第16話 葵、見ちゃったの②



 怒られた。

 授業中に堂々と居眠りなんて正気か、と学級担任に、そりゃもうすごい剣幕で。おそらく、数学の教師に報告を受けたのだろう。


 普段から不真面目というわけでもないのだから、気を引き締め直して、勉学に集中しろ、と。


 諭すような口ぶりだった。

 あんなふうに言われたのははじめてだ。


 放課後の校内をひとり歩く。

 外はまだ明るいが、帰りつく頃には日も傾くだろう。教室の荷物を取ると、気疲れで重い身体を引きずるようにして、学校を出た。



「えへっ、来ちゃった」



「なんで、ここに......」



 そんな俺を出迎えたのは、なんと葵だった。


 玄関前で家の様子を伺っているところを発見したのだ。俺はただちに葵を捕獲。少し離れた道路脇で事情を聞くことに。



「ジャージ、持ってきたの」



「別に、明日でもよかったのに」



「でも借りたものは早く返さなくっちゃ、ね」



「だからって、家に来るなんて。だいたい、どうして住所を知ってるんだよ」



「それは、まあ、いろいろと」



 へへ、と笑う葵。


 女子の情報網って怖え。

 いったいどこまで知られているのか。


 しかし、そんなことはどうでもいい。

 今のこの状況は非常にまずいのだ。


 家には日ノ宮さんがいる。


 先に帰ったのだから、今頃勉強しているか、風呂に入っているか。越してきてから、土地勘を養うためか、散歩に出ることもある。もし、このタイミングで日ノ宮さんが出てきたら......。


 とにかく、日ノ宮さんと葵が出くわすのは避けなければ。



「ところで、わたしにお茶でも飲んでいかないか、って聞かないの?」



「聞くわけないだろ」



「なっ、ひどい。せっかく来たのに」



「頼んでないから」



「今日のこと謝ろうと思ったのに」



「必要ない」



「これ、洗濯して、シワ伸ばしまでしてきたんだよ」



「はい、受け取ったよ。ありがとな。それではまた明日、さようなら!」



 葵の手から青い紙袋を奪い取る。

 取られた葵はあまりの早さに、ぽかんと口を開けたまま、動かない。


 だが、しばらくして目の色が変わった。

 握り締められる拳。上気する頰。


 殴られるかと思った。

 でも、違った。


 葵の視線は遥か彼方、俺の家。



「ま、待て待て待て。早まるな、葵」



「訪ねてきた乙女を無碍むげに扱うなんて」



「まあ、落ち着け。これにはわけが......」



「そんなの知らない。こうなったら、意地でも入ってやる。光くん家のリビングで、優雅にお茶を啜ってやる!」



 葵は玄関先まで戻り、ドアを開けようとする。

 俺はその手を止めて、ドアを押さえる。



「なにするのよう」

「お前がなにするんだ」

「ちょっと放してよ」

「お前が離せ」



 長い押し問答。

 息が上がろうが、髪が乱れようが、互いに一歩も譲らない。このまま、日が暮れてしまうんじゃないか、とすら思った、そのとき──



「うわっ」「きゃっ」



 内側から、ドアが唐突に開いた。

 俺と葵は驚いて、体勢を崩す。


 倒れる葵を支えるようにして振り返った俺の目に入ったのは、濡れた髪を拭きながらドアを開ける、日ノ宮さんのしどけない姿だった。


 見開かれる、赤みがかったまあるい瞳──



「あ......騒がしいなと思って、来てみただけなんだけど。不審者だったら、困るし。だけど、なんだかお邪魔しちゃった、ね?」



 ......また、勘違いされた。


 弁解する間もなく、玄関のドアは閉まった。

 俺たちは、あまりのショックに硬直したまま。



「あ、葵」



「......ん?」



「お前はここにいなかった」



「普通に、いるんだけど?」



「なにも見なかった」



「見ちゃったよ、ばっちり」



 ......だよな。


 葵の身体から手を離す。

 俺は痛む頭を片手で押さえた。


 葵に日ノ宮さんとの関係を知られた。しかも、よからぬ間柄と誤解されかねない場面を見られた。


 そして、日ノ宮さんにさらなる誤解を与えた。



「どうしてこうなったんだ......」



 この事態を、いったいどう収拾すればいいんだ。もう、俺には分からなかった。


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