第6話 ママのおっぱい②
気まずい午前も過ぎ、昼食休憩の時間になった。
俺は弁当を持って、いそいそと教室の隅に向かう。クラスでも比較的地味な俺は、無理に上を目指そうとせず、これまた地味なグループに交じって生活している。
これはクラス始めの頃から変わらない。
彼らの会話のほとんどは今期のアニメ批評、ゲームの攻略方法、推しのアイドルの最新情報、等々。
俺は漫画もゲームも好きだが、それほどではない。それでもこのグループに属しているのは単に居心地がいいだけに過ぎなかった。
「光はまた手作り弁当か」
いつものように無人になったクラスメイトの机を移動させていると、すでに隣の机を横にし、椅子に座っていた
「今日のおかずは?」
「煮込みハンバーグと卵焼き、それとほうれん草とベーコンの炒め物」
「相変わらず女子力高いなあ」
「別に、作り置きを入れてるだけだよ」
「作り置いてる時点で凄いから」
藤原は自分の弁当を机に広げながら言う。
藤原の弁当は母親の手作りで、見るからに凝っている。年頃の男が喜ぶ揚げ物に、バランスを考えたサラダ。上には綺麗なにんじんの飾り切り。端には葡萄やオレンジが入っていて、見た目にも味にも美味しそうな弁当。
見ていて、羨ましくなる。
「おっ、うまそ。葡萄もーらい!」
「また横取りか、
「こら、お前までやめろ、
藤原が慣れた動きでオレンジに伸びる手を制する。
葡萄を口に入れ、子どものように喜ぶ遊佐。
オレンジをゲットできず、肩を落とす藤也。
それぞれ、このグループのメンバーだ。
ふたりは購買でパンを買ってきたらしく、菓子パンや惣菜パンを複数個、それから自販機で購入した飲み物も手にしている。
「あーあ、俺も食べたかったなー」
藤也が唇を尖らせる。
だが、数秒後には昨日の推しの動画の話になるのだから、なんともお気楽なものだ。
ともあれ、こうして普段と変わらない昼が始まるのだ、と思っていたのだが──
「......あれ?」
机で弁当を広げ、俺は首を傾げる。
俺の弁当、こんなに小さかったか?
「光くん」
困惑する俺の後ろからか細い声。
振り返れば、同じく困った顔をする日ノ宮さん。
「ひ、日ノ宮さん、どうした?」
「今日、先生に頼まれごとしてたでしょ?」
「え、そんなこと言われなかった、」
思い当たることがなく、否定しようとしたが。
口を開いた瞬間の日ノ宮さんの表情。
俺ははたから見れば不自然なほど強引に頷いた。
「と思ったけど、頼まれてたな。すっかり忘れてた」
「確か、お弁当も持参だったよね」
「そ、そうだったな、うん」
促されるまま、また頷く。
こんな必死な日ノ宮さんには逆らえない。
それに大体の理由は把握している。
これは俺に非があることだ。
グループの面々を適当にごまかすと、俺は日ノ宮さんと連れだって教室を出た。クラスメイトの、特に日ノ宮さんが属するグループの視線が突き刺すように痛かったが、気にはしてられない。
なにせ日ノ宮さんが必死なのだから。
「とりあえず特別棟行こう」
廊下には、パンや飲み物を抱えて教室に戻る人の姿がちらほら。俺と日ノ宮さんはその目を避けるようにして、足早に通り過ぎる。
男女が弁当片手に教室を出るなんて、この奇妙な組み合わせも相まって、生徒の興味を引くこと間違いなしだ。
ふたりが人目を気にすることなく話すためには、特別棟に移動するほかない。
2年の教室は教室棟の3階にある。渡り廊下は2階にあるので、特別棟まで少し距離があった。その間も俺たちは無言で歩いた。
「ごめんね、日ノ宮さん」
特別棟にある第2化学室に入り、一番奥の実験机に並んで座ると、やっと一息。俺はまず謝った。
「そんな、謝ることじゃ」
「いや、恥ずかしかったでしょ、それ」
日ノ宮さんが持つ弁当を指差す。
白い布で包まれたそれは女子のものにしては明らかに大きい。それもそのはず。本来俺が開くべきものだったのだ。
「まあ、少し。友だちも驚いてた。いつもお昼はパンだったから、なおさらね」
「ほんと、申し訳ない」
どうせ弁当を作るなら1つも2つも変わらない。
そう言って渡した弁当だった。
日ノ宮さん用の弁当箱はなかったから、家にあった密閉容器に詰めて作ったのだが、渡すときに間違えたらしい。
昨日の詫びも兼ねていたのに。
余計に迷惑をかけてしまった。
「大丈夫だよ、うまく誤魔化せたと思うし、うん。このまま、用事を済ませたふりをして戻れば、なにも怪しまれないよ」
「そう、かな」
すでにあらぬ誤解を生んでいる気がするが。
特に日ノ宮さんのグループの方々とか。
「とにかく、お弁当食べよ」
楽しみにしてたんだ、と右手に持つ弁当を差し出す日ノ宮さん。まだ気持ちが晴れない俺の手から小さめの包みを奪い去ると、自分のを押しつけてくる。
「わあ、やっぱり美味しそう」
そしてすぐに布を解き、蓋を開く。
日ノ宮さんの瞳は爛々と輝いていた。
そんな様子に俺はつい笑ってしまう。
ここは日ノ宮さんに倣って食べることにしよう。
自分の弁当箱を開き、煮込みハンバーグをひとくち頬張ったところで。
「あ、そういえば、そのハンバーグ、端っこを少しだけかじっちゃったけど気にしないでね」
「......んぐっ」
そういうのは早く言ってほしかった。
もしかして、日ノ宮さん、天然なのか?
昨日も下着姿で脱衣所から出てきたし。
「この卵焼き、甘くて美味しい」
気にすることなく、ぱくぱくとおかずを口に運ぶ日ノ宮さん。大きな口でハンバーグをぱくり、唇の端についたソースをぺろりと舐めた。
可愛い。そして、エロい。
振り回してるのか、振り回されてるのか。
とにかく、作ってよかったと素直に思う。
「あとね、光くん」
「ん?」
ほうれん草を箸先で持ちあげ、日ノ宮さんは伏し目がちに口を開く。白い肌に長く落ちる睫毛の影。
「よかったら、さ」
「うん」
「わたしのおっぱい、触る?」
「ぶほっ、げほっ」
自分の耳を疑った。
......胸を、触る?
いったい、どうしてそんな話に?
問い返そうにも、激しくむせて言葉にならない。
日ノ宮さんはそんな俺もお構いなしに、ゆっくり箸を置くと、シャツの第1ボタンに手を伸ばした。
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