経辰の家

安良巻祐介

零話

 花曇りの空の下、硝子窓から外を見やると、今日も経辰ふったちが、離れと母屋との間に渡された木製の架空カクウを、ゆっくりと歩いているのが見える。

 薄緑色の毛髪と、薄黒く染まったはだえとが、人間とそれとを分ける、遠くからでも一番わかりやすい記号であるが、近づいて目を凝らせば――それに近づく機会が、世間の人にあればだが――萎えたように奇妙に細長い手指の先に、無数の鱗紋様が生じているのもわかるだろう。或いは、どこを見ているか知れぬその双眸をじっと見つめたなら、深緑の色に沈んだ瞳が、円形ではなく、螺旋状になっていることに気が付くだろう。

 何処まで行っても尽きない黒板塀くろいたべいが延々と続く道の先、突き当たったところに、押し黙るようにして、「大屋敷」は建っていた。

 そこに棲んでいる、いやさ幽閉されているこの奇妙なるすえは、人のかたちをしていながら、人であることを許されなかった存在だった。

 屋敷の係累全てが死に絶えたのち、知人伝いで「大屋敷」と経辰の管理を委託された私についても、殉職に近い形で除疫所を辞して以降は、配給霊水で腐れ身を長らえている、いわゆる溝出みぞいだし――動く骸、文字通りの半死人――なのだから、今やこの家に、尋常の人間はいないと言ってよい。

 今の世の中では、そういった旧家が方々にあって、中央の方では凶兆の一種として警戒しているという話もあったが、私などにはどうでもよかった。

 ただ、老後ならぬ死後の暇を持て余して、この、ほとんど誰も来ない家と経辰とを、引き受けただけに過ぎない。

 そもそも、管理と言って何をするでもない、ここには電気も水も、火すらも通じていないのだから、それらに気を配る必要もなく、蛍黴ホタルカビの溜光を利用した、ぼんやりと仄明るい幽靈ラムプの下で、日がな一日、本でも読んでいればよかった。

 本ばかりは、無闇にあるのだ、この屋敷は。

 だから、それらの頁を繰り、この家にまつわる取り留めもない妄想に耽るのが、いつの間にか、日課になっていた。

 土地記録や家系図の類は、家人たちが生前に焼き捨ててしまったらしく、何も残されていないが、無数の蔵書や日記の断片が、この古めかしい家と、一人遺された経辰にまつわるあれこれを、はっきりしない輪郭で述べ立てていた。

 それらは、記録というよりも詩文であったり、偏執狂パラノイヤの覚書のようなものだったりで、甚だ心もとない記述であったが、何とか情報を統合するに、そもそもの発端は土地にあった猿神伝説や、託宣をする「くだん」の伝承にあやかって、畸形な猿類の仔を人のように育てたものが始まりらしい。

 そして、そこからがいっそう曖昧になるのだが、どうも一族は託宣のために、特殊な時辰儀のようなものを誂えたようだ。

 その過程で、時辰儀の意匠に組み込もうとしたたつ――瑞祥となる龍種の、霊か遺伝子か、兎に角ただの意匠でない、生の情報が、誤って混じり込んでしまったために、器械は正しい時を示さなくなった。

 それどころか、座に据えた畸形の仔と、その器械とがよくない反応を起こし、挙句の果て、あのような、得体の知れないものの誕生と相成ったと、乱暴にまとめるならば、そういうことらしいのだ。

 まとめたところで、何かが解決するわけでも、毎日ああやって屋敷内を、朦朧と徘徊し続ける経辰との暮らしの、何かの役に立つわけでもないが、しょせん私は探偵や作家ではなく、余生の溝出に過ぎないのだから、それで十分だった。

 黴臭い灯の下で、黴臭い本を閉じ、ふうと息をついて、冷たい瞼を閉じると、きし、きし、きい、きし、と、経辰が渡る架空カクウの軋む感覚が、かすかに伝わってくる。

 青写真を引く時、家の久遠を願って、縁起の良い図案に倣った、無用の通路や架け橋などを、大工があたかも本当に造りつけたかのように、かたちだけ記録するのが、本来の架空カクウの意図であるが、どういうわけか、この「大屋敷」においては、それがそのまま、母屋と離れとの間へ、木材を用いて実際掛け渡されていて、経辰はその上を、思案しながら歩き回るのが好きらしかった。

『向こう八千八百八丁、全て、近く、滅びたもう』

 経辰は、よく、そう言って笑った。

 猿の仔を祖としているにしては、奇妙に整いすぎたその童女のような顔、しかしあおぐろく浮腫んだ私の骸顔むくろがおに負けないくらい不吉な色をした膚、それらが生み出す、見るものを不安にさせる不均衡アンヴァランス

「くだん」の伝承を想うならば、経辰の素となった猿の畸形というのは、もしかして、人の顔をした猿だったのではないか。

 そして――一度だけ足を踏み入れた屋敷の広い床の間の、闇の蟠る角隅に投げ出されてあった、巨大な童女の人形のことを思い出しながら、私は腐りかけた思索神経を伸ばす――その顔は、或いは、これも家の繁栄のため、古来床下へうずめられたという人柱――座敷童ザシキワラベの、いとけなくも謎めいた笑顔を、生まれた時から浮かべていたのではないか。

 死人の脳髄の中、鈍色をした湖面へと当てどもなく浮かべる、乗り手のない葦小舟のような、それは、大した意味もない、勝手な連想に過ぎない。

 何にせよ、長く伸びた薄緑の髪をそらそらと流しながら、何百年か前にお仕着せられた、五色の晴れ着の裳裾をずるずると引きずって、経辰は、

『向こう八千八百八丁、全て、近く、滅び給う』

 倩兮けらけらと嗤いながら、今日も架空を渡っている。

 祭壇を失っためかんなぎとしての、その言葉を信ずるならば、遠くない未来、この陰鬱なハレの気配に満ちた町は、住人もろとも滅び去るのであろう。

 それならばそれでよい、と私は思っていた。

 何しろ、肉体は既に死んでいるのだ。

 血を通わせる心の臓すら止まってしまったせいか、家人たちを狂わせ、以前の管理人たちをも悉く狂わせた、あの経辰の笑顔や、口にする言葉を前にしても、私は何も変わらなかった。

 死人の時間を動かすことは出来ない。

 預言についても、同じことであった。

 人ならざる滅びの歌を、たまたま近くにある骸が聞くともなく聞いているだけなのだから、誰かにそれを伝えるという事も、私はしなかった。

 管理者としての日々を繰り、たまに、かつての友人との電報のやり取りで、挨拶や雑談を交わすことはあっても、予言についてが、話題に上ることは無かった。

 私は、わずかな実務と、自身の死後の活動を長らえさせるための幾つかの補給とを実行しながら、この部屋で、黴臭い闇を見つめ、本を読み続けるだけだ。

 と言って、経辰に関して、何の興味も感情もないのかと言えば、そうではない。それどころか――私は、経辰を愛おしく思ってすらいる。

 あの、忌まわしくも哀しい異形の裔は、滅びを諳んじながら、永遠に架空の図案の上を渡り続ける孤独の仔は、生命の息吹を失い、清浄の世界に座を失った私と、同じような匂いを纏うている。

 それを感覚することで、私は幾分か、日々に張り合いを取り戻した。

 どんな詩文も、どんな美術画も癒してくれなかった私の空虚を埋め、冷たい躯の中に、ふたたび抒情の炎を――それがたとい、温度持たぬ陰火だとしても――とぼしてくれたのは、経辰の棲むこの家なのだ。

 ゆえに、この身がいよいよ腐り果てるまで、或いはこの町へ滅びの訪れるまでの時間を、あの異形の仔を眺めながら、こうして無為に過ごし続ける事こそが、死せる今の私の幸福なのである。……

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