第28話 仲よし子よし②



 日ノ宮さんの身体は温かい。

 風のない春の陽だまりのよう。

 その温度が手にじんわりと伝わる。



「日ノ宮さん」



「......ん?」



「料理しよう、これからたくさん。美味しいもの食べよう、いっしょに」



「ひ、かるくん......」



 事情はよく分からない。

 でも日ノ宮さんは飢えていた。


 家族になりたい、ママになりたい。

 そう言いながら、家族を求め、母親を求めていた。


 優しく背中をさする。


 すると瞳からぽろり、一筋の涙。

 日ノ宮さんは慌ててシンクに皿を置き、隠すように顔に手をやったのだが......


 相変わらず運が悪い。

 日ノ宮さんの持っていた碗型の皿が平皿にぶつかって、そこにたまっていた洗剤を飛ばした。



「ひゃっ......」



 幸い、直前の行動で顔や目は避けられた。しかし、泡は日ノ宮さんの身体へ。首筋から鎖骨。少しはだけたシャツの中にもかかってしまった。



「だ、大丈夫?」



「うん......ちょっとつめたいけど」



「待って、拭くものを」



 手近にあった布巾で、首を拭う。


 首元に指が触れて、ハッとした。

 今の日ノ宮さんはひどく扇情的だ。


 涙に潤んだ瞳。

 感情の高ぶりで火照った頬。


 白く緩い泡がするりと、鎖骨からその下の深い谷へと滑っていく。


 思わずごくり、と喉が鳴る。



「......ふふっ」



 そんな俺の感情を知ってか知らずか。

 突如、笑いはじめた日ノ宮さん。



「どうしたの?」



「いや、光くんとはこんなことばっかりだなあって。最初はバスタオル、次は国語のプリント。それからまたバスタオル、と」



 最後の回想で、日ノ宮さんはさらに顔を赤くする。自分で言っといて、その反応とは。



「胸を触らせようとしたことも忘れないでよ」



「あ、あれは......その......」



「寝ぼけた日ノ宮さんにベーコンと間違えられたこともあったよ」



「う......その度は、ごめんなさい」



 申し訳なさそうに眉根を寄せる日ノ宮さん。

 その間にも、さらに流れようとする泡を拭っていく。シャツの中に少し手を入れて。



「と、とにかく、この家に来て、光くんと仲よくなって、毎日が楽しいよ」



「そりゃ、どうも」



 ふにゅ、と沈む柔肌。

 いや、日ノ宮さん、警戒しなさすぎでは。

 今、胸に触ろうとしてるんですよ?


 あ、もしかして男と思ってないから。

 息子に触れられても平気ってやつか。


 俺は無防備な日ノ宮さんに、ちょっとだけ悪戯をしたくなった。



「日ノ宮さん」



「ん?」



「一応確認だけど」



「はい」



「シャツ脱がすよ」



「は、え、ちょっ、なに言って」



 やっと動揺した日ノ宮さん。

 シャツの襟を掴んで、上半身を軽く捻る。



「ふっ、冗談だよ」



 俺が吹き出すように笑うと、日ノ宮さんは安堵半分怒り半分といった様子で、俺の肩をぽこぽこ叩いた。



「そういえばこの前、駅前でみやちゃんに会ったんだが、大きくなってたぞ。立派に働いて。あの子があんなに成長したんだ、父さんも老けるわけだよなあ、と......どうした?」



 そこで、風呂上がりの父さんがリビングに入ってきた。俺たちはなんとなく気まずくて、互いに距離をとる。



「ずいぶん、仲がいいな。うんうん、いいことだ。父さんは嬉しい。光もこんなに大きくなってくれて、幸せだ」



 幸せだ。

 誰に言うでもなく、そう繰り返した父さん。


 俺も幸せだった。

 父さんも日ノ宮さんも笑顔で。


 この笑顔を壊さないために。

 俺は息子でなくてはならないのだ。


 たとえ、日ノ宮さんを女の子として見ていても。


 いつのまにか、そう思いはじめていた。


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