第18話 シャツの中の手②



「......祭の実行委員が......選出するので、自選他薦構いません。我こそはという人は......」



 放課後の教室は野郎どもで溢れかえっていた。

 教壇には藤原と他クラスの男子生徒が2人。来る7月に行われる体育祭について話し合っていた。


 リレー選手の選出の途中だというのに、生徒たちの関心は別にあるようで。



「なあ、藤原。お前のクラスの可愛い子がチアの格好するってほんとかよ」



「ばーか。そんなことばっか言ってると、お前にアンカー走らせるぞ、陸上部」



 違うクラスの男子を相手にしているというのに、藤原はまったく動じない。あいつ、実行委員なんてやってたんだな。


 生徒主体の行事といえど、委員の勝手にはできないだろうに。藤原はさっさと黒板に、その生徒のものと思しき名前を書いてしまった。


 まあ、周りの反応は悪くないのだから、間違った人選ではないのだろう。



「......光くん、あとでちょっといい?」



 話し合いも終わりかけ。

 今後の練習日程の連絡が行われる中、教室の後方の入り口から葵が顔を覗かせた。


 女子はもう終わったらしい。


 廊下側一番後ろの席に座っていた俺は、なんでもない顔をして頷く。葵は階段方向を指差して、去っていった。待ってる、という意味だろうか。



「どこで話す?」



 あまり待たせることなく、話し合いは終わった。窓から外を眺める葵に声をかけて、俺たちは空き教室に入った。普段は特別補習に使われている教室だ。



「まずは、おつかれ」



「おう」



「体育祭なんて、面倒くさいよね。一応ここ進学校なんだからさ、そんなに力入れる必要ないのに。妙に張りきっちゃって」



「そんなこと言って、やるんだろ、チア」



「あ、知ってるんだ」



「さっき、話し合いで聞いた」



「ふうん」



 あまり使われないせいか、教室にはちょこちょこ埃が溜まっている。意識的に避けるようにして、葵は窓に寄りかかった。


 さあーっと、夏の始めの風が吹く。

 顎の辺りまで伸びた髪が柔らかくなびいて、少し焼けた頰が露わになる。


 なだらかに丸みを帯びた額。つんとした鼻先。唇はふっくらとしていて、横から見たら大人っぽく見えなくもない。



「朝の話、だけど」



「ああ」



「もう1回確認するけど、ほんとのほんとに、ひののんとは付き合ってないの?」



「ひ、ひの......え?」



「日ノ宮さんのことだよ」



「日ノ宮さんと、仲いいの?」



「まさか、知らなかったの?」



「知らなかった......」



「移動クラスも体育も、お弁当もいっしょに食べてるじゃない」



「全然、見てなかった」



「......ひののん以外興味なし、か」



「というより、他人にあまり関心がない。日ノ宮さんも隣の席になるまでは知らなかった」



「ふうん」



 葵は意味ありげな目をして、窓枠を背に、こちらを向く。



「じゃあ、そんなひののんと、どうしていっしょに住むことになったの?」



「それが、ちょっと複雑なんだけど......」



 俺は今までの経緯を簡単に説明した。

 ここまでバレてしまったのなら、変に隠し立てせず、洗いざらい話してしまったほうがいい。日ノ宮さんと仲がいいなら、なおさら。そう考えたのだ。



「ひののんが、クラスメイトの父親と......」



「そんな、深刻な話じゃない。男女の仲じゃないとは聞いてるから」



「それはそうだとして、これからは違うでしょ。わたしは友だちだから受け入れても、光くんは受け入れられるの、ひののんが母親になること」



「受け入れるしかない。当人同士がそう願ってるなら」



「でも......クラスメイトだよ?」



 至極当たり前の意見だ。

 俺もしばらく苦しんだ。今も苦しんでる。


 でも結局のところ、俺には決められない。

 これは、父さんと日ノ宮さんの問題だ。



「このまま、静かに見守りたいんだ」



 むうと唇を尖らせて、腕を組む葵。なんとなく疑っている雰囲気だ。眉間にシワを寄せて、険しい表情を......いや、そんな不快そうな顔するか、普通。



「ひ、光くん」



「な、なんだよ」



「入っちゃった」



「なにが?」



「......も」



「はい?」



「クモが服の中に入っちゃった」



 嘘だろ、そんなことあるわけ......


 戸惑っているうちに、いやだいやだ、と葵が激しく暴れ出す。早く出そうとベストを持ち上げ、シャツをスカートから引っ張りだす。



「ちょっ、やだっ、動いてる。ひ、光くん、とって、このクモ、とってええ」



「はああ?」



 葵が背中を向け、シャツを上げる。背骨の浮いた白い肌が目に入って、がっと頭に血が上る感覚がした。



「光くん......とってえ」



 潤んだ瞳で懇願する葵。

 俺は唾をごくりと飲みこんで、手を伸ばした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る