第26話 女子高生(試供品)②



「はい、あーん」



 カップルの甘酸っぱい昼下がり。

 というよりは、病人看護のように。


 葵は青色の箸でおかずを差し出す。

 もちろん彼女の手作りだ。



「やっぱり、恥ずかしいんだけど」



「もう、早く食べてよ。腕が疲れちゃう」



「はいはい」



 大きな唐揚げをひとくちで頬張る。

 正直、かなり美味い。

 うちのママとは大違いだ。



「美味しい?」



「まあ」



「んふ、よかった」



 にっこり安堵した葵は、弁当から小さめの唐揚げを選び、自分の口に運ぶ。もちろん同じ箸で。



「それ、間接キ......いいや、もう」



 うへへ、と笑っているところから見ると、わざとなのだろう。なんだか昨日から、あっちのペースに呑まれている気がする。



「それでなくても、敵が増えたってのに」



 葵が教室のど真ん中で彼氏彼女宣言してから、男子生徒の視線はさらに鋭くなっていて。授業を受けていても、飲みものを買いに行っても、なんとなく居心地が悪い。



「だから、こうして空き教室でご飯食べてるんでしょ。わたしも考えてるんだよ、一応」



「だったら、発言にも気をつけてほしかったよ」



「それは、ごめん」



「その調子で余計なことを言わないでくれよ」



「......分かってるってば」



 実際、葵は昨日の失態を猛省し、できる限りの配慮をしてくれていた。教室でむやみやたらに話しかけてこないし、体育祭の準備もひとりでやっているようだ。見せてもらった下書きはだいたい完成していて、明日には看板制作の生徒に渡せるだろう。



「あくまでこれは期間限定、お試しだから。それも忘れずに」



「もう、そんな悲しいこと言わないで」



 まだ始まったばかりなんだから。

 そう唇を尖らせる葵から箸を奪う。残った中で一番大きな唐揚げを、葵の口の前に。


 葵はちょっとためらって、それからぱくっとかぶりついた。目をうっすらと細める。少しは機嫌を直したようだった。





 5限目は保健体育だった。


 健康的な生活とは、生活習慣病とは、とかなんとか、教師が教壇で喋っているが。


 最終的には教科書に書いてあることをもとに保健体育ノートの空欄を埋めていくのが目標なので、生徒は適当に手を動かして、そのあとは各々私語をしたり、課題をしたり。


 しかし、日ノ宮さんは違う。

 教師の話にどきどき頷いては、ノートになにかをメモして。真面目というか、馬鹿正直というか。


 呆れて見ていると、その目がこちらを向く。



「どうしたの?」



「いや、えらいなあと思って」



「なにが?」



「授業を真面目に受けてて」



「そりゃあ、もうすぐ期末試験あるし、当たり前だよ。保健体育なんて、暗記するだけで点が得られる科目だし」



「まあ、そうだけどさ」



「それに......ママはいつでも真面目だからね!」



「真面目なだけってのも嫌だなあ」



「え、ほんとに......?」



「うーん、子どもを理解してくれなさそう」



「じゃあ......少し不真面目になります」



 日ノ宮さんはそう言って、シャーペンを置く。


 たった一言でこの調子だ。

 ママになるためなら、なんでもしそうだな。



「ついでに聞きたかったんだけど」



「お、おう」



「あ、葵ちゃんとの交際は真面目ですか、不真面目ですか」



「ま、真面目とは?」



「だって、ママに相談せずに付き合っただけじゃなく、公衆の面前であんなふうにイチャつくなんて。不純です」



「今どき、不純て」



「なんですか?」



「いえ」



 きっ、と目を吊り上げる日ノ宮さん。

 すごい迫力。いや、ママの貫禄か。


 しかし、すぐに眉尻を下げる。

 まんまるの瞳で、俺の顔をじーっと見つめて。日ノ宮さんは小さく呟いた。



「どうして、付き合ったの?」



「え......」



「あ、違うよ、違うから」



 一瞬、聞き間違いかと思った。

 でも、日ノ宮さんは慌てて誤魔化す。それは、ぽろっと出てしまった本音のようだった。



「喜んでないわけじゃないよ。ただ、彼女もいいけど、家族との時間も大事にしてほしいだけ。やっと認めてもらえたのに、ちょっと寂しかったから」



 まくしたてるように言う日ノ宮さん。

 身体の前でぶんぶん手を振って。隙間から覗いた顔はほんのり赤く染まっていた。


 あまりにも派手に動いたものだから、保健体育の教師に見咎められ、俺と日ノ宮さんは授業のあと、たんまり怒られた。


 ひどくしょげる日ノ宮さんには言えなかった。


 まさか、葵が日ノ宮さんのことを持ち出したとは。


 厚意による申し出を断られれば、ショックでうっかり日ノ宮さんのことを口にしてしまうかもしれない──


 そんな悪魔的な発言をしたとは。


 この交際が期間限定のお遊びであることだけが、今は救いだった。


 そして、いくら日ノ宮さんのためとはいえ、はっきり断れなかった自分が情けなくもあった。


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