第19話 間接キスの嵐①



 触り心地のいい肌だった。

 吸いつくような弾力をもつ日ノ宮さんのとは違って、葵の肌はさらりとして、ちょっと冷たい。


 クモを求めて、手をさらに進める。

 背中の真ん中あたりで小さな異物を発見した。

 手の甲でちょんと跳ねる。



「......い、いた?」



「いた。すぐ出すよ」



 ほっ、と葵が息をつく。

 普段はあんなに勝気なのに、こんなに小さなクモに怯えるなんて、意外だ。


 ほんの少し震える背中。早く解放してやろうと、手のひらでクモを囲いこむ。



「おーっと、アツアツ夫婦じゃありませんか」



 近くから面白がるような声。


 ぱっと顔を上げる。

 教室前方の入り口には遊佐と藤也が立っていた。


 学校でそれはマズいと思うよ、と遊佐。その頭を揺らして、空気を読めよ、と苦笑いする藤也。


 ......一番見られたくない場面を見られた。


 シャツから素早く手を抜く。

 同時に落ちてくるクモ。


 日ノ宮さんは慌てて衣服を整えるが、赤く染まった頰は隠しようがなかった。



「藤原に報告しとこっと」



 遊佐は右手に持っていた紙パックのストローを吸って、廊下を歩いていった。藤也が手刀で謝りながら、それを追う。


 これでは、俺と葵に関する誤解がより深まることになりそうだ。振り返ると、葵が申し訳なさそうに縮こまっていた。



「......大変なことになっちゃったね」





 葵のその言葉どおり、俺たちの交際の噂は次の日には学年中、その次の日には学校中に広まり、次の週には教師まで意味深な目でこちらを見てくるようになった。



「おい、藤原。なんてことしてくれたんだよ」



 月曜日の昼休憩。

 例の空き教室で紙花を折りながら、向かいの男に文句を垂れる。実行委員の藤原に、体育祭の装飾係を任されたのだ。



「反省してほしいよ、ほんと」



 横の机には、不満げな顔の葵。

 同じく実行委員に装飾係を押しつけられたらしい。ふたりして、こしゃくな罠に引っかかったというわけで。



「まあまあ、これが青春ってやつだよ」



 藤原の顔に白い紙花が飛んだ。

 葵のつくった花はどうも不格好で。

 藤原も笑みを浮かべたまま、手直しをしている。



「ジュースぐらいで許すと思うなよ」



 藤原が買ってきたジュースをひとくちすする。よりにもよって乳酸菌飲料。最近暑くなってきたというのに。


 隣の葵もすっかり夏服で。

 襟に紺の一本線が入ったシンプルな半袖は、セーラー服を思わせる清純さ。爽やかで、ショートヘアの葵によく似合っていた。


 葵も作業で暑くなってきたらしく、同じ乳酸菌飲料をぐびぐびとあおる。俺もまたひとくち飲んで、首を傾げる。


 これ、こんなに少なかったか。

 俺、半分以上飲んでたっけ?



「ああ、言い忘れてたけど......」



 藤原は手直しした紙花を真ん中に置いて。



「さっき、お前らのジュース入れ替えたんだった」



「なっ......」



 俺がなにか言うより前に、隣の椅子が動いた。

 茹でダコのような顔をして、白い紙花をわし掴みにする葵。


 その後、昼休憩が終わるまで、藤原は大量の紙花に埋もれたまま、その手直しに追われたのだった。


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