虚ろなリアル

クロイユウスケ

虚ろなリアル

 何故か僕は、床も壁も天井も白い部屋で、白い椅子に座っている。


 気付いたらここにいた。


 天井の蛍光灯は、白過ぎて青みがかったように見える。


 部屋には、僕以外にも九人が椅子に座っている。男が四人で女が五人だ。

 そして全員横一列に並んで座っている。


 僕も含めて、何故か全員同じ白い服を着ている。


 明らかに異様な光景だけど、僕を除いて、この状況に違和感を覚えている様子はない。

 彼らはぼんやりと前を眺めているだけだ。


 目の前の壁には、壁と同じ白色のドアがあり、ノブも同じ白色をしている。


 真っ白いノブの下にできた影が動いた。ノブが回っている。

 ゆっくりとノブが回りドアが開く。


 その開いたドアから、眼鏡を掛けた中年の主任風の男が入って来た。

 着ている服はやはり真っ白で、工場か何処かの作業着のようだ。


 男は、手元の帳簿を見ながら、

「カワムラユウタさんどうぞ」と言った。


 カワムラユウタ、僕の名前だ。


 訳が分からなかったが、促されるまま立ち上がり、真っ白な部屋を後にした。


 部屋を出ると、そこは長い通路になっていた。

 部屋と変わらず通路も白かった。

 そして蛍光灯は青みがかって見えた。


 男は歩きながら、カルテのような物を見つつ話しかけてきた。


「ここに来た動機は何ですか?」

「いや、それは……」


 気付いたらここにいたのだから、動機などあるわけがない。

 そもそも動機があってここに来たというなら、こっちが教えてもらいたい。


「いやいや、いいんですよ動機なんて。変な理想とか哲学なら無いほうが良いですし。お金が欲しいなら、ただお金が欲しいというだけで結構」

「金ですか?」

「ええ」

「金が貰えるんですか?」

「何をとぼけているんです? お金が欲しくてここで働こうと思ったのでしょう。採用されるかはまだ分からんですが」


 なるほど、ここは何かの仕事をする所で働けば金が貰えるのか。

 でも、僕はここで働きたいと思ってないし、第一何をするのか分からない。


 もうすぐ大学四年になるから就職先は探しているが、こんな異様なところは願い下げだ。


「色々種類があるので今日は見学だけでも結構ですよ」

「色々な種類?」

「ええ、今から案内するので、自分の目で見て確かめて下さい」


 通路を歩き、その先にあるエレベーターに乗る。エレベーターも白かった。蛍光灯は青白かった。


 エレベーターの階を示すボタンは、○△□などという記号になっていて、それが実際何階に相当するのか分からなかった。


 そもそも、自分が今何階にいるのかも分からない。


 男は、上から四番目の■のボタンを押した。

 一番下から数えると七階ということになる。

 疑う余地は多分にあるが、それしか今の僕には分からない。


 ■の階に到着して降りると、そこは何かの作業場になっていた。

 部屋のフロアをぐるっとベルトコンベアが丸く囲んでいる。


 その周りを一緒に来た主任風の男と同じ服装の人が、びっしりと取り囲んでいる。

 男も女もいたが比率は分からない。そして年齢も様々だった。


「ここが組み立てと解体の作業場です」と主任風の男は言った。


「これから作業時間になりますので、隅で見ていてください」

 そう言われたので、部屋の壁によりかかりながら作業を眺めることにした。


 ベルトコンベアの上には、凹と凸の形をしたブロックがびっしりと並んでいる。


 スピーカーからけたたましいブザーが鳴ると、ベルトコンベアが回り始めた。


 すると、組み立て役だろうか、一人が凹と凸のブロックを噛み合わせた。

 そして、その隣には解体役だろうか、一人が噛み合ったブロックを外した。

 その隣にはまた組み立て役の人がいる。

 これが交互に並んでコンベアを一周している。


 一体どういう事なのだろうか? 組み立てては崩してを繰り返しているだけだ。

 この作業に意味があるようには見えない。


「どういうことなんです?」

 思わず僕は尋ねた。


「どういうって、組み立てと解体の作業ですよ。組み立て役と解体役は日によって変えることが出来ます」

 主任風の男は、驚いたような表情をして答えた。


「これが仕事なんですか?」

「もちろんです。作業時間の八時間サボタージュせずに働けば給料を払います。社員なら月四十万程ですかね。ここは試用期間の者を除いては、全員正社員です。他の作業にも言えますが、福利厚生もちゃんとしていますし、良い職場だと思いますよ」

「はあ……」


 こんな意味の無い作業に、どうしてそんな金を払えるのか全く分からなかった。


 でも、そういった事を完全に無視すれば、四十万という金額は魅力的だと思った。


「その顔だとあまりお気に召さなかったようですね。次に行きましょう」


 そう言われ、一つ上の階に行くことになった。

 その階を示すエレベーターのボタンは◎だった。


 エレベーターを降りると、そこはどこかの一流企業のオフィスのようになっている。

 ただ、何もかもが相変わらず白く、蛍光灯も相変わらず青白い。

 ここでの作業も奇妙なものだった。


 部屋には大勢いたが、二人一組で作業をしているらしいことは分かった。


 背中合わせに席に着いた二人が、一冊のノートに何かを書いては、後ろ手で相手に渡し合って、何かのやりとりをしているからだ。


 互いに振り向くことも話すことも無く、ノートの交換を続けている。


「この作業は何です?」

「これは詳細化と簡略化の作業です」と主任風の男は答えた。


「詳細化役と簡略化役の二人ペアで、どちらからでもいいのですが、最初にノートに書いてある言葉を、詳細化なり簡略化して相手に渡します。後は時間まで詳細化と簡略化を繰り返します。交換した回数で給料が上下するので、先程の作業より稼ぐことも出来ますよ」


 作業の意味も分からなかったが、それ以上にどうしてこれで金を貰えるのか分からなかった。


 詳細化と簡略化の先に、何か展望があるなら分からなくもないが、彼らはノートを書き終わると、監督役に交換回数だけを数えてもらいノートを捨てていた。

「怪訝(けげん)な顔をしていますね。次に行きましょう」


 そう言われ、エレベーターに乗ってもう一つ上の▽のボタンの階に行った。


 エレベーターから降りると、何か熱気のようなものが伝わってきた。

 この階では大きな電光掲示板を前にして、大勢が机に着き一生懸命作業していた。

 その彼らの熱気が部屋中に漂っている。


 これは何をやっているか見た感じで大体分かった。

 電光掲示板に映し出される文字を書き取り、書き取り終わると机の横にあるボタンを押していたからだ。


 もちろん作業自体の意味は分からない。


 だが、その作業の様子を見る限り、一番早くボタンを押すことに何かしらの意味があるように見えた。


「書き写す速さを競っているんですね?」

 僕は少し得意気に訊いた。


「とんでもない! 速さなんて競っていませんよ」

 驚いた顔で主任風の男が答えた。


 一体どういうことなのだろう。


「この作業は、書き写しが終わってボタンを押せば全員お金がもらえます」

「はあ」

 自分にはどうしてもそう見えなかったが適当に頷いた。


「ただ、全員が答え終わらないと、次の問題が表示されませんが」


 その言葉で何となく状況が理解できた。

 書けば書くほど金が貰えるから、みんな一生懸命書いていたのだ。


 でも、作業をする彼らの顔には、少し怯えのようなものが見て取れた。

 何かを恐れて焦っているような。


 少し作業を見ているうちに、それが何なのか大よそ分かった。


 彼らは、一人遅れて周りに迷惑を掛けることを恐れているのだ。

 たまに文字列を写し間違えて書き直す人がいたが、周りから冷たい視線を浴びせられていた。


 こんな雰囲気の中で、そもそも意味の分からない作業を続けるなんて、まともな神経じゃ出来ないと僕は思った。


 その後もいくつか作業を案内された。


 二人が互いの足元にある水槽に入った水をバケツで移し合う作業。


 五人一組のグループに何かの選択肢が出され、全員が一致したら金がもらえる作業。


 他にも色々あったが、変わったものを見すぎて疲れたのか、記憶に残らなかった。


 一通り見終えると、主任風の男は、

「後日でも良いので、気に入ったのがあったら来て下さい」と言いい、エレベーターの*のボタンを押した。


 *のボタンは、一つだけ離れていて、一番上にちょこんとあった。


 ドアが開くと、相変わらず目の前は白かったが、通路の先は外に通じていた。


 僕がエレベーターを降りると、

「それでは機会があったらまた後日」と男はエレベーターの中から言い、手を振った後ドアを閉じた。


 通路を進むと、その先には、大学の通学で通る駅前商店街が、いつもと変わらず広がっていた。


 通りに出て後ろを振り返ると、そこはボロボロの小さな雑居ビルだった。


 そして僕が出てきたはずの通路は、くたびれた灰色のコンクリート壁に変わっていた。

 その壁の横には、所々錆びた郵便受けが備え付けられている。


 建物の中での出来事といい、今の出来事といい、全く理解が出来ない。


 しばらく辺りを伺っていたが、とりあえず目の前に広がる商店街だけは理解出来たので、駅まで歩き、電車に乗って家に帰ることにした。


 家に着くまで、いや、家に着いてからも建物の中での出来事について考えた。


 何故、僕はいきなりあそこにいたのだろうか。

 何故、あんなわけの分からない作業を、あそこの人達は平気で続けていたのだろうか。

 何故、あんな作業で結構良い給料が貰えるのだろうか。色々考えた。


 あれは何かの実験場で、裏では彼らの作業を元に、何か研究を行なっているのではないか、とか。


 あるいは、僕が作業の意味を理解できなかっただけで、あの作業にはちゃんとした意味があるのではないか、とか。


 でも結局、自分があそこにいた理由から何から全く分からなかった。


 一週間くらいの間、ベッドに入る度、建物でのことを思い出したし、夢にも出た。


 でも、一ヶ月もすると、あの建物での出来事自体が夢であったように感じるようになり、大学四年の中頃には、めったに思い出すこともなくなった。


 友人も含めて、周りの同級生の多くは就職が決まり、大学最後の年を悠々と過ごしている。


 こういう言い方をしている限り、僕はまだ就職先が決まっていないということになる。


 ゼミの友人の一人は、このまま大学院に進むらしい。

 さぼりの常習犯だった友人も、何かを見つけたらしく、卒業後はブラジルに行くらしい。


 そもそも、僕は何かをしたくて大学に入った訳ではなかった。

 大学にしても学部にしても、僕が受かりそうなところを受けたに過ぎなかった。

 周りに促されるまま大学に入ったのだ。


 就職先が決まらないまま、夏が過ぎた。


 僕は、大学に入った時から中高生向けの個人指導の学習塾でアルバイトをしている。

 そこの室長が、新しい教室を開校するので、そこで室長として働かないかと誘ってきた。


 やり慣れた仕事なのでそれも良いかなと思った。

 でも、返事は保留した。

 別に稼ぎが悪いからという訳じゃない。


 教室に通う生徒の人数で基本給が増えるので、七十人も通ってもらえば、十分生活することは出来る。


 その話の一週間後あたりに、高校からの友人が、会社を立ち上げたので一緒にやらないかと誘ってきた。

 僕は、とりあえず話だけでも聞いてみようと、後日会う約束をした。


 友人とは二日後、地元の喫茶店で会った。


 彼の話によると、現状は中古パソコンの販売が中心だが、イベント関連事業を現在育てているらしい。

 他にもいくつか計画を打ち明けられた。


 僕は話を聞きながら、楽しそうだが将来どうなるか分からないその会社と、面白みに欠けるが給料の安定した塾の室長とを心の中で天秤にかけた。


 そして僕は友人の勧誘を断った。

 それでも友人の熱心な勧誘は続いた。


 それを聞いているうちに、成功するにせよ、失敗するにせよ、何かに挑戦してみようという気に、僕は段々なっていった。


 結局、その場では答えを保留したが、その夜家で一人考えているうちに、やっぱりやってみようという気になり、友人に電話して会社で働くことになった。


 電話をしてから三日後に試しに働き始めたが、週に二度大学に行かねばならなかったので、大学の日は夕方だけ顔を出した。


 そのように過ごしながら、時々大学をさぼりはしたが卒業した。


 会社に入った最初の一年は辛かった。


 自転車操業状態で、狭いオフィスに何日も泊まり込みで働くこともあった。


 それに聞いていた内容とは違う仕事も多く、危ない橋を渡っているんじゃないかと思うこともあった。


 それでも、二年目には事業が軌道に乗り始め、そこそこの収益を上げるようになった。


 三年目になると、従業員も増え、勤務時間にも少し余裕を持てるようになった。


 僕は取締役になり、部下を働かせ、空いた時間を利用してもっと収益を上げる方法を考えた。


 そして、夜には酒を飲み、女の子とも人並みに遊んだ。

 全てとは言わないが、会社も生活も上手くいっていたと思う。


 でも、それからの事はあまり覚えていない。


 会社の規模もそこそこのものになったので、上場しようとしたような気がする。

 新しいことを始めようと、どこかから融資を受けたような気もする。

 今の自分には正確には分からない。


 多分、上を見すぎていたので、目の前の落とし穴に気づかなかったのかもしれない。

 もしくは、足元に注意し過ぎていたので、頭をしこたまぶつけたのかもしれない。


 あまりに多くの事が起きて、あまりに多くのものを失ったのは、ナイフが心臓に突き刺さるような現実として感じ取れた。


 気が付くと僕は、天井に青みがかった蛍光灯のある真っ白い部屋で、真っ白い椅子に座っていた。


 どうやって来たのか、いつ来たのか分からない。

 前に一度来たことがあるのは直ぐに思い出した。


 その時も、今と同じようなことを考えていたのを思い出した。

 全く、これはデジャヴじゃないか。

 でも何かが、何かが少し違う。


 この場に付属する何もかもは同じだが、何かが違うとだけ漠然と僕は思った。

 そして何故かは分からないが、だんだん頭がぼーっとしてきた。


 僕の意識はゆっくりと柔らかな微睡みの中に入り、そのまま遠のいていった。


 はっとして意識が戻ると、僕は真っ白な下りエスカレーターをひたすら昇り続けていた。

 僕は非常に驚いた。


 意識が戻る前も、エスカレーターを昇り続けていたらしいからだ。

 意識が戻った途端、足を取られて転びそうになったのがその証拠だ。


 でも、またすぐに昇る作業に戻った。

 時間までエスカレーターから降りても昇りきってもいけないからだ。


 横を見ると、何列も同じエスカレーターがあり、他の人も同じことをしている。

 みんな必死だ。


 この作業の意味? さあ? 分からない。

 でもそんなことはどうでもいい。考えたくも無い。

 これさえしていればいい。

 これさえしてればいいのだ……。


 何故かは分からないが、頭がまたぼーっとして微睡みの中に落ちそうになった。


 何だろう? すごく心地がいい。

 でも何かが変だ。そう何かが変なのだ。

 今度はもう、そのまま意識が戻らないかもしれない。

 そんな気がする……。

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