最終話 隣の席の日ノ宮さん=?①



 体育祭当日。

 引き直されたラインが気持ちいいグラウンドを見下ろし、伸びをする。


 照りつける日光が肌をじりじりと刺激して。

 雲がつくる影がたまの癒しだった。



「おはよ、光くん」



「おはよ」



 いつもと変わらぬ挨拶。頭に団色のハチマキを締めて、準備万端といった様子だが......



「どうして、チアの格好?」



「さっきまで練習があって、これから着替えるの。最終調整が必要で」



「へえ、大変だな」



 襟元に白ラインが入った青い衣装。

 白いスカートは丈が太ももの半分くらいまでしかなく、葵の細く健康的な脚が無防備に晒されている。



「それで踊るのか?」



「もちろん。あ、中にスパッツ履いてるから、見えるのを期待しても無駄だよ」



「別に......期待とかしてない」



 それにしても、よく似合っている。

 練習でも複数の男子生徒が見に来ていたというが。本番でもさぞ注目を集めることだろう。


 あまり見ていたせいか。

 葵はスカートの裾を引っ張る。

 ぱっと目を逸らして、誤魔化すように俺は口を開いた。



「あー、いきなり呼び出してごめん」



「ううん、大丈夫」



「葵に言いたいことがあって」



 できるだけ早く。

 そう続けると、葵は顔をさっと曇らせた。

 なにを言われるか、分かっているのだ。



「あはは、もうなんだあ」



「な、んで笑うんだよ」



「だって光くんが困った顔してるから」



「そりゃ困るだろ。こんなの、初めてだ」



「じゃあ、わたしは光くんの初めて?」



「そうだよ、悪いかよ」



「ううん......嬉しい、嬉しいよ」



 笑ってるのに、泣きそうで。

 喜んでるのに、悲しそうで。


 葵は瞳を潤ませて、それを決して見せないようにそっぽを向いた。



「光くん、言わないで」



「いや、言わせてほしい」



「......っ、なんで」



「これは、けじめだから」



 葵の気持ちに気づいていた。

 真剣で、純粋な想いを知っていた。

 なのに、安易に受け入れた。


 これは俺の責任だ。



「俺は、もう葵とは付き合えない」



 真っ直ぐに、俺は葵を見つめた。


 ひらひら、と。

 白いスカートを窓から入りこんだ風がさらう。生温い風が彼女の頰も撫でて。


 横を見るその頰に一筋の涙が、溢れなかった。



「ばあか、なんで光くんに振られなきゃいけないの!」



「......葵」



「言っとくけど、光くんじゃない。わたしが振ったんだから。そんな冴えない、マザコンで変態な光くんなんて、こっちから願い下げ!」



「マ、マザコンじゃない」



「ひののんが好きなくせに」



「......!!」



「あーあ、わたしと別れたって聞いたら、にいに大激怒だろうなあ」



「やば、藤原のこと忘れてた」



「一発じゃ済まないかもね」



 思わず頰を押さえる。

 藤原の力のほどは知らないが、運動ができないようには見えない。しかも、あれほど妹を溺愛しているのだ。


 ......無事では済まないだろう。



「まっ、せいぜい頑張ってね」



「......意地が悪いな」



「知らなかったの?」



 ふふん、と微笑む葵。


 毅然に振る舞ってはいる。

 しかし、目元はまだ寂しげで、俺を直視しようとしていない。


 申し訳なさがこみ上げる。

 こんなに深く傷つけてしまった。


 それでも、言わなければならなかった。



「とにかく、周りの人にはわたしから説明するから、光くんは余計なこと、言わないでね」



「葵......」



「それから、これ」



 葵が俺の手になにかを乗せる。

 柔らかい布。小さく折り畳まれ、端のほうには刺繍が入っている。これって──



「自分のは、ひののんに渡して」



「日ノ宮さん、に?」



「そう。それから、紙花が足りないの」



「......紙花?」



「うん。教室にあるから、取ってきて」



 葵がなにを考えているのか、分かってしまった。なにをさせたいのかも。


 そのうえで、俺は頭を下げる。

 葵は驚いたように、細く息を吸った。


 葵には感謝しても感謝しきれなかった。



「そんなこといいから、早く」



「あ、ああ」



「集合に間に合わないでしょ」



 追い出されるように空き教室を出る。

 手の中の布を握りしめて。


 去り際、葵に言う。



「藤原と、ちゃんと仲よくしろよ。お前ら、いい兄妹なんだから」



 葵は俺に届くか届かないかの、小さな声で答えた。



「......うるさい」


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