第9話 曲がり角のまな板①



「いってらっしゃい、桐人さん」



「いってきます。気をつけて学校行くんだぞ」



「......父さんも、気をつけて」



「ああ」



 リビングから慌ただしく出ていく父親を日ノ宮さんとふたりで見送る。


 早くも制服姿の日ノ宮さんは、テーブルに置いてあった包みを手に、父さんを追いかけていった。


 昨晩こしらていたものだろう。

 なんとも献身的だ。


 玄関から戻ってきた日ノ宮さんは、口元を大いに緩ませていた。



「あ、光くんにもあるからね」



「それは、どうも」



「......あんまり嬉しくなさそう」



「いや、あの腕前を見た後だと、ね」



「こ、今回は頑張ったから!」



 勇しくも、ぐっと拳を見せる日ノ宮さん。

 その手は絆創膏だらけで痛々しい。


 本人も気づいたようで、ぱっと手を後ろに隠すと、何事もなかったかのように向かいに座った。そのまま朝食のトーストをかじるが、時折こちらをちらりちらりと伺う。


 昨日の夜から俺たちの間にはまた気まずい雰囲気が流れていた。


 まあ、当然といえば、当然だろう。


 食事の間もたいした話はせず、ただ日ノ宮さんの疑問に淡々と答えていく。だが、そのおかげか、日ノ宮さんもこの家について少し知ることができたようだった。



「あの、なにか気になったことがあったら、なんでも言ってね。頼みたいこととか。料理は......得意ではないけど、ほかの家事ならある程度できるよ」



「家事なら俺でもできる。今までも料理と洗濯とは俺の担当だったから」



「じゃあ、わたしにもなにか分担させて。このままじゃ、ただの居候になっちゃうから」



「......考えとく」



 残りのトーストを口に詰めこんで、立ち上がる。俺もそろそろ着替えないと、遅刻しそうだ。


 日ノ宮さんも食べ終えた皿を片づけて、カバンを持ち、俺を追うようにしてリビングを出る。念のため、俺たちは時間をずらして登校するようにしていた。


 いっしょにいるところを見られたら。

 それこそ疑われてしまう。


 日ノ宮さんは玄関に。

 俺は2階に上がる階段に。


 上がり際、とんとん、と靴を履く音が聞こえた。



「わたし、頑張るよ。絶対光くんのママになる」



 振り返ったときにはもう日ノ宮さんの姿はなく、揺れるポニーテールが扉の向こうに吸いこまれていくところだけが見えた。


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