第2話 チューリングの新しい顔ぶれ

2-1 赴任

     ◆


 レイナ・ミューラー大尉を見送る連邦宇宙軍第八艦隊所属の戦艦の艦長は、まだ不審げだった。

「管理艦隊などに行って、キャリアを潰すつもりかね」

「興味深い誘いがありましたので、身勝手だとは思いますが、申し訳ありません」

 まあいい、とあっさりと艦長は優秀な副官を手放した。

 地球の衛星軌道上、そして月の周囲に無数にある宇宙基地の中を行ったり来たりする近衛艦隊を離脱し、レイナは一路、木星へ向かった。

 管理艦隊のホールデン級宇宙基地で、真っ先にハンター中佐に会いに行った。部屋に入ると、彼は慌てた様子でソファから起き上がり、敬礼した。可笑しな人ではある。

 それから基地の上官たちに紹介され、二時間後には二人の姿は食堂にあった。

「すでに訓練が始まっていると聞いていますが、名簿を後で見せていただけますか?」

 よかろう、と応じながらも、ハンター中佐は食事をやめない。ナポリタンを素早くフォークで巻き取り、口に放り込んでいく。レイナは骨の髄まで染みついた上品さで、カルボナーラを口に運んだ。

「艦はまだフラニーの中ですか?」

 管理艦隊が運用する宇宙ドッグは、フラニーとズーイの二箇所がある。そのうちのフラニーにおいてチューリングは改修を受けている。

「まだ新型エンジンのテストが終わらないようだ。極端に扱いにくいと機関管理官が嘆いていたよ」

「え?」意外な発言だった。「すでにもう誰を任命するか、決めているのですか?」

「昔馴染みでね。ウォルター・ウィリアムズという中尉だ。私とは長い付き合いになる。腕は確かだよ。私ほどではないがね」

 寝耳に水だったが、今はそれよりも気になることがあるレイナである。今はそれを確認するいい機会だろう。

「戦艦サリンジャーの事故について、教えていただけますか? 中佐」

 片方の眉を上げてレイナの方を見ながら、ハンター中佐はひときわ大きなナポリタンの塊を作ると、ほとんど口に押し込むようにして入れる。もごもごと咀嚼しながら聞き取りづらい声で返事があった。

「戦艦サリンジャーには、最新の三連循環器が搭載されていてな。まぁ、私は機関管理官で、十分にあの仕組みの性質を知っていた。それでうまく落ち着けることができた。それと大尉、あれは事故ではないよ。ただの不具合だ」

「戦艦が吹き飛ぶ寸前だったと噂で聞いています」

「どこにでも口が軽い奴はいるのだな」

「あなたのことを尊敬している証です、中佐。詳細をぜひ知りたいのです」

 ついに口の中のものを飲み下し、ため息の後、ハンター中佐は話し始めた。

「サリンジャーの三連循環器は圧倒的な出力を発生させるが、同期させるのが難しい。もちろん、最新の人工知能同士が連携して、ごくごくわずかなズレだけで、三つの循環器をシンクロさせる仕組みになっている。ただ、全くのイレギュラーな事態として、三つのうちの一つの循環器の出力が下がった。もし単体の、一基だけの循環器しかなければ、まぁ、やりようは色々あるわな。だがあの船ではそういうわけにはいかない」

 水の粒が表面を流れるコーラの入ったグラスを手に取り、ストローから老人は黒い液体を吸い上げる。

「残りの二つは正常に稼動していた。だからエネルギーバランスが余計に崩れた。安全装置が想定しているよりも、エネルギーの暴走は激しく、緊急停止していたら、行き場を失ったエネルギーで艦は二つになっただろうな」

「中佐は、緊急停止を拒絶したのですか?」

「そういうことだ。ほとんど賭けだ。緊急停止してしまえば安全装置の限度を超過しそこまでだし、私が何もできなければ、やはりそれまで」

 コーラを飲み干し、ハンター中佐の視線はグラスに残った氷に向けられている。

「三つの循環器は動き続けるが、同期が乱れた状態、メーカーが「不整脈」と呼んでいる事態は見る間に激しさを増した。メーカーが設定した安定を取り戻す手順は頭にあったが、不運なことに暴走の度合いは激し過ぎた」

「しかし中佐はそれを落ち着かせた」

「まあね。具体的に説明してもわからないだろうが、出力が低下している循環器を強制的に動かすのと同時に、行き場のないエネルギーを無理やりに蓄電池に放り込んだりしてな、まあ、生きた心地がしなかった。最後には三つの循環器を高出力で同期させてから完全に止めて、心停止させた」

 レイナに分かることはほとんどないが、しかしこの目の前の老人の機関士は、熟練の技と強心臓と呼ぶしかない度胸を持っている。

 その度胸は、あるいはチューリングという艦の任務には、必要不可欠なものかもしれない。

 食事が終わり、二人はシャトルに乗ってカイロを後にすると、フラニーへ向かった。一週間を超える旅になった。その間にレイナは訓練生の名簿と個人情報をチェックし、ハンター中佐も何かの情報に集中していた。

 フラニーは軍艦専用の宇宙ドッグなので、必要な時以外は外部からは内側が見えない。

 シャトルが接舷し、無重力の通路を進むと、巨大な空間に出た。

「これが……」

 目の前にあるのは、無数の機械の腕でたった今も作業が続けられる、ミリオン級潜航艦の姿だった。

 チューリングの副長の第一候補になっただけで、レイナにはまだ艦に関する詳細なデータが与えられていない。それを彼女は別に不満とも思わなかった。副長に任命されれば、自然とデータも、実物も見えることができるのだから、焦る必要はない。そう思っていた。

 しかしこうしてミリオン級潜航艦を前にすると、もっと早く知りたかった、という思いがどこからか湧いてきた。

 それならもっと本腰を入れて、ありとあらゆることを想定したのに!

「まだ中に入れないがね、これが私たちの船になる」

 実際、チューリングは装甲のほとんどを外されているし、推進装置も存在しない。艦のフレームと、複雑怪奇な文様を作る管、まさしく血管がよく見えた。

「さて、訓練生の様子を見に行こうか、大尉」

 頷きながらも、しかしレイナはまだチューリングから視線を外せなかった。



(続く)

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