FILE8 銃殺 6

 あまりにも痛ましかった。

 泣き暮れて謀殺の骸から離れようとしない抉殺を数人がかりで引き離し、蓮璉家ゆかりの者へ引き渡し今日に至るまで、銃殺の視界は不明瞭な群像でしかなかったが、力なく項垂れていた抉殺が突然銃殺の頬を強く打ったことで世界は急変した。

 場所は謀殺が拠点としていた邸宅。彼の訃報を聞いた殺人鬼クラブの面々が集まりかけた矢先のことである。

 謀殺の遺体はとっくに遺族――蝶咲家に引き渡されて、向こうで早々に通夜や葬儀の準備が執り行われている頃だろう。「蓮華と蓮凰が珍しく取り乱してる」と、目を伏せて虐殺が報告していた。戸籍上は謀殺……蓮璉慶の養子として扱われている遊殺、絞殺、扼殺だが、彼らは私生児に近い扱いの養子なので――なにせ彼が本家や家長に無断で引き入れた養子である――蝶咲家の集まりには顔を出さずに済ませるようだ。

 外の世界を知らない彼らをいきなり遺産相続の荒波に立たせるわけにはいかないと、毒殺と刺殺がそれとなく引き離した。そして公的な蓮璉慶の秘書扱いの抉殺は、これ以上ないくらいの錯乱具合だったので、彼の通夜、葬式には不参加である。

 集まった蓮璉家の別邸で、秘密裏に追悼しようと毒殺と銃殺が提案し、同胞たちもそれがいいと賛同した――そして、ことは起こった。

「あなたのせいよ!」

 しのびとして訓練を積んだ抉殺の渾身の張り手は、首がもげるかと思うほどの衝撃だった。しのびは能ある鷹、爪を隠すようにその本気は秘匿されるのが基本だが、その基本を忘れた抉殺はタガが外れていた。頭と身体が泣き別れにならなかったのは、それでも銃殺が裏社会で生き抜くために訓練していたからだろう。

「あなたが母親を殺すなんて馬鹿なことを謀殺様に言わなければ、謀殺様が自害なさることもなかった!」

 衝撃で床に倒れ伏した銃殺になおも追撃しようとする抉殺を、刺殺と毒殺が抑え込む。

「やめろ、抉殺!」

「抉殺さん!」

「なによ、あなたたちは彼女を擁護しようと言うの!?」

 成人男性ふたりがかりで抑え込んでも、抉殺は止まらない。研究三昧で引きこもりの毒殺だけならともかく、仕事のためにそれなりに鍛えている刺殺が加わっても抉殺の力に半ば負けかけている。

 今の抉殺は、銃殺を殺しかねない勢いだ。

「あなたも同罪よ、毒殺」

 ここまで錯乱する彼女を、彼らはついぞ見たことがなかった。丁寧な言葉遣いも、相手を思いやる誠意も、すべて主人を喪ったことでかなぐり捨てた。

「そしてあなたもよ、尾鷲鷹姫」

 その矛先は同胞だけでなく、かつては上司であり崇拝すべきだった頭領にさえ向く。

「あなたたちは見えていたはずよ、すべて。あなたたちなら止められた。何故謀殺様から銃を奪わなかったの? 何故無理矢理にでもねじ伏せようとしなかったの? あなたならできたでしょう、毒殺。すぐ近くにいたんだもの。あなたならできたでしょう、尾鷲鷹姫。すべてを知っていたんだもの」

 いつか、謀殺が言った。

 抉殺は感情の波がひどく乏しいと。凪ぐ海のように穏やかで、荒れることがないと。

 しかし凪いだ海でも些細なきっかけで荒れることがある。そして荒れたら――とんでもない津波となる。

 謀殺の死がそれだった。

 抉殺の凪いだ心を、荒れさせたきっかけだ。

 それも見えていてなお死を選んだの――謀殺さん?

 熱く痛む頬を押さえながら、銃殺は立ち上がる。

 狂信者は拠り所を喪うとこうなると、彼が予測できなかったわけがない。

 それとも、抉殺のここまでの狂信を、謀殺は看破できていなかったのか。

 あり得る。なにせ少々自身については過小評価しがちな男だった。自分がどれほどできる者なのかは理解していたが、その自分を他人がどう思っているか理解する――その配慮に欠けた男だった。

 こんなにも自分を慕っていたしもべの存在を遺して死んでしまうほどに。

「………………」

「なによ、殊勝らしく黙っちゃって。反省してるの? 後悔してるの? でも謀殺様は帰ってこない!」

 半狂乱だ。

 手の付けようがない。

「……わたしは」

 俯き、泣き出しそうになりながら、それでも銃殺は声を絞り出した。

「わたしは、自分が悪いとは思わない」

「なんて不遜な――」

「だって」

 銃殺の脳裏に浮かぶのは、謀殺の最後の姿。最期の言葉。

「だって謀殺さんは、わたしに幸せになってほしいって言ったのよ」

 幸せそうに笑いかけて、幸せを願って死んだ。

「謀殺さんと一緒のわたしは、謀殺さんの願い通りに生きる義務があるわ」

「傲慢よ!」

 再び銃殺の顔を狙って振り下ろされる抉殺の右手を、今度は、尾鷲鷹姫が止めた。

 今の今まで悲しんでいるのか怒っているのかもわからない表情で、殺人鬼クラブのメンバーでもない癖に馴染んでいた彼女が、行動を起こした。

 そして――行動を起こしたのは鷹姫だけではない。

 抉殺の左腕を虐殺が。

 抉殺の腰を遊殺が。

 抉殺の目の前に惨殺が。

 それぞれ抉殺を阻むように身を挺して止めようとしていた。

 その状況に直面して、抉殺が呻く。

「なによ――まるで私が悪者みたいじゃない……」

「抉殺さん」

 抉殺の左腕を掴んだ虐殺が眉根を寄せる。

「同胞を殺そうとしちゃ、駄目だよ……」

 遊殺も続く。

「同胞殺しはダメって、謀殺さんに教えてもらったよ」

 惨殺が指摘する。

「その右手のものは、即刻手放してください」

 彼が指摘した右手のもの――それは、苦無だった。

 抉殺は明らかな殺意を持って、銃殺を殺そうとしていたのだ。

「……鵺」

 鷹姫が呼ぶ。

 その名は、殺人鬼ではない彼女の名だ。否、そもそも彼女は――殺人鬼ではないのだ。

「きみはもう殺人鬼クラブのメンバーとは言えない。すぐに尾鷲忍軍に帰っておいで」

「私の帰る場所は謀殺様のお側だ!」

 叫ぶ抉殺は、身体に纏わる三人の女を振り払い、距離を取る。

 大した抵抗もなく、鷹姫も虐殺も遊殺も抉殺から離れたが、臨戦態勢は崩さない。虐殺と遊殺は銃殺を庇う姿勢を取り、鷹姫などはいつの間にやら抉殺の握る苦無と同じものを構えていた。

「………………」

 苦々しく歯を軋ませて抉殺は身を翻しドアへ向かう。

「……いいでしょう。わかりました。私はもう殺人鬼クラブのメンバーではありません。そしてあんな薄汚れた尾鷲忍軍のしのびでもありません。また日を改めて、馳せ参じるといたします」

 多勢に無勢であることを正しく認識し、場を改めるつもりだろう。

 銃殺を――殺すために。

 ドアの前で恭しく一礼し、抉殺は出て行った。

 その背を、絞殺と扼殺が追う。

「……あなたたちも、そっちに行くの?」

「まあね」

 銃殺が問うと、絞殺が答えた。

「ボクたち、抉殺さんに救われた義理があるんだ」

「アナタたちより断然、ワタシは抉殺さん派だよ」

 扼殺も続いて言う。

「だったら、恩に報いなきゃ」

「ねえヘンゼル」

「ねえグレーテル」

「じゃあねみんな」

「じゃあねみんな」

 言い残して姿を消したふたり――そして残った殺人鬼クラブのメンバーを見渡して、銃殺が口を開く。

「あの……みんな、わたしのせいでごめんなさ……」

「謝るのはナシだよ」

 言いかけた言葉を、刺殺が遮った。

「銃殺ちゃんは悪くない。かと言って抉殺ちゃんの主張が間違っているとも言えない。だから俺は好悪で動くよ」

 困ったように笑う刺殺は、珍しく真剣だった。

「謀殺が銃殺ちゃんに生きてほしいって願ったんだ。準ずるよ」

「好悪で言ったら銃殺さんより抉殺さんの方が好きだけど」

 虐殺がおもむろに発言する。

「さっきの抉殺さんを許すことはできない」

「あたしも同じ」

 遊殺が賛同する。

「仲間を殺したら、ダメだと思う」

「……ぼくは」

 惨殺が言いにくそうに呟く。

「ここが、帰る場所だから……」

「なあ銃殺」

 毒殺が銃殺へ向く。

 銃殺と共に謀殺の最期を見届けた、毒殺が。

「お前が悪いわけじゃないんだよ。あのひとは、いずれは父親を殺してたし、その際にきっと自分も死んでた。お前のせいじゃない。あのひとが、そういう終わり方しかできなかっただけだ」

「………………」

「あのひとは、死ななきゃ終われなかったんだ」

 謀殺にとって、死ぬことが唯一の終わりだった。

 終焉は、死ぬことでしか訪れなかった。

 きっと、父親を殺した後の自分が想像できなかったのだ。

 だから死んだ。

 自分を殺した。

「………………」

「向こうは、尾鷲忍軍きっての精鋭と、人体実験の被験体――それも特別な生物兵器。はっきり言って、きみたちの勝ち目は薄いよ」

 鷹姫が冷ややかに言い放つ。

 言っていることは全員が気付いていてなおかつ最も危惧すべき事案。

 戦える者が敵対したということ。

 対して残っている殺人鬼は、戦闘を得意とはしていない者たちばかり。

 まとめ役が死んだだけで、この体たらく。

 殺人鬼クラブは崩壊した。

 崩壊の末に始まるのは戦争と相場は決まっている。

 母親を殺して一段落したと思った矢先にこれだ。

 銃殺は深く溜息をついて、深呼吸をして、顔をあげた。

 その表情を見て、全員が息を呑んだ。

「勝ち目なんか薄くていいわ」

 ひとに安心をもたらす微笑。瞳だけが、蛇のように獰猛で。

 まるで謀殺の生き写しだった。

「だってわたしたちは殺人鬼なんだもの。勝つんじゃなくて、殺せばいいのよ」

 少女の地獄は、終わらない。


FILE8 銃殺 未完

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殺人記 巡ほたる @tubakiya

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