第31話 ママのまま①



「じゃあ、あの噂って」



「制服で夜の街にいたのは確か。だけど、それはなにかやましいことをしていたからじゃなくて、ただそこで暮らしていたからなんだよ」



「そう、そうだったんだね。そうとも知らず、クラスの子たち、ひののんに......」



「グループに微妙な雰囲気が流れてることは知ってる。もし日ノ宮さんがいわれもないことで陰口言われて、仲間外れにされているなら、どうにか守ってやってほしい」



 女子同士のいさかいには首を突っこめない。

 それに、下手に手出しをすれば、余計に事態を悪化させかねない。



「自分勝手だって分かってるけど、葵にしか頼めないんだ」



「......あのさ、仮にも自分の彼女に、別の女の子のことを頼むなんて。どれだけひどいことか、分かってるよね?」



 俺の顔を覗きこむ葵。

 薄茶色の瞳が物憂げに揺れる。



「ほんと、申し訳ない」



「......冗談だよ。それに、自分勝手なんて言わないで。わたしに話したのも、そうやって頭を下げるのも、ひののんのためでしょ」



「......ごめん」



「だから、謝らないで」



 わたしだって悪女じゃないんだよ。

 そう目を細めた葵は少し悲しそうで。



「じゃあ、代わりにわたしのお願い、聞いてくれる?」



「......俺にできることなら」



「光くんにしか、できないことだよ」



 葵は体育着の裾を伸ばして、口元をにやりとさせる。あれは悪いことを考えているときの顔だ。


 空き教室前を同じ体育着姿の生徒が通りすぎていく。今日はいよいよ体育祭の予行。明日に向けて士気高まる男子生徒たちが廊下を駆け抜けていった。





「このアイス、美味いな」



「ひとくちもーらいっ!」



「あ、勝手に」



「うんま!」



 やっぱ、夏はアイスだよね。

 そう言って、葵はまたひとくち俺のアイスをかじる。自分のアイスを放ったらかしに、俺のばっかり食べてるから、葵のバニラアイスはちょっとずつ溶けてきている。



「葵、よそ見してると服汚すぞ」



「あっ!」



「ほら、言ったそばから」



 ぽたぽた、と葵の体育着に垂れるアイス。

 瞬く間に広がり、胸元に白い染みができる。


 胸に校章、襟元に紺色のラインが入っただけのシンプルな体育着。葵の小学生と大差ない身体つきと相まって、なんとなくいかがわしい。



「もう、明日までに洗わなくっちゃ」



「そんなことより、それ。早く食べないと、また垂れる」



「うん、そだね」



 慌ててアイスを頬張る葵。


 小さな口に棒アイスをもごもごと。

 なんか、全部がエロく見えてきた......



「はい、次行くぞ次」



「ちょっ、ちょっとまだ」



 俺は残ったソーダアイスをひとかじり。

 夕方の車の多い通りへと足を向けた。


 葵のお願いとは放課後に遊ぶことだった。

 せっかく早めに下校できるのだから、と葵に促され、通り沿いの店を訪れる。まずはコンビニでアイスを買って、火照った身体を冷やした。


 もしかしたらこれはデート、ってやつなのかもしれない。


 そう思っていたのだが、葵はやけにテンションが高いだけで、変わった様子はない。ゲーセンに寄って、ぬいぐるみがとれなくて。ジュース片手に、レンタルショップに寄って。ただ馴れ合っているだけの時間が流れていく。



「そろそろ帰ろっか」



 暮れゆく空を見上げて、葵は小さく言う。

 傾いても夏の陽は痛い。



「そうだな」



 なんとなく。

 なんとなくだが、葵はもう気づいているのだろう。真夏を前にこの関係が終わってしまうことを。


 その細い背に、俺はなにも言えず。

 静かに家路に着いた。



「ただいま」



 誰もいないのに、そう言ってしまうあたり、俺も寂しいのだろう。ぐったり疲れた身体をなんとか動かして、廊下を進む。


 ふと見上げれば、リビングに明かりがついていた。しばらく遊んでいたから、もういい時間だ。父さんが帰ってきているのだろうか。


 ドアを開けて、固まった。

 いるはずのない人が、そこにいたから。



「日ノ宮さん......」


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