「頭上の敵鬼…」~防人怪異交戦記録~

低迷アクション

第1話



「変だぞ?ここに森は無い…」


自衛隊普通科連隊の小隊所属“山伏(やまぶし)二等陸曹”は目の前に鬱蒼と広がる森の前で呟く。


この日、N県山間部で実施される夜間行軍演習では、89式小銃と暗視装置が支給されていた。実弾演習を行うため、全ての銃には実包(実弾)が装填されている。


それに参加する山伏達は、予定通りならば、山頂で待機する本隊と合流するために、この山を登らなければいけない。予定通りならばだ。


「しかし、衛星からも、ここに森がある事を示していますぜ?大将?」


相棒である八百(やお)一土が映画に出てくる小悪党のように顔を歪ませ、皮肉る。


「リアルタイムではな?だが、地図上では、ここに森は無い」


「古いんじゃないすか?何年のです?まぁ、何にしろ目の前の現実を信じましょうや?

小隊長も同じ事言いますぜ?“本隊との合流時間より1分の遅れが出ている”とか言ってね?防大出のエリートさんは時間にウルサイっすからね」


彼等の上司である小隊長の口調を真似た八百が山伏の先を行く。その背中に向け、彼は静かに呟いた。


「古い?…三十一年度の地図だぞ?」‥‥



 「行軍予定に変更はない。衛生画像にも森が映っている。地図に無かろうと問題ない。それとも2曹は森の専門家か?木々の成長速度に関しては、本部に戻ってから調べ、次の演習の時にでも、報告してくれ、以上だ!」


整ったヒゲを神経質に震わせた“小隊長”が不機嫌を露わに先へ進む。目指すのは勿論、眼前に広がる黒々とした森の中だ。


隣で八百が“ほらねっ?”と言った顔をするが、容易に納得は出来ない。確かに目の前に森はある。地図上にはないが、現実として存在するモノを、山伏とて否定しない。


だが、気になる。勿論、誰も気にしないが…無理もない。彼等は国家公務員、兵士ではなく、あくまで一般人の意識が根底にあるからだ。


(これが“実戦”なら、当然の懸案事項だがな…)


ルート上に存在しない森が現れれば、無理をしても迂回するだろう。例え、合流予定の時間に遅れようともだ…どんな不安要素、それこそ部隊全体の生死に関わる危険があるかわからない。


以前、関わった中東の戦場で似たような事があったのを思い出す。

作戦地域に向かう車輌部隊の前に、地図上にはない村が現れた。


衛生画像では存在している、砂漠にポツンと佇む村…指揮官は作戦を優先し、村を進む事を選んだ。結果として、それは失敗に終わる。


村は武装勢力によって作られた急ごしらえの待ち伏せポイントだった。ロケット弾と

7.62ミリ弾の高速弾が村に入った車輌に容赦なく襲い掛かり、破壊した。


一番最後尾の車両に乗っていた山伏は難を逃れたが、この襲撃によって8名が重軽傷、

指揮官と3名の兵士が死んだ。


あの戦場、肉と鉄の焦げる匂いを嗅いだ者なら、誰だって警戒する。だが、彼等では…


(しかし、ここは日本の山の中…戦場ではない。心配する事はないか…)


肩を竦め、部隊に続く八尾を見つめる自身の横を、山頂での爆破演習用の背嚢を積んだ

隊員がゆっくり通り過ぎていった…



 「確かに変かもっすね?この森…」


性格検査で落ちなければ、今頃、精鋭のレンジャー部隊にいるはずの八百が、

鼻をひくつかせ、山伏の隣で呟く。


「ほぼ、真っ暗で何もわかりませんが、俺の知ってる森ってのは、腐葉土とか、木から出る花粉で臭いやら、鼻がむず痒くなる筈ですぜ?」


暗視装置越しに見える景色は確かに森だが、嗅覚までは誤魔化せない。山伏も入った瞬間から、同様の疑問を覚えた。


「確かにそれもあるし、静かだ。風は吹いているが、木の囀りも虫の声もしない。

八百、ハチキューに実包を装填しておけよ」


油断なく言葉を返す山伏に、八百も静かに頷いた…



同じ頃…先頭を行く隊員達の間でも、異変が起きていた。


「報告します。小隊長、小谷と淀川、両2名の姿が見えません」


「無線はどうした?」


「呼びかけ応答ありません、また、本体との連絡も不能です。この辺り一帯が電波妨害を受けている模様です」


報告を行う隊員に続き、通信担当の隊員が動揺した声を上げる。指示を出そうとする小隊長の前に、血相を変えた新たな報告者が飛び出してくる。


「小隊長、田崎がっ、田崎が死にました。訳がわからねぇっ、急にピンと背筋伸びたと思ったら、体が消えて、後には…装備と服だけ…まるで、肉体だけ、どっかにいっちまったみたいに…!!」


そこまで喋る報告者が目を剥き、昏倒する。衛生隊員が駆け寄り、手当てを行う中、森のあちこちから悲鳴と、この事態に適切な指示を求める声が響く。勿論、宛先は全て小隊長である自身にだ。


「小隊長、指示を!」


「落ち着け!いなくなった隊員達に何か、逃亡する動機がなかったかを彼等と親交のあった隊員に聞いて…」


「小隊長!田崎は死んだんですよ。液体みたいに溶けて…」


「落ち着け!!深夜の森の中では集団発作的な事が起きる事があると事例では…」


「小隊長!!これは不明勢力からの武力行使では…?」


「馬鹿なっ!!!…日本国内だぞ?そもそもPKO派遣時、演習時での…」


「小隊長っ!!!!」


「落ち着け…とにかく…」


混乱する隊員達の中で、最早、小隊長である彼は教本に書いてある事例や対処法を、何とかこの事態に当てはめようとする事しか思いつかなかった…



 「大将!何だかヤバいですぜ?中村と御園谷の姿が見えねぇ、装備は残ってますが、本人いないし、他の奴等もだいぶ消えてます!」


「背中合わせだ!八百、残ってる隊員と前と後ろを見張って、元来た道を戻れ。銃は

いつでも撃てるように、安全装置を外しておくのを忘れるなっ!」


「了解っ!」


「しかし、2曹!は、発砲許可はっ!」


「死にてぇのかっ?」


「りょ、了解!」


愚問を飛ばす八百の隣に佇む隊員を怒鳴りつけ、背中に回らせる。近くにいる隊員達にも同様の動きを指示し、進んできた道を引き返させる。しかし、敵は一体何だ?


自分の目で見た訳ではないが、目撃した奴によれば、

体が急に消えたと言う。銃や爆薬による攻撃なら、必ず音がする。消音装置付きの銃を使えばだが、人間1人を消せる兵器なんて、最早SFだ。


状況は不明で、訳もわからない。だが、現に隊員は消えているし、まだ、小隊長と数名の隊員は前方に残っている。


「姿が見えれば、1発で仕留めてやるんだが…」


89式小銃をしっかり肩に当てた山伏は、そこで気づいた。


「‥‥随分、賑やかになったな」


隊員達の歩く音以外、何もしなかった森がざわめいている。木々の擦れる音か?上を見上げてみる。暗視装置越しでもわかる密集した木々によって、夜空が見えない事だけがわかる。


しかし、とにかく先程とはだいぶ状況が変わってきているようだ。それもマズイ流れの方に…


不意に聞こえた切迫音に顔を下げれば、顔面を恐怖に歪ませた隊員がこちらに走ってきている。山伏が声をかける前に彼はヒュッと直立した刹那…その体が消え、残された装備品が音を立てて地面に落ちた。


目の前の異常事態に一瞬取り乱すが、実際の戦闘ではどんな事だって起きる。混乱していては生き残れない。その経験がある山伏は呼吸を整え、冷静に状況を分析する事に努める。


(仲間が急に直立した感じは、何かに似ていた…そうだ。虫を標本にしようと捕まえ、

針を刺した時の痙攣と硬直…あれに近い。すると毒…それは何処から?さっきの連想からすると、非常に馬鹿げた感じはあるが、俺達が虫だとすると、それはっ)


「上だ!」


叫び、振り仰ぐ彼に聳え立つ、いや、立っていた木が地面から根を上げ、いや、根は張っていない。置いていただけらしい部分をゆっくり自分に振り下ろそうと迫ってきていた。


素早く飛び退り、地面に手を付いた山伏は連発にセットしていた小銃の引き金を引く。

発射された5.56ミリの弾丸は動く木に全て命中し、木片を勢いよく飛ばしながら、頭上に吸い込まれるように消えていく。


腰を屈めてようやくわかった。そもそも、ここの木は根を地面に張っている訳でない。もっと早く気づくべきだった。森ではないのだ。この森は…自分でも何を言ってるか、

わからなくなってきたが、恐らく正しい。目の前で、自分に向かって、根を、足を上げ始めた大木達がその証拠だ。弾倉(マガジン)を素早く交換し、新たに詰まった30発を敵の群れにバラ撒いていく。


それに呼応するように、連続した銃声に驚いた小隊長達が背後から現れ、目の前で動く木々に向かって銃を撃つ山伏を交互に見つめ、混乱筆頭である小隊長が精一杯の常識的発言を山伏にかます。


「2曹、何をしてる?発砲許可を出しておらんぞ!」


「…これは足もしくは奴の触腕、触手と考えれば…、

クソッ、コイツはどんだけ、でけぇんだ…」


「聞いておるのか、2曹!」


「馬鹿かっ?何処まで公務員気分だっ!?頭使えっ!目の前の状況を見ろ!」


制止の意味で肩に載せられた手を払い除け、小隊長に吠え返す。喋っている間にも、周りの木は地面から全身を上げ、その身を振り下ろそうと迫ってきている。原理はわからないが、あれに触れれば、人間の体は一瞬で溶解され、奴等の栄養だか、何だかになる筈だ。恐らく…


「と、とにかく発砲を止めろ。自然災害に関する対応法規として…」


うろたえ声の小隊長の首を掴んで、片手で締め上げる。全ては不確定だが、

これだけは言えた。


「災害じゃないっ!化け物だ。俺達はでけぇっ、一つの森くらいの大きさのモンスターの

腹の下にいるんだ。オチオチしてたら、他の隊員達みたいにお陀仏だ。


だから、全員で応戦して、何とか、ここから脱出する。俺が頭イカレてるかは、ここを生き残ってから、協議しな。


それに、おたくだって、これ以上部下を死なせたら、出世とか昇進逃すんじゃねぇのか?」


“出世”と“昇進”という小隊長にとって、最も効果がある現実的要素を叩き込んでやる。

効果は抜群だ。先程のうろたえはどこ吹く風、山伏の手から逃れた彼は、周りに集まった隊員達に激励し、発砲指示を行う。山伏もそれに被せるように声を張り合げる。


「奇数は(隊員達の所属番号)木を撃て!偶数隊は自分の頭の上だ!!」


森というより、怪物の腹の下で、隊員達の怒号と銃声が連続して響く。

今や、森全体が大きく騒めき、頭上からは詳細不明の液体が落ち、山伏達の迷彩服を汚していく。しかし…


「駄目だ、これだけじゃ足りないっ…」


相手は森一つ分の巨体…十数名の銃撃を喰らわした所で、擽られている程度の感覚しかないだろう。もっと大きな攻撃は…っ!?…森に入る前の状況を思い出し、山伏は周りの隊員を見渡す。いない…彼は一体何処に?


「2曹、助太刀に来ましたぜ!」


89式とは違う銃声が響き、5.56ミリ軽機関銃を装備した八百が銃弾を盛大に

撃ちながら、こちらに駆け寄ってくる。


「他の奴等は無事脱出、軽機は担当の奴から分捕ってきました。空からの衛星画像も変化しています。驚きました。コイツは馬鹿デケェ、化け物面のク…」


「もう、どうでもいい!お前は銃を撃ちながら、小隊長殿達を先導しろ!」


「了解、ですが、アンタはどうすんです?」


「探しモノだ!」…



 銃を撃ちまくる味方から離れ、山伏は地面と頭上を交互に見ながら、森の中を移動していた。彼が足を動かす度に、周りの木が持ち上がり、数秒後にはこちらに向かって落ちてくる。


勿論、銃で相手を蹴散らす事は忘れていない。そうして射撃を続けながら、ヘルメットに銃、装備、主を失った骸達の遺留品を拾っては、捨てるを繰り返す。


やがて…


「あったぞ!」


地面に転がる大き目の背嚢を拾い、中から演習用のC4爆薬と起爆剤を取り出す。手早く長方形の爆薬数本をケーブルで纏め上げ、起爆剤を装着した。


動きを止めた自分に周りの木々が持ち上がり、襲いかかってくる。それらを除けると、爆薬の束を力一杯、放り上げ、投げた方向に、弾倉に詰まった銃弾全てを叩き込む。


刹那、巨大な爆発が頭上で起きると共に体が勢いよく地面に叩きつけられた。と同時に

地震に近い振動が起き、周りの木々が逃げるように山伏の周りを通過していく。


轟音のような音が止んだ時…森は消え、自分と、その少し先の開けた場所に

八百、小隊長達が佇んでいる光景だけが残された。呆然とする自分達を夜の空に浮かんだ月がボンヤリと照らす。


「大丈夫っスか?2曹…」


「ああ、何とかな…C4があって良かった。アイツの腹を燃やしてやったぜ…」


「アレは…一体、何すか?」


「知るかっ!?何処の戦場でも見た事ねぇよっ」


吠える山伏に“察し…”と言わんばかりに肩を竦めた八百は、まだ何が起きたかわからないと言った状態で固まっている小隊長を含めた隊員達の元に戻っていく。辺りは静寂そのもの、先程までの戦闘が嘘のようだ。


だが、一体何人の同僚が死んだのか?この後、本体に合流し、どう、事態を報告する?

今回の戦闘は闇に葬りさられるのか?それとも、新たな事件が何処かでまた起きるのだろうか?…


わからない、とにかく生き残った今の自分に言える事は…山伏はもう一度、

生き残った隊員達に視線を投げた後、憎々し気に呟いた。


「こんなの…俺達の仕事じゃねぇよっ…」…(終)

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