプリル中将とその幕僚相手にどうにかこうにか無理を通して、秘密裏の乗組員選抜試験を決行させた。

 それでも、宇宙船を機能させるためには多岐にわたる職種が必要不可欠で、ハンター一人の体ではその全てを監督するのは不可能だった。

 しかしそこへ、一人の士官がやってきた。

 ハンターの執務室に入ってきて敬礼した女性に、ハンターはだらしなくソファに寝転がっていた姿勢を素早く整え、制服のシワを伸ばしつつ、敬礼を返した。

「意外に早かったな、大尉」

「お手伝いをさせていただきます」

 レイナ・ミューラー大尉がそう言ってにっこりと笑った。

 こうして本格的に、ミリオン級潜航艦一番艦チューリングは、再び宇宙へ出るための一歩を踏み出したのだった。



(第一話 了)

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