5-2 アルコール中毒者と天使と技術者
◆
ミリオン級潜航艦の話を聞いたのは、地球上の場末の酒場だった。
大衆酒場、などというところではない、ほとんどバラックだった。
コウドウがどうしてそんな都市化されていない、ど田舎にいたかといえば、連邦宇宙軍の戦艦で機関管理官をやっていたのが、アルコール依存症の症状が出たからだ。
しかもそれを指摘される前の段階で、アルコール分解薬を大量に、しかも頻繁に用いたため、分解薬がほとんど作用しない体になっていた。
というわけで、体良く除隊させられ、金だけはもらえたので、もう働かずに生きていこう、と決めたのだった。
地球上で最も生活費がかからない場所は、今時、珍しい未開の地だった。絶海の孤島である。人々は常に明るく、開放的だった。
酒場であるところのバラックで出る酒も、ワインとかウイスキーとか、そういう洒落たものではない。
現地の住民が謎の製法で作った、白く濁ったドロドロした液体だった。
こいつがものすごく簡単に酔える。グラスで二杯も飲めば、幸福感しかない。
そんな具合で習慣に従い、コウドウは一杯目を一息に飲み干し、カッと全身が熱くなるのを感じなががら、二杯目を少しずつ飲もうと、ゆっくりとグラスを口元へ持ち上げた。
「テツ・コウドウさん?」
いきなり横の席に座った相手に話しかけられ、コウドウは手を止めてそちらを見た。
声は若いどころか、幼いように聞こえた。
事実、視線の先、そこにいるのはハイスクールの生徒みたいな少年だった。
しかもでたらめに顔が整っている。天使の具現化だな、と思った次には、こんなところにいたら悪い奴らに拉致されるぞ、とも思った。
「坊やは何をしている?」
少年はニコニコと笑い、「あなたを誘いに来ました」と言った。
「誘う? 何にだ? ベッドにか?」
下品なジョークにぽかんとしてから、少年は相好を崩した。
「変なことを言わないでください。これでも僕は未成年です」
「見ればわかる。俺がセクハラで検挙されるかもな」
「気をつけてくださいね。誘いというのは、宇宙船をいじってみないか、という誘いです」
宇宙船ね。
「民間でか? 俺みたいなアル中は民間の会社でも受け入れないぞ」
「そのラインはクリアされています。そしておそらく、もう一度、宇宙軍に戻れます」
反射的にグラスをテーブルに置いていた。
「どういう事情だ? 俺に何の用だ?」
「新造艦のアドバイザーを探しています」
「俺に何を求めているか、具体的に知りたいね」
「循環器システムに精通した人が欲しい」
ふむ、と頷き返し、しばらく考えた。
「俺も全ては知らんよ。この歳まで、充分に弄ってはきたがね。それにこんなロートルに多くを求められても困る」
「実はあなただけじゃありません」
俺だけじゃない?
少年を見返すと、彼が身振りで誰かを呼んだ。
近づいてきたのは背広を着た男で、場違いなこと甚だしい。まぁ、それは隣の席の少年にも言えるが。
「テツ・コウドウさん、初めまして、チャールズ・イアンです」
男が低い声で言う。軍人だな、と口調でわかった。年齢は六十程度だろう。コウドウと同年輩で、退官間近か。
「階級は?」
反射的に訊ねるコウドウにイアンが微笑む。
「すでに軍人ではありません。今はただの技術者です」
「どこの技術者だ?」
「オリオン重工です」
思わずコウドウは舌打ちしていた。オリオン重工は循環器システムの開発にも一枚噛んだ、重要な企業だ。宇宙軍との繋がりもあり過ぎるほどある。
その企業の技術者がいて、コウドウが新造艦に関わる必要は見出せなかった。
コウドウは少年を改めて、見た。
「そちらのお連れがいれば、俺は不要だよ」
「より多くの意見を求めています。これを渡しておきます」
差し出されたデータカードを横目に見て、手から離していたグラスを掴み直した。
「僕たちは」席を立ちながら少年が言う。「三日後まではこの島にいます。宿泊している場所はそのカードの中にありますから、興味があれば来てください。では、失礼します」
少年と男が去っていくのを見送ると、どこからともなく複数の屈強な男が現れ、さりげなく二人を守って今度こそ去って行った。護衛を連れてくるべき場所、という程度の正当な認識の持ち主ではあったらしい。
データカードを横目に、コウドウはグラスの中身を勢いよく飲み干し、酔いが回る前にデータカードをポケットに突っ込んだ。
支払いをして、意識が曖昧になり、気づくと自分の部屋、古びた長屋の一間しかない部屋に敷かれたマットの上に横になっていた。
激しい頭痛を感じつつ、立ち上がって、蛇口からグラスも使わずに水を飲み、そのまま頭に水をかけた。
雫を手で拭いつつ、ポケットの中を探る。
ちゃんとデータカードはあった。
手放さないままにしていた端末を取り出し、データの中身を閲覧する。
ミリオン級潜航艦、というのが新造艦に与えられる名前らしい。
職業柄、一番最初に機関部をチェックした。
循環器システムか。艦の大きさと比較すると、出力が余りそうな大型の循環器が搭載されるらしい。
しかも血管を艦の全体に張り巡らせられるのか。それは新しい発想であるのと同時に、危険な試みに思える。言ってみれば全身に爆薬を巻きつけているようなものだからだ。
どういう仕組みか、と仕様書を眺めていく。
新型の装甲板のデータがあり、まったく新しいコンセプトの超静粛性の推進システムのデータがある。
気づくと三時間もデータを眺めていて、もう気持ちは決まっていた。
荷物を整理し、不動産屋に連絡をして部屋を引き払う旨を告げた。
一度、酒場に寄って、例の濁り酒を注文する。しかし持参したボトル三本に入れてもらうように頼んだ。
「爺さん、どこか行くのかね?」
中年男性の店員が声をかけてくる。
「面白い仕事を見つけてね。それと爺さんと呼ばれるほど年寄りでもないな」
「そうかい」酒で満たされたボトルが戻ってくる。「達者でな」
あんたも、と言葉を添えて金を払い、コウドウは比較的まともな高層ビルにあるビジネスホテルに向かった。
フロントで胡散臭そうな顔をされながら、それは無視して中に入り、指定された部屋のドアをノックすると、そこに現れたのは天使の顔。少年自身が開けてくれたようだ。
花がほころぶような嬉しそうな笑顔を見せた。
「ようこそ、コウドウさん」
部屋に入って、やっと少年の名前を聞いていないのに気づいた。データの中にもそれはなかった。
「あんたの名前は?」
少年がニコニコと応じる。
「ヨシノ・カミハラ、と言います」
「よろしく」
二人は強く手を握り合った。
(続く)
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