第29話 ママのママ①
「これでよし、と」
期末試験も終わり、体育祭まであと1週間。完成した看板を前に、葵は額の汗を拭う。
お疲れ、という声がどこそこで飛び交い、その度に葵は笑顔を返していた。人付き合いは苦手だと言っていたが、体育祭準備で顔見知りを増やすことはできたらしい。
そもそも見た目はいいのだから、人が寄ってこないはずがないのだ。
余った材料を片づけていると、教室後方の入り口からひとりの男子生徒が顔を覗かせる。藤原だ。
「どうした。昼休みは練習だったはずじゃ」
「話したいことがある」
「......?」
葵との関係に憤然としていた藤原だったが。お試し交際を始めてから、表面上は仲よく見せているためか、最近は特になにか言われることもなかった。
その藤原がなぜか焦りの表情で、わざわざ特別棟まで足を運んだとなれば。いい話ではなさそうだ。
「分かった、行くよ」
そう答えた瞬間、校内放送で生徒の呼び出しが入る。至急職員室に来るよう、事務的な声で伝える学年主任。
教師が呼んだのは、聞きなれた名前だった。
「話したいことって、これと関係ある?」
藤原に問うと、硬い顔で静かに頷いた。
教室に戻ると、生徒の目が一斉にこちらを向いた。みんな、なにか言いたげで。でも、どう聞けばいいのか、誰も彼もが周囲をうかがっていた。
「まあ、席着こ」
入り口で突っ立っていた俺を、藤原が後ろから押す。藤原の登場で、教室に張りつめていた緊張の糸が一気に緩んだ。
促され、藤原の隣の席に腰を下ろす。
座っても、視線は集中したまま。
直接目を向けず、耳だけを傾ける生徒まで。
「もう知ってるんだよ」
なにが、とは言えなかった。
これまでこんな空気に呑まれたことはなかった。関わってもこなかったというのに。
「そのうえで確認しておきたいんだが」
「ああ」
「ほんとに日ノ宮さんといっしょに暮らしてるんだな」
「ああ、そうだ」
「日ノ宮さんはお前の父親と」
「ちょ、ちょちょ、なんでそこまで」
「職員室で聞いたやつがいるんだよ」
どこから情報が漏れたのか、教員はすでに事実を把握。今は日ノ宮さんに確認し、午後には父さんへの聞き取りも行うらしい。
「信じられなかったよ。あの日ノ宮さんがまさか、って。でも、最近お前と仲がよかったのも納得がいったし、日ノ宮さんには昔からちょっとよくない噂があったからな」
「よくない、噂?」
「制服で夜の街を歩いてたって」
「そんな、ありえない」
日ノ宮さんが、そんな不良のような真似。
うちに来てからも夜に出歩くどころか、お菓子ひとつさえ確認をとって買いに行っていたというのに。
「少し前の話だし、信用に欠ける話だったから気にもとめなかったが」
こうなるとな、と口の端を下げる藤原。
俺は答えられなかった。
どうしていいか分からなかった。
ただ、日ノ宮さんの笑顔が頭にあった。
俺と仲よくなって、毎日楽しいと嬉しそうにしていた。あんなに幸せそうだったのに。
「お前は知ってたのか」
ふと、藤原が目線を上げる。
声は優しいのに、どこか責めるようで。
「......知ってたよ」
俺を追いかけて、教室棟まで走ってきたのだろう。息をするのも苦しそうだ。それでも、膝に手をつきながらも、葵は答えた。
そんな妹に兄はゆっくりとため息をついた。
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