第5話 老人の人生
5-1 機関室の老人
◆
テツ・コウドウは唸りながら、機関部のその操作卓の前に陣取っていた。
循環器システムというのは、コウドウの今までの経歴からして、異質な仕組みだった。
燃料液を使った機関部は黎明期から知っている。
特定の鉱物を混ぜ合わせ、液体にすると、これがものすごく不安定で、危険な物体になる。
それに安定剤と呼ばれる液体を、非常に繊細にして微妙な割合で混ぜこむと、危険物に過ぎなかった燃料液は、極めて効率のいい燃料に変化する。変貌すると言ってもいい。
エネルギー循環エンジンの発展も、この燃料液の発明と改良が、大きな意味を持った。
そこで、チャンドラセカルである。
軍に入って四十年になろうかというコウドウをもってしても、循環器システムの中枢、循環器そのものの性質は、完全には理解しかねる。
循環器自体は一度、起動させると、あとは強いなり弱いなりに動き続ける。停止させると、外部バッテリーの力でまさしく心臓マッサージするように刺激して、再起動させるのだ。
今、チャンドラセカルは装甲をシャドーモードにして、航行システムはスネーク航行を選んでいる。
循環器の状態を示す色の表示は黄色。艦全体を巡る血管からのエネルギーは、おおよそ四分の三が常に消費されていることになる。残りは大容量バッテリーに確保されている。
性質変化装甲というものを、コウドウはデータの上では知っている。
通常モードの他に三つが選択可能だが、シャドーモードが一番、エネルギー消費が激しい。
ただしそこはそこ、あの天才であるヨシノ艦長や、目立たないが循環器システムのプロフェッショナルであるイアン少佐が、常に気を配っているようだった。
エネルギーの細かな配分は電子頭脳のセイメイが行うので、コウドウにできることは物理的な保全程度だが、しかし機関管理官であるから、相応の責任はある。
じっと端末を見ているのも疲れたな、と感じると、自然とポケットから小さな瓶を取り出していた。
「仕事中ですよ、准尉」
横の予備の端末についていたまだ二十代の兵長が指摘するが、コウドウは無視してキャップをひねり、瓶の口から素早く一口、ウイスキーを喉に流した。
良いぞ、少し気持ちがクリアになった。
兵長が首を振るのを無視して、端末を操作し、全艦のエネルギー分布をチェックする。
全ての装甲が問題なく機能している。もしこの装甲が機能不全を起こすとすれば、物理的に損傷した場合と、エネルギーが不足した場面だろう。
管理官権限で発令所の様子を確認する。
チャンドラセカルは、未登録の大型輸送船を追跡している。例の如く、姿を消して、こっそりとだ。
相手の艦は受動的に探知され、戦闘力がないことははっきりわかっている。
こちらに気づいてもいないな、とコウドウはじっとその艦を眺め、おそらくは秘密勢力へ物資を届けるんだろう、と考えた。
考えた時、外部カメラが撮影していた輸送船の側面が開放される。
なんだ?
ひらりと何かが飛び出してきた。
戦闘機だ、とすぐにわかった。
気づかれたのか? しかし、どうやって?
発令所は大騒ぎだろうが、コウドウにできることはない。コウドウがやるのは、指示された通りの出力を確保するだけだ。
端末の中の映像では、輸送船からは旧型の無人戦闘機が四機、輸送船の周囲を飛び回っている。
『コウドウさん、戦闘出力を』
コウドウがつけているヘッドセットが音を発する。発令所、ヨシノ艦長からの指示だった。
「了解」
短く答えて、循環器の脈動速度を調整する。戦闘出力とは最大出力ではない。攻撃と防御、そして機動力を確保しつつ、痕跡を可能な限り隠蔽しておく、そういう難しい指示である。
端末を素早く操作して、脈動速度を設定し直し、同時に性能変化装甲へのエネルギー供給、その他のエネルギー消費の激しい艦砲への供給も確保。
スネーク航行と呼ばれる極静粛航行システムが、一番の難問だ。
チャンドラセカルの血管の全てが、そのまま推進力を生み出す。
この血管は脆いとは言えないが、頑丈とも言えない。
スネーク航行の技術的な諸要素、それらの限界点はまだ未知数で、今のところ問題はないが、実戦ではどう作用するか、正直、コウドウは不安だった。
チャンドラセカルには、その建造途中から参加しているが、しかし、慢心は危険だ。
循環器システムの脈拍が安定してから、もう一度、端末で外の様子を見た。
敵の戦闘機は飛び回るだけで、やはりチャンドラセカルを把握してはいないと見える。
訓練、もしくは警戒といったところかもしれない。
三十分ほどでして、輸送船は戦闘機を格納し、準光速航行のためだろう、機関部がフル稼働し始めたと、ヘンリエッタ軍曹が空間ソナーで導き出した。
これで追跡は不可能だな。
コウドウが見ている映像の前で、輸送船は唐突に姿を消した。
ヘッドセットにヨシノ艦長の声が流れる。
『コウドウさん、循環器の稼働を抑えてください、あまり負荷をかけたくない』
「負荷だって?」思わず声に出していた。「この程度は問題ない」
『念のためです。脈拍を四十程度に下げてください。チャンドラセカルもしばらくは相手を見つけられないでしょうから』
了解、と応じて、コウドウは手元の端末で、言われた通りに循環器の脈動を指示された四十にまで落とした。設計者や技術者たちは循環器システムの脈動が三十五を割り込むと、休眠状態、などと呼ぶのは、コウドウも知っていた。
それに限りなく近い状態だ。
部屋にいる兵長が、輸送船が何をしたかったのか、議論したさそうだったが、コウドウは黙って、時折、酒を煽って発言を回避した。
そうこうしていると、交代の時間になる。コウドウの部下の軍曹がしばらくはここに詰めるのだ。
軍曹は物静かな男で、大抵の時間、技術書を手にしている。
実践派のコウドウには、まだ理解できない相手だ。当分、理解できそうもない。
しかし、今はこの男に任せるしかないし、コウドウが休みを取らないわけにはいかない。
コウドウはさっさと機関管理室を出て、私室へ向かった。
(続く)
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