3-4 見えない敵
◆
その時、ちょうど全部の管理官が発令所に揃っていて、艦長と副長もいつもの席にいた。
かすかな雑音にヘンリエッタは耳を澄ませていて、すでに五分が過ぎていた。
奇妙な雑音だった。変に波があり、ほとんど消えたかと思うと、わずかに大きくなり、またひっそりと静かになる。
「艦長、こちらの位置に艦が」
ヘンリエッタは手元の端末を操作し、メインモニターに星海図を表示させた。
「近いですね」
それがヨシノ艦長の答えだったが、何かを考えているそぶりである。
「光学的に把握してください。おそらく、ギリギリで見えるでしょう」
「了解しました」
素早く手続きをして、チャンドラセカルに搭載されている複数台の超望遠カメラが、リアルタイムで撮影を始める。その映像はヘンリエッタの前のモニター、そしてメインモニターに映し出された。
多視点からの合成映像の中に、小さいが、駆逐艦に見える。電子頭脳のセイメイがその演算力で画像を解析し、それがシュバリエ級戦闘艦と割り出す。まだ連邦宇宙軍で現役の型式だ。
「光通信、というわけにはいきませんね」
副長の言葉に、ええ、とヨシノ艦長が応じる。
「ヘンリエッタさん、周囲をくまなく探査して、何かを探り出してください。オットーさん、艦の装甲のモードをシールドに切り替えてください」
ヨシノが手元の受話器を手に取る。
「コウドウさん、循環器の出力を臨戦モードへ。全艦に通達、第二種戦闘配置です、第二種戦闘配置」
さすがにこれにはヘンリエッタが面食らった。
まだ六スペース、つまりはるかに離れている所属不明の戦闘艦を前にして、シールドモードの装甲に、第二種戦闘配置?
しかしそれを疑うのがヘンリエッタの仕事ではない、やるべきは艦長の指示を守ることだ。
彼女は考えた。
もちろん、満遍なく全方位を索敵することはできる。しかしそれだとどこか散漫になる。
ヨシノ艦長は何を予測している? 何を探らせようとしている?
この場合で考えられることは、あの戦闘艦は囮? 索敵の目を引きつける、そういう意味か?
なら、本命は?
どこかに主力が控えているのだろうか。しかし今まで、どこにもその痕跡がない。
痕跡がない襲撃者。
そうか。
敵にはこちらの位置がわかっている、だから囮を見せびらかしている、とヘンリエッタは考えた。
なら、必殺の一撃を、回避不能な位置から叩きつけようとする。
彼女の耳が研ぎ澄まされ、チャンドラセカルの後方を重点的に精査する。全ての艦がその性質上、背後を取られるのを嫌うのは常識だ。
どこかに……、いた!
かすかな、本当にかすかな残滓が漂っている。
「艦長、艦を捕捉しました。一隻です」
「さすがです、ヘンリエッタさん」
穏やかに笑って、ヨシノ艦長が指示を出す。ここで第一種戦闘配置が発令される。
チャンドラセカルが旋回を始め、エネルギー循環エンジンが最大出力で艦を進ませる。
回頭が終わる前に前方の何もない場所で光が瞬く。忍び寄っていたのは潜航艦だ。しかしチェンドラセカルと比べれば旧型。
その潜航艦からの瞬きは二度。しかし近い。もう二度、瞬きがある。
「砲撃です」ヘンリエッタには耳元の音でよく理解できた。「実体弾、二発、さらに続けて二発、着弾まで一分」
「オットーさん、シールドモードの装甲の様子は?」
「万全です」
「艦長」イアン少佐が進言する。「回避が可能です」
「いえ、反撃します。時間を無駄にはしません。インストンさん、こちらの主砲は?」
インストン軍曹が素早く答える。
「すでに観測は終わっています。エネルギービーム、いつでも照射できます」
「照射してください。五秒です」
「了解」
艦長、あまり無理をしない方が、とイアン少佐が囁くが、試験は大事です、とヨシノ艦長が答えているのが聞こえる。
メインモニターの中では、真っ暗な宇宙が真っ白に染まり、五秒で元に戻った。
直後、カメラが写す前でやや大きい炎の塊が浮かび上がった。
「敵艦に命中を確認、機関停止の模様です」
ヘンリエッタの報告に、良いでしょう、とヨシノ艦長。
「実体弾、来ます。着弾まで十五秒」
さらに続けてのヘンリエッタの言葉に同じように、良いでしょう、とヨシノ艦長が応じる。
総員、ショックに備えてください、とヨシノ艦長が艦内放送を流す。
着弾まで、十秒。
「オットーさん、シールドモードの装甲への負荷をモニタリングしてください」
「了解」
着弾まで五秒。
着弾の時はヘルメットを通常の感度にしていると耳をやられる。なのでヘンリエッタはヘルメットの設定を変え、視線は思わずメインモニターを見ていた。
何も映っていない。宇宙の光景らしい。実体弾は大抵、黒く塗装され、通常な映像では宇宙の暗闇に飲まれる。
瞬間、コーン! と甲高い音が発令所に響き、艦がわずかに揺れた。
それだけだ。
「四つのうちの一つが着弾、三つは外れたようです」オットー軍曹が冷静に報告する。「装甲、何の問題もなく稼働しています。詳細なデータはセイメイがまとめています」
「では、例の戦闘艦を叩きましょう」
ヨシノ艦長の指示で、チャンドラセカルが短距離の準光速航行へ移るための計算が始まる。すでに潜航艦はビーム攻撃で航行不能なのは明白だった。
ヨシノ艦長が、まだどこか呆然として思わず彼を見ているヘンリエッタににっこりと笑って見せた。
「潜航艦の場所をよく割り出してくれました。さすがです」
「いえ」
そうとしか答えられなかった。
ヨシノ艦長は最初から、どこかに敵性艦、それも潜航艦が潜んでいると把握していたのだ、とやっとヘンリエッタの理解が追いついた。
もしヘンリエッタが発見できなかったら、どうしたのか。
攻撃を誘い、それで相手を捕捉したのか。
ヨシノ艦長は、謎が多い。
ヘンリエッタは自分の端末で、囮だった戦闘艦を殲滅する作戦に集中した。
マルケスの代わりのボルヘスが到着し、主にボルヘスが、囮だった一世代も前の戦闘艦を拿捕した。敵潜航艦も鹵獲されていた。こちらはやはり、エネルギービームの直撃で機関部を損傷し、漂流していたようだ。
戦闘が終わり、報告会議が終わってから、ヘンリエッタは食堂へ行ってみた。
さっきまで会議に加わってたはずのコウドウ准尉が、隅の方の席でグラスを傾けている。
声をかけようかと思ったけど、やめておいた。
コウドウは士官の中でもかなりの高齢で、同時にとっつきにくい感じなのだ。
離れた席で料理を食べつつ、彼を観察していると、後から二人の男性がやってきた。一人はイアン少佐、もう一人は医務官の助手をしているマルコ・ドガという、やはり老境に差し掛かった男性である。
この三人が静かに話しているのを横目に、ヘンリエッタは食事を終え、自分の部屋に戻った。
制服を脱いで寝台に横になり、明かりを消すと、かすかな音だけが部屋に満ちる。
循環器システムの駆動音。この艦だけの、不思議な音だ。
まるで、生きているみたい。
ヘンリエッタは気づくと眠りに落ちていた。
(第三部 了)
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