6-4 信奉
◆
オーハイネは一人で格納庫でボールを打っていた。
先日の電磁魚雷の騒ぎで、不具合の出た部品を大量に交換したことにより、コンテナの位置が変わってしまった。
定位置にしていた空間が少し狭くなっていた。
何度目かの打球が壁の上に当たり、頭上を越える位置に飛んでくる。
届くか。
いや、届かない。
諦めてラケットを振る動きを止め、ボールの落ちた背後を振り返ると、そこにアンナ軍曹が立っていた。
手にはラケットを持っている。どこで手に入れたんだろう?
彼女のラケットが素早く振られ、ボールを壁に飛ばす。
素早くオーハイネも向き直り、跳ね返った球をもう一度、打つ。
次に跳ね返ってきた球は、アンナ軍曹が打ち返した。
そうして二人で交互に、しばらく打球を返し合っていた。
最後はアンナ軍曹が打ち損ねて、ラケットの根元にボールが当たり、力なく転々とボールが転がった。
「意外にやるじゃないか」
いつの間にか汗をかいていて、手の甲で額を拭うオーハイネ。アンナ軍曹は肩で息をして、もう座り込んでいた。
「これでも、運動、できるはず、なんですけどね」
そう言いながら、アンナ軍曹がオーハイネを見る。オーハイネは肩を竦めて、ボールを回収した。しかし一人で遊ぶ気にもなれず、「休憩するか」とまだ座り込んでいるアンナ軍曹に手を貸した。
二人で食堂の隣にある休憩スペースに向かう。ここにはドリンクサーバーがあるだけで、利用者も長居しない。
オーハイネはアンナ軍曹と並んで、スポーツドリンクを飲みながら、あれこれと先ほどのテニスのような遊びに関して話した。スカッシュという競技があんな感じだろう、とオーハイネが口にしたが、アンナ軍曹にはスカッシュの知識がなかった。
「この前の戦闘、すごかったですね」
スポーツドリンクを飲み終わる頃、アンナ軍曹から話を変えた。オーハイネは適当に乗るつもりで、適度に言葉を選んだ。
「まぁ、ああいうこともある。戦争とか紛争とか、言い方はいろいろあるが、この船は軍艦で、俺たちは兵隊で、つまりは戦うのが仕事だ」
「あの高速艦の人たち、全滅なんでしょう?」
耳ざといな、という一言で、オーハイネはその話はしない、という意図をはっきりさせた。
それをアンナ軍曹も受け取り、わずかに矛先を変えた。
「ヨシノ艦長がすごかった、っていう噂だけど」
「噂? それはもしかして、ヘンリエッタ軍曹からの話か?」
「内緒です」
他にないだろう、と思ったが、今度はオーハイネがアンナ軍曹の意図を察して、深入りをやめた。しかし女性の間の噂話には要注意だな、と肝に銘じておく。
「ヨシノ艦長は素晴らしい人だよ。判断が早いし、正確だ。先見の明、というようなものもある」
「元は民間企業のスクールの学生だったって聞いていますけど?」
その辺りはライアン・シーザーからの情報か。これもオーハイネは追及をやめた。
「学生だろうと、今は大佐で、艦長だ。そして今のところ、何もミスをしていない。非常にうまく艦も乗員も使いこなしている。俺はあの人を尊敬するしかないな」
「それはそうですけど……」
何か不満がありそうだったが、おそらくそれは無人戦闘機の出番がほとんどないからだろう、と考えていた。ついこの間が、久しぶりの出動だったのだ。
フラストレーションって奴か、と勝手にオーハイネは納得していたのだったが、実際に彼女と話すとその色が気配に濃い。
やはり軍人でパイロットとなると、戦果が欲しくなるのだろう。
それからアンナ軍曹と別れ、オーハイネは勤務の時間が近づいたので、隣の食堂でゼリー飲料のパックを受け取り、開封せずに、まずはシャワーを浴びて、私室に帰ってから素早く着替え、通路をハンドルで移動しながら、片手でゼリーを吸った。
発令所に入ると、ヨシノ艦長が自分の席で端末を操作している。他の下士官は、ヘンリエッタ軍曹がいるだけで、火器管理官の席、艦運用管理官の席には、それぞれインストン軍曹とオットー軍曹の部下が付いていた。
オーハイネは先に席にいた自分の部下から報告を聞き、交代した。
船が行く先には、何もない。宇宙が開けている。
過去には宇宙軍をやめて、輸送船で何度となく宇宙を旅していた。
その時は目的地もあるし、仕事もあった。どこまでも自由に、無軌道に進むなんてことはできない。航路も決まっていれば、期日も厳密に決まっていたのだ。
だけど今、この巨大な潜航艦の操舵管理官になると、そんな目的地や航路、期日というものとはほとんど無縁で、任務があるはずなのに、今までで自分という人間が船乗りとして一番の自由を満喫している気にもなる。
操舵装置のハンドルを握りつつ、時折、機関の様子をチェックする。姿勢制御スラスターの様子もチェック。
艦は万全だ。どこにも遺漏はない。
何より、この艦を指揮するのは、ヨシノ・カミハラ大佐なのだ。
オーハイネは、いつの間にかヨシノ艦長という存在を、信奉しつつある自分を意識した。
しかしそれが正しいだろう。
この人のために万全を尽くしたい、全力を尽くしたい、そう思う。誰だってそう思う確信が彼にはある。
自分にできることなど、ちょっとチャンドラセカルを動かす程度だ。
一人一人が微力しかなくとも、それがヨシノ艦長の号令があれば、まさに乗組員全員の力が合わさって、おそらく、チャンドラセカルは最強の剣にもなるだろう。
他の乗組員も同じことを考えていそうだな、そうもオーハイネは思った。
航海に出て半年以上が過ぎた。いよいよチャンドラセカルは一つの家族のようになってきた。
報告します、とヘンリエッタ軍曹が言葉を口にする。
「距離は三スペースより離れていますが、準光速航行で通過する船があります。二隻です。二隻の距離が離れないので、同期して準光速航行を行ったと思われます」
監視してください、とヨシノ艦長が素早く指示を出す。
オーハイネは無意識に操舵装置のハンドルを握り直していた。
(第六部 了)
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