第17話 シャツの中の手①



「あと、どれくらい?」



 斜め後ろから聞こえるか細い声。

 息も絶え絶えで、かなり聞きづらい。



「あと10分。これなら間に合いそうだ」



 時計を見ながら、そう返す。

 余裕があるから大丈夫かと思えば、日ノ宮さんは大きく落胆し、一気にスピードを落とした。



「もう、無理だよ。これ以上、走れない」



「あと少しだから」



「うう......きつい」



 少し速度を落として、振り返る。


 必死に走っているようだが。

 正直、早歩きでも抜かせそうだ。


 その遅さ、絶対それが原因でしょ。

 と、たゆんたゆん揺れるベストの膨らみを見る。



「おんぶ、しよっか」



「おん、......いいよ。もう荷物も持ってもらってるし、わたし、ほら、重いから」



「別にいいのに」



 まあ、背負ってるところを誰かに見られても困るんだけどね。それでも日ノ宮さんをおんぶしてみたかった感はある。



「やっと見えてきたあ」



 校門を前に、日ノ宮さんが笑った。


 朝方、準備に手間取り、慌てていた姿を思い出す。スカートのチャックも開いたままだったっけ。日ノ宮さんもあんなふうに焦るんだなあ。


 とにかくこれで、ふたり揃って遅刻とか。

 そんな疑われるような真似をせずに済む。



「ほんとごめんね、わたしのせいで」



「いや、勝手に部屋に入った俺も悪い」



 ふと、動きに合わせて揺れるスカート、その裾から露わになる太ももが目に入って。


 瞼の裏に、下着姿の日ノ宮さんがよみがえる。

 夢想を振り払うように、俺は頭を振った。



「俺が先に教室に行くから。日ノ宮さんは呼吸を整えて、落ち着いてから入ってくるといいよ」



「そうだね、ありがと」



 なんとか学校にたどり着いた俺と日ノ宮さん。

 靴箱の前で、今後の行動を打ち合わせる。


 ふたり同時に教室に入れば、あらぬ誤解を生む。

 昨日の今日だから、俺も面倒は起こしたくない。


 スリッパに履きかえて、教室に向かう。



「ふーん、やっぱりそういう仲なの」



 しかし、目の前に立ちはだかる壁。

 いや、まな板がいた。



「昨日は逃げられちゃったけど、今日は誤魔化されない。いっしょに住んで、いっしょに登校して。つまり、ふたりは付き合ってるんでしょ」



 腕を組んで、自信ありげに言い放つ葵。

 俺と日ノ宮さんをじとーっと見つめて。

 似合わないカップル、と呟いた。


 それに我慢ならなかった日ノ宮さん。

 俺の手からカバンを奪って、葵の正面に立つ。



「わたしと光くんはそういう関係じゃない。わたしは......わたしは......」



 ショートホームルーム前の生徒玄関は騒がしい。あと数分で予鈴が鳴るとあって、誰も彼もが急ぎ足で通り過ぎていく。


 そんな中で、日ノ宮さんの声は、ひときわ大きく響いた。



「桐人さんを慕っているから!!」



 ずきん、と胸が痛んだ。

 まただ。また日ノ宮さんは、迷いない、真っ直ぐな瞳で、父さんへの想いを口にする。



「き、桐人さん、って誰?」



 知らない名を出され、戸惑う葵。


 自分の中で突然湧き出た感情に驚く俺は、なにも考えずに答えてしまった。



「俺の、父親だ」



「......は?」



 その声に重なるようにして、予鈴が鳴り響いた。

 無機質な鐘が、波乱の幕開けを告げる──


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