第69話 クラゲ

 俺は誰に問いかけるでもなくそう聞いてしまう。正確には自身のことをこの水族館そのものであるといった声の主に対して訊ねたのだが。


「はい。最も……かつてのような精密な管理はできません。そのせいで貴重な魚たちの多くが死んでしまいました」


 気落ちした様子でそういう声。何もいない水槽がいくつかあったのはそういうことだったようだ。


「でも……このクラゲ? は生きているみたいだが?」


 サヨはそう言って先程から水の中を漂っている半透明の生命体のようなものを見ている。


「そのクラゲは死なないのです」


「え……死なない?」


「はい。正確には死という概念がそのクラゲにはありません。そのクラゲは一定の年数が立つと自身の細胞を入れ替えて、若返るのです」


 ……よくわからない説明だったが、とにかく今目の前で浮かんでいる不思議な生命体が、かなり不可思議な存在だということだけは理解できた。


「私達と一緒ですね」


 そう言ったのは……クロミナだった。確かに、死という概念が存在しないという点では、人造人間と同じであると言うことが出来るかもしれない。


「えっと……他にも魚とかはいないの?」


「……すいません。恥ずかしい話なのですが、今お見せ出来るのは……そのクラゲだけなんですよ」


「あ……そうなんだ……」


 水族館はそれきり黙ってしまった。暗い水族館の中、水槽の中を音もなくクラゲだけが漂っている。


「……じゃあ、海から魚とかを釣ってくればいいんじゃないか?」


 サヨのその言葉に俺も思わず同意してしまう。確かに魚がいなければ新しい魚を釣ってくればいいのだ。


「……そうですね。それができればよかったのですが」


「あ……そうか。君はここから動けないからね……」


「それもあるのですが……海はもう……」


 悲しそうにそう言う声。なんだろう、海はもう……どうしたのだろうか?


「そういうことならば、さっさと海へ行こう。海までは後少しの距離なんだろう?」


「え、えぇ……そうですが……アナタ達は海へ行くんですか?」


「そうだ。海の向こうの大陸に行くからな」


 水族館の声は、しばらく何も答えなかった。俺たちは思わず顔を見合わせてしまう。


「……そうですか。では……実際に見たほうがいいかもしれませんね」


 水族館の声は意味深にそう言った。なんだろう……先程からの声の主の話を聞いていると……なんだか、あれほどまでに楽しみにしていた海を見ることが段々不安になってきた。


「ナオヤ、行くぞ」


 サヨにそう言われて、俺も行くことにした。


「皆さん……本日はお越しいただき、誠にありがとうございました」


 悲しそうな調子で水族館の声はそう言った。俺は今一度水槽の方を見る・


 暗闇の中でそこだけ明るく輝いているクラゲの水槽は……まるでかつての海の幻影のような……そんな感じがしたのであった。

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