第3話 弓浜絣――岡谷・母の家〈大正時代〉



 

   1

 

 2927(昭和2)年3月18日午後11時――


 黒紅色の油を流したような諏訪湖に太陽の秘密の娘のような月が浮かんでいる。

 冬のあいだ、氷結した湖の饒舌な舞姫だった白鳥たちが「コーコーコー」と鳴きかわしながらシベリアへ飛び去ったあと、マガモ、ミコアイサなど寡黙な留鳥だけになった岸辺の闇は、武田信玄の水中墓伝説を信じたくなるほど濃密だった。


 着物の裾をからげ、韓紅色の覆いがついた雪下駄を脱ぎ捨てる。

 臙脂の足袋裸足で高さ5尺(150センチ)の石垣をよじのぼり、のっぺりした夜の水面を間近にすると、身体の奥から、すさまじい身ぶるいがつきあげてきた。


 ――10日前に入水した3人の女工たちも、同じ景色を眺めただろうか。


 互いの手足を腰ひもで結び、袂にいっぱいの小石を詰め、ここから飛び降りた。

 翌朝、人間の背より高い枯葦を倒しながら荒菰を巻いて引きあげられた遺骸は、ブチ猫の被毛のようなまだら雪がのこる冬枯れの桑畑の堅い凍土に寝かされた。


 ――どんなにか冷たく、苦しかったろう。


 17歳の小平春江の、追体験者としての五感がふるえる。

 うわさによれば、3人はいずれも「岡谷千本」(製糸場の煙突の数)を牽引するような優良工女だったが、そろって生家が貧しく、家庭の温もりに恵まれず、とりわけ、娘の稼ぎで遊び暮らす父親の放蕩に悩まされていたという。


 たどたどしい鉛筆書きの遺書には、異口同音に哀切な言葉がつづられていた。


 ――悲しみ多い人生に別れを告げ、仲良しの友だちと旅立ちます。わたしが死んだら家族みんなで助け合って暮らしてください。とくに父ちゃんにお願いします。これまでのことを悔いあらため、一所懸命に働いてむかしの身代をとりもどし、弟や妹たちを立派に育ててください。姉ちゃんは空からみんなを見守っています。


 どこもかしこも凍み割れる寒中の2月半ば、年末までの衣類や日用品を詰めた、重い行李を引きずって出てきた、東筑摩郡朝日村の山あいの生家がよみがえった。


 いまごろ父母や祖父母、弟妹たちは、灰をかぶせた燠が朝まで身体の芯をあたためてくれる囲炉裏のまわりに雑魚寝して、それぞれ白河夜船の真っ最中だろうか。


 家族のだれひとり、本当にだれひとり、家族のために糸取り稼ぎにきた長姉が、こんな夜更けに、こんな場所に、ひとりで立っているとはつゆ知らず……。


 海のような湖面を渡ってくるあいだに一寸刻みで冷気を加え、千本万本の針の束になって生物を凍えさせる寒風に、なす術もなく身を任せているとも知らず……。


 わたしは遺書すら書かなかった。

 残される人を思えば書けなかった。


 ――黙って弁天沖のシジミの餌になる。それがわたしの運命だったのだ。


 あらためて自分を納得させた春江は、ついに石垣から飛びおりる覚悟を固めた。


 ――さよなら、末吉さん。


 最後に恋しい面影を想い描き、目をつぶって一歩を踏み出そうとした。

 そのとき、地獄の窯のような湖面から、猛烈な寒風が吹きあげてきた。


 ――あっ!


 反射的に足をふんばると、不気味に赤い満月に、1本の標柱が浮かびあがった。

 

 ――ちょっとお待ち 思案にあまらば 母の家。

 

 湖水スレスレに立てられた寄る辺なき女そのもののように儚く頼りなげな木柱。

 ひときわ大きく墨書された「母」と「家」のふたつの文字が、なにがなんでもと入水一辺倒にとり憑かれていた春江を、はっとわれに返らせた。


 ――母ちゃん!


 寒風にちぎれた絶叫は、丸い月の舟を浮かべた湖水をつうっと滑っていった。

 

 

   2

 

 次の休日、春江は寄宿舎の室長に、外出許可を願い出た。


 山本忠治現業長の情婦とうわさされる飯塚むめ室長は、上まぶたに釣りあげられたような三白眼をすくいあげ、三十路半ばの厚化粧を皮肉に歪めかけたが、自らの逢引のあいだに起こった、先夜の監督不行き届きへのやましさがあるのだろう、

「まったく出歩きが好きな子だよ。用事ををすませたら、とっとと帰って来なよ」

 三日月形にしゃくれたあごを、不承不承に引いてみせた。


 ――丸山橋際。


 湖畔の標柱に記されていた表示を頼りに探し当てた「母の家」は、想像していたようないかめしい建物ではなく、ごくふつうの、2階建ての古びた仕舞屋だった。


 ――異郷で働く女工さんの悩み相談所。

  「岡谷の母」こと「母の家」。秘密厳守。


 玄関先の木の看板の隅に小さく加えられている「英語教授」の意味は理解できなかったが、「秘密厳守」に勇気を得た春江は、思いきって玄関の引き戸を開けた。


「ごめんくださいまし」

 おずおず声をかけると、

「はあい、ただいま」

 落ち着いた女声がかえってきた。


 鳥の羽根模様がめずらしい藍暖簾をかきわけるようにして顔をのぞかせたのは、中肉中背の50年輩の女性だった。春江からすれば、母というより祖母に近い年齢だが、着物の着つけや優雅な身ごなしに、実年齢を悟らせない気品が感じられる。


 もじもじしている様子を見てとった女性は気さくに声をかけてくれた。

「どこの女工さんかしら。わたしは『母の家』の代表をしている高浜竹世です」

 少し警戒した春江は、世慣れなさそのままの素朴な物言いをぶつけた。

「工場の名前は、ちょっと……。名前も、言わないと、いけませんか?」


 すると、白いのどをのけぞらせた高浜竹世は、コロコロと笑い声を転がせた。

「それはそうだよねえ。簡単に名乗れるくらいなら、こんなところには来ていないものね。さあさあ、そんなところに立っていないで、なかへ入ってちょうだい」


 ――自分から訪ねておきながら、ずいぶんな言い様だった。


 うつむけた顔を耳たぶまで赤く染めた春江は、ぎくしゃくと雪下駄を脱いだ。


 ――14歳の春から糸取りに出された。


 生来の手先の器用さから優良工女と呼ばれるようになり、いつしか一人前の働き手のように思いあがっていたけど、ちゃんとしたあいさつもできず、相手の気持ちを思いやることもできない自分は、まだまだ半人前、井の中の蛙だった……。


 製糸工場という狭い世界に生きてきた身を、痛烈に思い知らされていた。


 午前3時半の始業のベルでいっせいにたたき起こされると、着替えや洗顔の間も惜しんで飯場へ急行し、のどをやくほど熱い汁かけ飯をかきこんで作業場へ走る。


 80度の熱湯に指を入れっぱなしの実働14時間は監督する役所への建て前で、実際は朝夕30分ずつの時間延長が当たり前ゆえ、実質15時間の労働だった。


 日がな1日働きづめで、3日に一度の入浴だけが楽しみ。残りの2日は、常夏の作業場から真冬でも火鉢ひとつない宿舎にもどると、着替えもそこそこに垢だらけの煎餅布団にもぐり、ガチガチ歯を鳴らしてふるえているうちに寝入ってしまう。


 ――そんな生活を何年つづけようと、真の大人になどなれるはずなかったのだ。


 上がりがまちに膝をついて、脱いだ雪下駄をそろえる。

 ただそれだけの所作が、春江には無性に恥ずかしかった。

 われながら田舎くさい一挙手一投足を、2尺(60センチ)ほどの場所から竹世に観察されていると思うと、不甲斐ないわが身をかき消してしまいたかった。


 ――髪型も着物も手提げ袋も、なにもかも野暮くさく映っているにちがいない。


 男まさりな高浜竹世の面立ちを女らしく引き立てている弁柄色の虹彩は、春江の劣等感をあまさず照らし出さずにおかないような、怜悧で聡明な光を宿している。


 ――水呑み百姓と製糸工場。


 ふたつの世界しか知らない春江の目に、「社会活動家」を名乗る竹世はすぐれて異質な別世界の人間だった。

 

 

   3

 

 玄関横の6畳間が応接室になっているらしい。

 一般家庭と同じような炬燵がしつらえられていて、お茶道具が用意されている。

 変わっているのは、部屋の隅に座布団が積まれていることぐらいだった。


「今日は休業日でしょう。実家だと思って、ゆっくりしていってね」

 気やすく話しかけた竹世は、お茶をいれ、蜜柑をすすめてくれる。

「わたしの故郷の米子から送ってもらったの。あなた、鳥取県って知ってる?」


「あ、いえ……」

 春江があわてて首を横にふると、

「京都や大阪よりもっと西の、日本海側にある県。これといってなにもないところでね、岡谷よりずっと田舎だよ」

 竹世はことさらなタメ口で説明してくれた。


「そんなに遠いところから、なぜわざわざ信州へ? と思うでしょうね。ううん、いいの。ふつう思うよね。ご拝察のとおり、わたしなりに、いろいろあってね」

 まずは相談者の緊張をほぐすつもりなのだろう。

 竹世は問わず語りに自分の身の上を語り始めた。


 譜代の米子藩士だった生家は、ご多分に漏れず明治維新で零落。

 1875(明治8)年生まれの竹世は、食べるものに事欠いても教育だけは、と念ずる両親のはからいで米子女学校を卒業すると、看護婦になって家計を支えた。


 27歳のとき、入院患者だった4歳年上の詩人と恋に落ちた。

「わたしのひと目惚れ。当時の高浜長江は眉目秀麗の滴るような男前だったからね。毎日が夢のように甘くて、朝昼夕と、検温の時間が待ち遠しかったものよ」

 なんのてらいもなく打ち明ける竹世の初々しさに、春江は息を呑んだ。


 ――そんな昔にも新鮮な恋があった。


 当たり前のことが、にわかには信じがたい。


「相手が新進気鋭の詩人だから、結婚生活も相当に風変わりだったよ。世間一般の暮らしを軽んずる長江に、わたしもイソイソしたがって、そりゃあ楽しかったよ」

 そう惚気られても、詩人の結婚生活など糸取り娘の春江には想像すらつかない。


「詩心と義侠心を同居させていた長江は、独身時代の日清戦争につぎ、結婚直後の日露戦争にも自ら志願したの。わたしが止めるのも聞かずにね。そして無事に戦地から帰還すると、心機一転やり直すのだと言って、わたしを連れて東京に出たの」

「そういうご亭主さまだと、先生もたいへんでしたね」


 春江の口から「先生」という尊称が自然に出てきた。


「まあね。でも、惚れた人との道行きは、芝居のようにおもしろかったよ。東京へ出てからの長江は水を得た魚のようだった。松江中学の先輩の紹介で就職した青山学院で詩を教えながら、自身の文学活動も活発化させてね、『小羊』『酔後の花』などの詩集を出版したり、児玉花外先生と一緒に月刊文芸誌『火柱ほばしら』を創刊したり、松江中学時代の恩師の小泉八雲先生に捧げる詩集『煉獄)』を発刊したりして、妻のわたしの目から見ても、文句なく八面六臂の活躍ぶりだったの」

「あ、はい……」

 聞き慣れない固有名詞の連発に、春江は目をしばたたかせる。


「あなた、八雲先生の『怪談』はご存知?」

「いえ。す、すみません」

「いいのよ、あやまらなくて。知らないことはこれから覚えればいいんだから」

「ありがとうございます」


「小泉八雲先生はギリシャの方で、本名はパトリック・ラフカディオ・ハーンとおっしゃるの。夫人のセツさんは島根の没落士族の娘さんで、大事にしてくださる先生へのご恩返しにと日本の昔話を収集してご主人の研究を補佐された。つまり、名作の誉れが高い『怪談』は希日ぎにちの愛の結晶、国を越えた夫婦合作の労著なのよ」

「そう、なんですか……」


「ちなみに、幸運にも女学校へ進学できたわたしとちがい、セツさんは尋常小学校を出ると八雲先生宅の女中に雇われたんだけど、苦境にあっても本物は光を発するんだね。持ち前の優秀な頭脳と、さっぱりとした気風のよさを見初められたの」


 士族だの藩士の末裔だのと聞かされると、百姓娘の春江はますます肩身が狭い。

 だが、竹世は意にもかけず、さらっと補足してくれた。

「教え子の長江はね、その『怪談』の翻訳出版にも微力を貸してさしあげたのよ」

「なんだかすごいお話ですね」

 セツさんがすごいのか、労著の出版を手伝った長江がすごいのかわからないが、曖昧な相槌を打つ春江に、竹世はいたずらっぽい目つきで語り継いでくれた。


「退屈な話でごめんなさいね。相談をお聞きする側のことも、わかっていただいたほうがいいと思って。それにね、ここだけの話、だれにも打ち明けるというわけじゃないのよ。あなたならばと見込んだから、込み入った話もする気になったの。そうそう、あのころの長江が好んだのは『船頭小唄』だったって言ったらどう? 小むずかしい詩論をこねくりまわす一方では、けっこう、くだけた人だったのよ」


 茨城県出身の野口雨情、長野県出身の中山晋平の作詞作曲による有名な流行歌は女工仲間が歌っていたし、歌と縁遠い生家の両親や弟妹たちまで、野良仕事のあいまに「おれは河原の枯れ芒 同じお前も 枯れ芒 どうせ二人は この世では 花の咲かない 枯れ芒……」ことさらな哀調をこめて口ずさんでいたものだった。


「そのほか、革新系の新聞や雑誌にも海外の新しい詩を意欲的に紹介するなど、わたしが言うのもなんだけど、日本詩壇の担い手として期待していただいていたの。でも、ある日とつぜん、42歳の男盛りをばさっと断ちきられてしまった……」

「ええっ、そうだったんですか?!」


「時代が早かったんだね。いまのような肺炎の特効薬があったらと思うと、わたし口惜しくて……。子どもには恵まれなかったけど、その分、お互いに想い想われ、慕い慕われる、文字どおり相思相愛の夫婦だったんですもの、わたしたち……」


 惚気めいていた竹世の口調は、一気に憂いを帯びた。


 ――4つ下の先生は38歳。ひとり残され、どんなにか心細かったろう。


 身体に大きな穴が開いたような喪失感は、春江にも容易に推察できた。


「あの、わたし、なんて言ったらいいか、あの……」

 乏しい言葉の貯蓄を総動員させ、春江なりの慰めを口にしようとしたとき、ギーギーと派手に踏み板をきしませながら、荒っぽい足音が階段を駆けおりてきた。

 

 

   4

 

 廊下の障子が開き、四角い顔をぬっと突き出したのは四十路半ばの男だった。

「あれ、お客さん?」

 脂ぎった顔が放つ野放図な視線が、炬燵に半身を入れた春江を無遠慮になぶる。


 ――やだ、山本現業長みたい。


 脈絡もなく思ったら、ゾワッと鳥肌が立った。


「また、あなたはそんなぶしつけを……。ごめんなさい驚かせてしまって。いまの夫の関口雄吉よ。『母の家』を手伝ってくれながら、副業で英語を教えているの」


 ――いまの、副業……。


 率直な表現に春江はハラハラしたが、「竹世流」に慣れているのか、関口雄吉は顔色ひとつ変えず、ヘラヘラ値踏みするような目つきで春江をねめまわしている。


「ここはわたしひとりで大丈夫ですから、あなたは雨樋の修理をお願いしますよ」

 気負いも諂いもなく告げた竹世は、つと立ち上がって、静かに障子を閉めた。


「はいはい、わかりましたよ、施設長どの」

 なげやりな捨て台詞を残して関口が立ち去ると、竹世は肩を竦めてみせた。

「現在はごらんのとおりの体たらく。かつての相思相愛の片割れの、成れの果て」


 ――いえ、そんな……。


 言いかけて、春江はやめた。

 母や祖母のような先輩に、小娘がなにを言っても笑止千万だろう。

 ただ、ひと言だけ伝えたかった。


 ――女ひとりで生きてこられたのですから、それだけで十分に立派です。


 ついさっき会ったばかりの高浜竹世という風変わりな先達に早くも傾倒しかけている自分を、春江は不思議なものを見るように観察していた。


「頼る人とていない東京にひとりで放り出されたわたしは、自分の口ひとつを養う困難をあらためて思い知ることになったの。あの当時はほんとうに必死だったわ。手始めに琴の教授の看板をかかげてね、かつかつの糊口を凌ぎながら、看護婦時代の経験を生かして見つけたのが薬局勤めだった。全国各地に営業所をもつ薬販売店で働くようになり、長野の上田営業所で知り合ったのが8歳年下の関口だったの」

「あ、はい……」


「なんだか、ものすごく安直な話でしょう」

 米子藩士の末裔を名乗られたときは、鼻持ちならない矜持の高さを覚悟したが、いまの竹世にそんな嫌味は寸分も見当たらない。

 それどころか、過分に自虐の気配さえあった。


「上田のつぎに上諏訪営業所に転勤を命じられて、そのことが、のちに『母の家』を開設するきっかけになったんだから、人生、どう転ぶかわからないものだよね」

「そうだったのですか」


 故郷の村と岡谷の町しか知らない春江にとって、文字どおりの生々流転を歩んで来た竹世の懐旧譚はどこか現実ばなれしていて、祖父がうなる講談や浪花節、幼い弟妹たちがわれを忘れて見入る絵草紙のひとコマのようにしかひびかなかった。


「ああ見えてけっこう嫉妬深くて、前夫関連の話にはいい顔をしない関口には告げてないんだけどね、わたしのなかには、かねてより秘めていたものがあったの」

「秘めていたもの?」

「生前の長江が八雲先生と同じくらいの尊敬を寄せ、主宰される『独立評論』『国民雑誌』にも原稿を書かせていただいていた評論家の山路愛山先生が、かつて信濃毎日新聞主筆をつとめていらしたおり、諏訪地方の製糸女工が置かれている実態をわたしたち夫婦にもお話しくださった。長江はなにもできない自分を、それは口惜しがってね……。そのことが『母の家』の開設に至った遠因にもなっているの」


 ――山路愛山先生。


 教育熱心な信州にあって、地元新聞社の主筆は身近な尊敬の対象だった。

 耳に馴染んだ名前を初めて聞いた春江はうれしくなった。


「食べるに精いっぱいだった生活が落ち着くと、女工さんたちのことが気になり出してね、漫然と生きていては申し訳ない、いまこそ長江の遺志を継ぐときだと決意したの。それには箔をつけなければと、伝手をたどって長野県社会課の公認をとりつけ、『母の家』を開設したのは去年のいまごろ、1926(大正15)年3月のことだった。わたしは52歳になっていてね、人生最後のご奉公の覚悟だったの」


 若い春江の感覚でいえば、五十路はどっぷりと老年の域に踏み込んでいる。


 ――そんな歳になって新しいことに挑戦するなんて、すごい人だ。


 周囲の同年齢とひき比べた春江は、思わず驚愕の吐息をもらした。


「コツコツ貯めてきたお金で節約しながら凌いでいるうちに、今年の2月、東京で社会活動家の市川房枝先生をはじめとする篤志の先生方が『母の家後援会』という応援体制を整えてくださったの。あれはほんとうにありがたかったわ」


 ――市川房枝先生。


 またしても春江が知っている名前が出てきた。

 活字の世界に憧れ、『少女の友』『新しい婦人』などの雑誌を手当たりしだいに拾い読みしてきた経験が、こんな場面で生かされることが新鮮な感動でもある。


「万策尽きて自ら死を選ぶ女工さんたちがあとを断たない、諏訪湖畔や鉄道線路のわきに『ちょっとお待ち 思案に余らば 母の家』の標柱を立てたり、『異郷で働く30,000余人の女工さんたちのための唯一の相談機関。思案に余ることは何事によらずお話ください。秘密厳守。長野県社会課公認 婦人相談所 母の家』と書いた宣伝ビラを印刷し、工場の門前や街頭で配布したりの広報活動もつづけてきたの」


 ――そのひとつに、わたしも助けていただいたのです!


 まだ素直に打ち明ける気になれない春江は、のどもとの言葉を呑みこんだ。

 深い知性とゆたかな経験を物語る目じりの小皺をたわめている竹世に、


 ――まるで亡き長江先生が乗り移ったみたい。


 春江は会ったこともない長江の面影を見ていた。


「暮れには生糸相場が大暴落して、各工場は操業停止に追いこまれたでしょう。もっとも、そのころ、あなたがたは帰郷中だったでしょうけれど……」

 その大事件は、春江も朝日村の生家で知った。


「そこへもってきて、今年に入ると『職工登録制度』が廃止され、長いこと工女や工男を隷属させてきた旧弊がとりはらわれた。と思う間もなく、つい先日、3月14日には片岡蔵相の失言から金融恐慌が始まった。そんな緊迫した状況下で、経営者たちはピリピリ神経をとがらせている。当然ながら『母の家』への風当たりも強くなってきて、各工場がひそかに女工さんに出入りを禁じ始めたところだったので、今日のあなたの来訪は、当方としても、ことのほかに大歓迎というわけなの」


 ――自分のことだけにとらわれていたけど、そんな社会的な事情があったのか。


 視野の広さに感嘆した春江の肩から、いつのまにか無用な力みがぬけている。


「今度はあなたの番ね。さしつかえないところだけでいいから、気楽に話して」

 冷めたお茶を一気に飲みほした竹世は、新しいお茶を注ぎ足してくれた。

 

 

   5

 

「先生のご苦労にくらべれば、わたしなんか……」

 女ながらに大胆不敵な竹世の半生に引け目を感じながらも、春江は自分の小さな悩みを隠さずに打ち明けてみる気になった。


「わたしは小平春江といいます。14歳の春、先輩の姐さんたちに連れられ、初めて雪の塩尻峠を越えて以来、毎年、山中林組製糸場にお世話になっています」

 当初、警戒して氏名や工場の名前を告げなかったことは、きれいに忘れていた。


「村へ募集に来た男衆の話とちがって、正直、糸取りは楽な仕事ではありませんでした。給金をもらうのですから多少の苦労は当たり前かもしれませんが、明けても暮れても作業場と宿舎を行ったり来たりするだけで、熱い湯でブヨブヨにふやけた指が乾く間もなく検番に追いまくられる日々は、農作業とはまた別の苦労でした。慣れるまでははかがいきませんし、不良糸を出して叱られた夜は、煎餅布団にくるまり、ひそかに母の名を呼んでは忍び泣いたものです」


「うら若い乙女が異郷の空で、さぞつらかったでしょうね」

 すでに耳だこのはずの訴えにも、竹世は初めて聞くかのように共感してくれた。


「でも、よくしたもので、場数をこなすうちにコツのようなものがわかってきて、気づけば、あんなにいやでならなかった糸取りがおもしろくなっていて、2年目には優良工女として表彰してもらうまでになりました。同期では一番早かったです」

 かすかな自慢が匂ったのか、竹世の眸にチラリと翳のようなものが走った。


「だからといって、手が遅い仲間を見限ったりはせず、ときには検番の目を盗んで助けてあげました」

 急いでつけ加えたが、果たして竹世はビシッとたしなめてくれた。

「それはそうでしょう、工場内の女工さんたちの糸取りの速さ遅さなど、広い世間から見れば、それこそ取るに足りない些事ですからね」

 春江は全身をカッと熱くして、耳に痛い苦言を受け留めた。


 ――そうか。来る日も来る日も「速く取れ、多く取れ」とせかされつづけているうちにほかのことは頭に入らなくなり、目の前にできあがっていく糸の嵩が人間の価値だと思いこむようになっていたが、世間では通用しない考え方だったのだ。


「すみません……」

 蚊の鳴くような声であやまると、竹世はおおらかに慰めてくれた。

「あなたちのせいじゃない。自分の儲けのためにそういう仕組みをつくった人たちの仕業よ。でもね、そこに嵌ってしまったら、そういう人たちの思う壺でしょう」

「あ、はい……」


「そういえば、この正月、ご当地出身の劇作家の藤森成吉さんが、雑誌『改造』に発表した戯曲をご存知?」

「いいえ……」

 またしてもおのれの無知を思い知らされることになった。


「では、『何が彼女をそうさせたか』という流行語は?」

「あ、それなら知っています」

 春江はにわかに勢いこんだ。

 女工仲間がふざけて連発していた言葉だった。

「つまりは、そういうことなのよ、結局は」


 ――はぁ?


「非力な個人にはどうにも抗いようのない悪辣な力を働かせている、その社会こそが諸悪の根源である、ということ」


 ――非力、悪辣、諸悪、根源……。


 理屈っぽい単語の連発に、春江の丸い肩にはふたたび力が入った。

「だからね、責められるべきは社会であって、女工さんたちではないということ」

 それならわかるし、すんなり納得もできる。


「糸取りの量を競わせて利益をあげようと目論む経営者側の思惑にのせられ、速い遅いをそっくりそのまま人間の優劣と勘違いする女工さんたちに罪はないけれど、その実態を知ろうともしない怠惰な態度には罪がある。わかってくれるかしら?」


 またしても小むずかしい言葉が並んだが、もはや春江は抵抗を感じない。

 無知を責めず、やさしく目覚めをうながしてくれる竹世の真心がうれしかった。


「だれも諫めてくれなかったことを教えてくださいましてありがとうございます」

「春江さんは砂に水がしみるように素直に受け留めてくれるから、わたしとしても話し甲斐があるわ」

 

 

   6

 

 すっかり打ち解けたところで、春江はようやく問題の核心を口にした。


「先夜、わたし、ひとりで宿舎を脱け出して諏訪湖畔に行ったんです。ええ、死ぬ気でした。なにもかもいやになってしまって……。いよいよ身を投げようと思ったそのとき、湖水から猛烈な強風が吹きあげてきたので、思わず足をふんばっていました。死ぬつもりだったのですから、そのまま落ちればよかったのですけど、われながら浅ましいことには、急に地面にしがみつきたくなったのです」

「まあねえ、人間、そんなものでしょう」


「そのとき、暗い岸辺に月光がさしこみ、『母の家』の木柱を明々と照らし出したんです。『母』と『家』の文字を見たら、生家の母親の顔が思い浮かびました。子沢山の長女ゆえ、やさしくしてもらった記憶もない母ですが、糸取りに出した娘が自ら死を選んだと知れば、どんなにか悲しみ、一生、自分を責めつづけるだろう。そう思うと、仕出かそうとしていたことの重大さに、初めて思い至ったのです」


 竹世はなにも言わず、黙ってお茶を注ぎ足してくれた。

 渋い大鉢から同じ柄の小皿に取り分けた野沢菜づけが、鼈甲色をはなっている。


「因久山焼といってね、鳥取県の陶器なの。よかったらどうぞ」

「うわぁ、美味しい。この漬け物、先生のお手製ですか?」

「見よう見まねで温泉のお湯で洗ってみたら、こんなにやわらかくなって……」


 工業主たちにとっては文字どおり目の上のたん瘤の高浜竹世が、女工の処遇改善に心を砕く一方、1日も早く当地の暮らしに溶けこもうと努力していることが、地元で「お葉漬け」と呼ばれる素朴な郷土料理の完璧な習得ぶりからも読み取れる。


 よく漬かった茎の部分を健康な歯で噛み砕きながら、春江はつづきを開始した。

「末吉さんが守ってくれていたら、あんな気にはならなかったんですけど……」

「え、だれが?」

 竹世が口をはさんでくる。


「井上末吉さんといって、山中林組の検番です。といっても、わたしの班の担当ではないので、めったに話す機会もありませんでしたが、毎日、同じ作業場で顔を合わせるうちに想いあうようになり、人目を忍んで逢瀬をかさねる仲になりました」

「年頃の男女だもの、自然な成りゆきだよね」


「ふたりで所帯をもちたいと話していたんですが、それが上の知るところとなり、ある日、作業場を仕切る現業長に呼び出されました。職場恋愛禁止を申し渡されたうえ、将来ある末吉をやめさせたくなければ自分のものになれと迫られたのです」

「まあ、なんて卑怯な。ほんとにもう、ここの一部の男たちはどうしようもない」

「もちろん、きっぱり拒みました。でも、そのうちに、宿舎の室長の手引きで夜這いまでしかけてくるようになったのです」


 やれやれというように、竹世は深いため息をついた。

「もしかして、その室長さんとやらは、現業長の情婦?」

「ええっ、どうしてわかったんですか」

「だって、その手の話、このあたりの工場には掃いて捨てるほどあるもの。年増の室長が愛人をつなぎとめるために、自分の配下の女工を人身御供にさし出す。さし出すほうもさし出されるほうも、女だけ馬鹿を見る仕組みになっているんだよね」

「そうなんですか。わたしはてっきり、自分だけが不運なのかと思っていました」


 いささか拍子抜けした春江に、竹世は歳の離れた姉のように諭してくれた。

「だれにとっても、自分の身に起きたことは一番大きい出来事だし、いっとき混乱するのも無理はないよね。それを客観的に眺められるかは、度量しだいだけどね」

「度量って、なんですか?」

 無知を恥じる気持ちは消えていた。


「ものごとの本質を見ぬく力。本質というのは虚飾をとりはらった丸裸のすがた」

 このうえなく簡潔な竹世の説明に、春江は大きくうなずいた。


「では、人間的な度量を高めるためにはどうしたらいいか。それは一に勉強、二に勉強。といっても読み書き算盤ではなく、総合的な勉強のこと。もっとも効果的なのはなんといっても本を読むことだね。世の中の仕組みや多彩な人生やらを知り、それを尺度にして、広い視野で自分自身のすがたを見つめられるようになること」


「でも、わたし。小学校しか出ていないから、むずかしい本は……」

「それは言い訳。本は頭ではなく心で読むものなの。真剣に向き合う気になれば、漢字の向こうの真実がおのずから透けて見えてくる。それが読書というものなの」

 正鵠を射られた春江は、一瞬、鼻白んだが、すぐに気を取り直した。


「先生、どうかわたしをお導きください。翻弄されない人生をとりもどすために、どうかお願いします」

「もちろんよ。これからも時間が許す限り、『母の家』に通っていらっしゃいね。2階に置いてある本はどれでも自由に読んでいいし、宿舎に借りていってもいい。わからないことはなんでも訊いてね。わたしが『岡谷の母』になりますから」


「ほんとうですか! ありがとうございます。……で、いまのいまで厚かましいんですけど、末吉さんを一緒に連れてきてもいいでしょうか」

 春江の質問を、竹世は手を打たんばかりに歓迎してくれた。

「それがいいわ。女性の成長には男性の理解が不可欠だもの。ぜひ連れておいでなさい」


 話が弾んだところで、春江は思いきって訊いてみることにした。

「ひとつだけうかがってもいいでしょうか。いまも先生は前のご主人の長江先生を大切に想っていらっしゃるのに、なぜいまのご主人と一緒になられたのですか?」


 ぶしつけかとも案じられたが、竹世はいたって大人っぽい返答をくれた。

「それはそれ、これはこれ。いわば、生きていく方便である雄吉のとなりに臥しながら夢では長江と契って枕をぬらす。それもまた人生の妙味というものでしょう」

 春江は思わず障子の外をうかがったが、人の気配は感じられなかった。

 

 

   7

 

 その翌日――

 なにごともなく1日が始まった。

 朝まだ暗い午前3時半、始業のベルでたたき起こされると、洗顔や身づくろいもそこそこに飯場(食堂)へ急ぐ。

 埃だらけの食器棚から飯椀と汁、箸を取り出すと、賄婦がよそってくれた雑穀飯に熱い味噌汁をぶっかけ、消化器がやける感覚をこらえながら大急ぎでかきこむ。

 洗う手間はもちろん、そのための湯すら与えられていないので、茶色く煮しめたような布巾で拭っただけの食器を棚にもどすと、われ先に作業場へと走り出す。


 午前4時から午後7時まで、昼食と、午前午後1回ずつの休憩時間以外は慣れないうちは真っ赤になるほど熱いお湯に指をつけっぱなしで、日がな一日糸を取る。

 変わった動きをして検番の目を引かないよう気をつけながら、仲間の女工より1匁(3.75グラム)でも多く、金になる優良な糸を取ろうと自分を鼓舞しながら……。


 ――まるで糸取り戦争。


 初めて作業場の持ち場に座らされた当初は、四六時中強いられる緊張が苦痛でならず、この調子では半年ともつまいとだれしもが思うが、習うより慣れろの原則がここでも当てはまり、いつしか検番に見つからないように息を抜くコツを覚える。


 工業主や支配人、現業長など工場を仕切る男たちが隠語で「玉」と呼びあう女工をひとりあたり100名ずつ担当する検番は、出来高が少なかったり、多量の罰糸(不良糸)を出した女工は容赦なく戸外に引きずり出して、力まかせに蹴り上げたり、ケンネル(糸に撚りをかけるT字型の木製具)でひどく打ちすえたりした。


 ――工場は地獄で、回る検番は鬼か狂犬(検)よ。


 女工たちは『糸取り唄』で検番の非情を呪った。

 検番が鞭を呻らせながら通り過ぎると、それまで一心不乱を装っていた女工たちは、作業の騒音にまぎれて聞きとれないほどの小声で『糸取り唄』を口ずさむ。

 

 どうせ この身は 弁天沖の シジミのエサに なるわいナ

 バツ糸ひいても 弁天沖はおよし シジミのエサじゃ わしゃつらい

 糸は 節糸 糸目は出ない 弁天沖に行く気も さらにない

 そんな糸ひきゃ 弁天さまもきらい 汽車のカンカン なおきらい

 

 だが、末吉のように気弱で、年端もいかない娘が叱られるのを見るよりは、自分が蹴られたりするほうがましだと考えているような者も、一部にはたしかにいた。

 

 長い1日が暮れると、3日に一度の入浴が楽しみだった。

 2坪ほどの狭い湯舟の中で、10数人の女工がキャーキャーと騒ぎながら背中を流し合ったが、群れるのが苦手な春江は、いつもひとりで黙々と身体を洗った。


 夏なら、湯あがりに伊達な浴衣地の寝間着の腰に赤紐1本で夜風に吹かれるところだが、寒い季節は湯冷めしないよう、手早く髪を拭いて綿入れ半纏を着こむ。


 実際、体調を崩さないようにするのが、女工たちのもうひとつの大仕事だった。

 常夏の作業場でカラカラに乾いたのどを潤す間もなく風呂にとびこむのも危険きわまりなかったが、風呂がない日は、冬でも暖房がない酷寒の宿舎に直帰しなければならないので、昼間との温度差に腹痛を起こしたり、風邪を引いたり……。


 高い医者代は捻出できないので、実家から送ってもらった薬で治すしかないが、運わるく悪化した場合は、作業場や寄宿舎と遠くはなれた北側の隅にぽつんと隔離されている病舎に収容される。


 うわさによれば、そこは地獄絵図そのものだった。

 二度と生きて出て来れないと恐れられる病舎からの、数少ない生還者によれば、隙間風を防ぐ板戸も障子もないようなボロボロ畳の大広間に、20~30人の病人がズラッと寝かされているらしい。


 皮がやぶれて無惨に綿がはみ出たり、汚いシミがあったりする不衛生な煎餅布団の枕元には、それぞれの病人の、茶色や緑色の薬瓶と上履きが置かれている。


 ――稼がない者につかう金はない。


 露骨に言い放つ工業主からきつく費用が制限されているので、氷嚢に入れる氷はおろか、粥を炊く薪炭すら不足がちなありさまだという。

 そんな恐ろしい場所に追いやられたくないばかりに、無理に健康を装ってみせる女工もめずらしくなかった。

 

 一方、製糸工場には、糸取り専門の女工以外にも、さまざまな仕事を請け負う人たちが働いている。

 社長である工業主の下に、社員と呼ばれる同族の役員が配されており、その下に支配人、現業長、現業員(検番)、事務員、人事係(巡査あがりが多い)、門番、庭男、倉庫の雑婦、掃除婦、外部の嘱託医が往診する病舎付きの看護婦……。


 もっとも待遇が低いのは、女工より1時間早く起きて銀行の順番取り、作業場の掃除、むせかえるような悪臭がこもる繭蔵や煮繭場しゃけんじょう、汽缶場で蛹集めや火焚きにこき使われ、少しでもしくじると夕飯抜き、給金棒引き(もっともこれは女工も同じだったが)の罰が科せられる男工たちだった。

 

 

   8

 

 その夜、春江は日用の買い物と偽って室長から外出許可をもらい(すこぶるいやな顔をされたが)、末吉と待ち合わせた諏訪大社秋宮へと足を急がせていた。


 呉服屋、小間物屋、端切れ屋、古着屋、下駄屋、薬局などが、ほの暗い裸電球の下に寒々と商品を並べている通りには、よその工場の見知らぬ女工たちが、緋色や葡萄色のショールの襟元をかき合わせながら店頭を冷やかして歩いている。


 諏訪湖からの寒風が自在に吹きぬけてゆく小路の入り口には、貫禄たっぷりの三毛猫が居座ってにらみをきかせており、長い尻尾をたらし、うなだれて通り過ぎる黒犬に、恫喝の視線を送っている。


 末吉は先に来て待っていてくれた。

 いつだって春江を大事にしてくれる実直な男なのだが、ただひとつの欠点は強い相手に強く出ることができない、よくいえばやさしい、きびしくいえば優柔不断な性格だった。


「ねえ、末吉さん、決心をつけてくれた?」

 顔を見るなり、春江は訊いた。

「あ、うん……」

「末吉さんがしっかりしてくれないから、わたし、夜の諏訪湖へ……」

「そのことは勘弁。ほんとうにおれがわるかったから。な。このとおり」

 かぶっていたハンチングを脱いだ末吉は、深々と腰を折った。


「だからさ、言葉じゃなくて、行動で示してよ。たとえば、思いきって、わたしを連れて逃げるとかさ。さいわい父ちゃんが借りた前借金は去年で返し終えたから、わたしをしばるものはなにもない。いつだって自由になれるんだよ」

「そんなことは無理だよ。世話になった人たちに顔向けができなくなるもの」

「なら、わたしがあいつの餌食になってもいいの? あんた、平気なの?」

「だめだ、だれにもそんなことはさせねえ。春江、おめえはおれのもんだ」


 感極まった末吉は、いきなり春江に抱きついてきた。

 がっしりと上背がある末吉に抱かれると、春江は葉っぱにくるまる蓑虫になる。

「じゃあ、室長の手引きであいつが夜這いをかけてくる前に、なんとかしてよ」

「う、うん……。けど、なんとかといっても、なあ……」

 はっきりしない末吉に焦れた春江は、竹世から授けられたヒントを持ち出した。


「なにも手荒なことをしてくれとは言ってないよ。山本現業長の耳もとで『室長や複数の女工との件を『母の家』に話してもいいんですか。そのうえ春江にまでもとなると、かなり困ったことになりますよ。あそこにはネタに飢えた新聞記者も出入りしているそうですしね』って囁いてくれさえしたら、それだけで、あいつの中の暴れ虫はおとなしくなるはずだって、そう先生が教えてくれたよ」


「おれが、現業長を、脅すのか?」

 果たして、末吉は驚愕の目を瞠った。

 かまわず春江は、ここを先途とばかりに、さらなる説得を試みる。

「あのさあ、生真面目もことと場合によるよ。あっちが先に仕掛けてきたんだよ、こっちだってそれなりに対応しないと、何事も力のある人たちの言うがままになるだけじゃないの。先生がおっしゃるには、『正攻法だけが方策じゃないよ』って」


 ――いやはや、いつのまに女闘志のようなことを口にするようになったのか。


 マジマジと春江の顔を見ていた末吉は、心からの納得を言葉にしてくれた。

「たしかに。ど真ん中の直球は搦め手で交わす。それがいい方法かもしれないな」


 齢50歳の上司に、弱冠19歳の部下がモノ申す……というより脅迫する。

 前代未聞の事件は、工業主の耳に届くこともなく、闇に葬り去られるだろう。

 表面的にはなにも変わらないように見えたとしても、それでいい。


 少なくとも春江の当面の危険は去るうえ、頑丈な堤もかすかな亀裂から崩壊するように、女工たちが置かれている劣悪な環境が、わずかでも改善の方向に向かう、ささやかなきっかけになれば……。


 山中林組で一番おとなしいとされる検番の目の中で、静かな決意がゆらめいた。

 

 

   9

 

 4月10日――

 7年目に一度の御柱祭に当たる今年は、祭り見物がてら働きに来る「御柱工女」が引きもきらず、どの製糸場も例年になく、うれしい悲鳴をあげていた。


 その勇壮な祭りの中でも、数十万の群衆の熱狂が最高潮に達する下社木落としの当日とあって、岡谷から下諏訪にかけての沿道はごったがえすような騒ぎだった。


 ――ヤァーレー奥山の大木 里に下りて 神となる ヨーイサ ヤレヨーイサ


 高らかな木遣り唄とともに神山から曳きだされた4本の御柱が、


 ――伊勢明神 天照皇大神宮 八幡大菩薩 春日大明神 山の神が先達で 花の都へ 曳き付ける 三ケ耕地の 若い衆よ 力を合わせて 頼むぞ ヨーイサ ヤレヨーイサ


 いっそう景気づける木遣り唄にあおられながら棚木場たなきばで綱を渡り、


 ――これより曳き出し 神の力で お願いだ みなさまご無事で お願いだ


 蝶ヶ沢から曳き出し、萩倉で9町(100メートル)つづく山肌の35度の急斜面の頂上に、いましも落ちんばかりの風情で据えられると、


 ――山の神さま お願いだ 男綱女綱で お願いだ みなさま心を合わせて お願いだ


 突撃ラッパとともに、いよいよ祭り最大の見せ場の「木落とし」となる。

 

 春江は末吉と待ち合わせ、生涯に何度も経験できない祭り見物に出かけた。

「木落とし坂」まで2里あまりの道は、峠を目指す人波であふれかえっていた。

 沿道の民家では、見ず知らずの通行人にも酒をふるまうのが古くからの習わしで、この日のために倹約してきた貯蓄を、一気につかいきる気風が尊ばれている。


 赤い顔をした見物客に混じって上っていくと、「木落とし坂」の真下の広場に、まるで滝口でつかえた落ち葉のように、おびただしい老若男女が溜まっていた。


 ――トテ トテ トテティ トテ ティー!


 はるかに見上げる坂の上では、山の動物たちも逃げ出しそうなほど猛然たる突撃ラッパが鳴りひびき、いやがうえにも群衆の興奮をかきたてている。

 吹き手の調子に「オー、オー」とこぶしをふりあげて応えながら、首が痛くなるほど斜度のきつい坂を見上げる群衆は、いまや遅しと、山場の開始を待っている。


 そのとき、春江はだれかにポンと肩をたたかれた。

「あっ、先生!」

 姉さんかぶりで日除けをした高浜竹世が背の低い関口雄吉と並んで立っていた。

 馴れなれしく肩に触れたのが竹世ではなく雄吉だったことにこだわりながら、

「その節はお世話になりました」

 春江がお礼を言うと、竹世はとなりの末吉をたしかめながらうなずいてみせた。


「この方が末吉さんね。よかった。その様子では、もう大丈夫のようだね」

「ええ、おかげさまで。この人、勇気を出して現業長に言ってくれたんです」

 春江に袖を引かれて前へ出た末吉も、照れくさそうに頭を下げた。

「ふたりで『母の家』へあそびにいらっしゃいよ」

 竹世が誘うと、横から雄吉も口を添えた。

「そうだよ。『岡谷の母ちゃん』が待っているよ」


 竹世より8歳年下の男の言い方が、なんとなく癪にさわる。

「ありがとうございます。近いうちに本もお借りしたいですし……」

 春江が答えたとき、ひときわ高らかに突撃ラッパが鳴りひびいた。


 回転しながら落下する大木からふり落とされたり、下敷きになったりして、毎回死傷者が出るだけに、祭りを仕きる側と見物人が一体になって興奮の坩堝るつぼと化す「木落とし」の幕が、いまこそ切って落とされようとしていた。

 

 

   10

 

 6月10日――

 春江は末吉と連れだって「母の家」を訪ねた。


 高浜竹世の女工救済活動が定着するにつれ、岡谷の各製糸場の締めつけがきびしくなり、ふたりが働く山中林組でも、あらためて出入禁止の通達が出されたばかりだったので、ただ訪ねるだけでも、相当な覚悟を強いられた。


 玄関わきの応接室の炬燵はとり払われ、かわりに丸いちゃぶ台が置かれている。

 渋い因久山焼の小皿には、みごとな紅紫色に染まった梅漬けが光っていた。

 相変わらずきちんと身づくろいをした竹世は、少し疲れているようだった。


「なにしろ世の中がこんなでしょう。締めつけも日ごとに強くなってきてね」

 4月22日に銀行が一斉休業して3週間のモラトリアム(支払い延期)が発表されてから、未曽有の財政危機が始まっていた。製糸場の経営も困難になり、持って行き場のない鬱憤の捌け口は、このときとばかりに「母の家」に集中した。


「どこのだれとも知れない女性から、夜中に罵声の電話がかかってきたり、工業主側に抱きこまれた新聞記者のニセ報道にあおられた男たちが怒鳴りこんで来たり、岡谷座(映画館)で開催した慈善音楽会も妨害されたり、もう、さんざんなの」

「まあ、ひどい」

 春江は末吉と顔を見合わせた。


 不穏な空気を感じてはいたが、それほどまでとは知らなかった。

 狭い工場内で寝起きしていると、目覚ましい世間の動きからとり残され、知らないうちに渦に巻きこまれていても気づかずにいる怖さが、あらためて実感される。


「こんなご時世だから寄付金も集まらないらしくて、頼みの後援会の援助も滞りがちでね、わたしたちは主人の羽織袴や腕時計まで売り払って凌いでいるのに、儲け主義の人たちには他人もそう見えるらしく『表では奉仕活動といいながら、裏ではうまい汁を吸っているにちがいない』なんて、頭から疑ってかかっているみたい」


 際限のない「恨み節」は竹世らしくなかったが、それだけ追い詰められているのだろう。2階でも女たちの声がする仕舞屋を、春江はいたましい思いで見直した。


「そんなおりの5月18日、長野県の社会課がね、ある工場を抜き打ち視察してくれたの。先夜、突然死した女工さんを、翌早朝、家族の到着も待たずに、極秘裏に火葬に伏して問題になった製糸場のことは春江さんたちも知っているでしょう」

「警察では当初、死因は急逝脳溢血と発表したけど、実際は自殺だったとか……」

「そうなの。その件ではわたしたちも当の工場の責任者と警察署長に面会して難詰したけど、のらりくらりで交わされてしまって……。それを聞きつけた県の社会課が動いてくれたの」


 その結果、地元新聞の見出しに曰く、


 ――寝室、食堂、病室、その不潔さに係官も吃驚きっきょう


 というありさまだったという。


 さらに、いまわしい堕胎事件(複数の男たちと関係をもたされた女工を無理やり山梨県の産婆のもとへ連れて行った)まで発覚して厳重注意を促されたので、摘発のきっかけとなった「母の家」は当の工場側からおおいに恨まれることになった。


「それやこれやでね、予定していた雑誌の発刊も諦めざるをえなくなったの」

 眉間にたてじわを寄せた竹世は、白茶けたくちびるを口悔しそうに噛んだ。


 女工たちの教育や交流の場として「母の家」の機関誌を準備していたが、資金繰りの目処が立たず、周辺事情も悪化する一方なので、断念せざるを得ないという。


「たいへんだと思いますが、先生、女工のためにがんばってください」

 どう答えていいかわからず、春江が月並みな激励を述べると、

「先生が助けてくれなかったら、いまごろ春江ちゃんは、諏訪湖の蜆の餌になっていました。こうして元気でいられるのは、すべて先生と『母の家』のおかげです」

 ふだんは無口な末吉もめずらしく、精いっぱいの加勢をしてくれた。


 うれしそうにうなずいた竹世は、小鳥のように細い声で流行りの『諏訪小唄』(伊藤松雄作詞、中山晋平作曲)を口ずさみ始めた。

 

 ――恋のひとすじ 氷のみちも なんのつらかろ 御神渡り

   櫂に藻草が からもとままよ 諏訪の湖 恋のうみ……

 

 触れればひんやり冷たそうな奥二重は薄赤く潤んでいる。

 

 

   11

 

 そして迎えた8月は、長野県の製糸業界にとって動乱の月となった。

 まず盂蘭盆会が明けた8月16日、松本の片倉製糸で労働争議が勃発した。

 導かれるように、8月30日、岡谷の山中林組の労働者は罷業(ストライキ)を開始した。

 待遇改善を求める労働者側と拒む経営側は互いに一歩も引かず、罷業14日目にあたる9月12日、ついに経営者側は卑劣きわまりない懐柔策を弄する。


 長引く争議の慰安と騙されて街の映画館へ誘い出された女工たちは、工場の門を閉じられて行き場を失い、土砂降りの雨のなかを「母の家」と、周辺の関連施設に収容されることになった。

 濡れた雀の子のような女工たちを抱きしめた高浜竹世は人目も憚らず号泣した。


 罷業19日目の9月17日。

 山中林組の労働争議は経営者側の勝利となり、労働者側の「母の家」は閉鎖を迫られた。最後まで残った女工47名が車に分乗してそれぞれの生家へ帰郷したのが実質的な解散となった。

 

 

   12

 

 その年の12月31日――

 東筑摩郡朝日村の生家で、激動の年の大晦日を迎えた春江は、鳥取県米子の高浜竹世から小包みを受け取った。

 なつかしい筆跡の墨書に、1メートル四方の藍木綿が添えられている。

 

 ――お元気ですか。関口雄吉と別れたわたしはいま、博愛病院の近くの「西伯さいはく看護婦会」で派遣看護婦として働いています。志半ばで断念することになった「母の家」とは別の方向から、少しでも社会のお役に立てればと……。

 わたしの郷里が誇る弓浜絣ゆみはまがすりの風呂敷をお贈りします。全国津々浦々、土地の名産はあれど、藍と白の対照の美しさ、鳥の羽根のまるみに象徴される優美な曲線が織りなす素朴な味わいは、まさに天下無双と自負しています。

 亡き長江の遺志を継いだつもりの「母の家」には無念な最期を迎えさせてしまいましたが、わたしたちの拙い足跡まで幻にはしたくはありません。ひそかに同士と恃む春江さんに、この布を「母の家」の忘れ形見と思っていただきたく……。

 

 春江の脳裡に、はじめて訪ねた「母の家」の玄関先がまざまざとよみがえった。


 ――鳥の羽根模様の藍暖簾は、単身で信州へのりこんできた高浜竹世の旗指物はたさしものであり、応援幕でもあったのだ。


 たとえ獰猛な歴史の波が事実をなかったことにしようとしても、岡谷の丸山橋の袂でたしかに紡がれた1年半の軌跡は、燦然とした輝きを放ちつづけるだろう。


 ――先生、ご安心ください。末吉とわたしがかならず語り継いでゆきます。


 竹世の願いが籠もった弓浜絣を抱きしめた春江は、西方の空にかたく誓った。

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