11:魔術の都、マギウス

「うわぁ……ここがマギウスなんだね」


 周囲に視線を巡らせながら、ワクワクしてますと言わんばかりに瞳を輝かせたアリステラが言った。


 紅蓮馬車による旅も終わり、帝都からの一行は目的地である魔術都市マギウスに到着したのだ。マギウスの関門を問題なく通り抜けたゼファーたちは、マギウスの中心街への道を歩いている。


「アリステラ様。田舎者丸出しの言動ですよ」

「おーい。リタも同郷だからね?」


 アリステラに遠慮の欠片も見えないリタの発言に苦笑を漏らしつつ、ゼファーもマギウスの街を見渡した。実のところゼファーもマギウスへ足を踏み入れるのは初めてだったので、表情には出さないながらも興味津々だ。


 マギウスは魔術都市を標榜する。それだけあって、街では至る所で魔術が行使されていた。樽から酒を注ぐ魔術、鍋にかける火を熾す魔術、風で広告を飛ばす魔術。みだりに街中で魔術を行使することを禁ずる帝都と比較すると、その様相は全く異なる。魔術で灯される街灯や、魔術で拡声される客引きの声。友人たちと遊ぶ子供たちでさえ、石投げに魔術を行使していた。

 街を行く市民たちの中にはローブを纏う魔術師の姿も多々ある。むしろ魔術師でない市民の方が少ないかもしれないくらいだ。魔術を愛し、魔術とともにある都市、それがマギウスだった。


「宿を取らないといけないけど、その前に魔術学院を見に行こうよ」

「試験当日に道に迷ってはいけませんからね」


 魔術学院を見に行きたいと語るアリステラと、それに同意するリタ。特に急ぎの用事があるわけでないゼファーも、二人とともに魔術学院を見に行くことに決めた。

 マギウス魔術学院は都市の東部に存在する。この都市は海に面しており、海岸から望める小島も学園の所有物として管理されているのだという。

 魔術道具を売り込む商人たちや、魔術を使用した芸を見せる大道芸人たちをひやかしながら、三人はマギウスの通りを東へと歩いていった。


「あっ、見て二人とも!」


 三十分ほどマギウスを東西に繋ぐ通りを歩いてゆくと、アリステラの声が耳に届くとともに、ゼファーの視界に城を思わせる巨大な建物が飛び込んできた。

 その城は三つの尖塔を持ち、それぞれ黒、白、赤の三色で外壁が彩られている。マギウス魔術学院は三年制であり、それぞれの学年がグレードカラーとして黒白赤を持つということをゼファーも耳にしたことがあった。


「あれがマギウス魔術学院かぁ」

「大陸最高峰の魔術師養成機関……」


 魔術学院へ近づくにつれて、三色に彩られた学舎の威容が徐々に視界を占めてくる。感嘆を含んだため息を漏らすアリステラと、自分に言い聞かせるかのように呟くリタの視線も、ゼファー同様、魔術学院に向けられていた。

 少し足を止めて周囲を見れば、同じように魔術学院を見学に来たのであろう他の受験生たち数人の姿が目に入る。色が白く線が細い金髪の少女は雪に覆われた北方の雄、リグド公国からやってきたのだろうか。少女から少し離れたところにいて、不敵な笑みを顔に張り付けた茶髪の少年はヴェルメア帝国と小競り合いを繰り返す大国、オルティ王国の出身に見える。他人の出身地を当てる賭けを魔導六煌の皆とよく繰り返していたせいで、癖が抜けていない。思わずゼファーは苦笑した。


「明々後日、ここで入学試験があるんだね……」

「ええ、そうです。ちゃんと試験勉強しますよ」

「うぐ」


 リタに再び言われ、アリステラが胸を押さえて呻く。しかし彼女の瞳はマギウス魔術学院をしっかりと見つめていた。必ずここに入学して魔術を修めるのだと、彼女の真剣な面持ちがその決意を雄弁に語る。

 アリステラはとてもまっすぐな心根の持ち主であることは、帝都やマールウッドでのやり取りの中で、ゼファーとしてもよくわかったことだった。彼女が笑顔で魔術学院に入学できることを、ゼファーは心の中で静かに願う。


「……さて、それじゃ俺は宿を取りに戻るよ。二人とも、また試験の日に会おう」

「うん、ゼファーくん。また会おうね」

「道中、いろいろお世話になりました。またお会いいたしましょう」


 ゼファーの目的は果たしたので、ここで途中、同道した二人に別れを告げる。入学試験で顔を合わせるだろうし、何ならアリステラの入学も裏口で確定しているので、二人と同級生になるのも確実であったが、そこは何も言わなかった。


「ゼファーくん、ばいばーい!」


 大きくぶんぶんと手を振ってくれるアリステラと、小さく手を振るリタに手を振り返し、ゼファーは来た道を戻り宿を探すことにするのだった。




 アリステラたちと歩いてきた道をそのまま戻って三十分。高級ではないがおんぼろでもない、ちょうど具合のよさそうな宿を見つけて中に入ると、何やらカウンター越しに宿の店主と言い合いをする背の高い少年の姿がゼファーの目に入った。

 店主と話をしないことには部屋も借りられない。厄介なことに巻き込まれなければいいが、と考えつつ歩を進めるうち、言い合いの内容が鮮明に聞こえてくるようになった。


「だからよ、皿洗いでも何でもするから泊めてくれ!」

「皿洗いは間に合ってるよ。泊まりたいなら金を払いな」

「いやだからその金がねーんだって!」


 どうやら素寒貧の少年が、宿の雑用をするので部屋を貸してほしいと頼み込んでいるようだ。

 浅黒い肌に、色あせた金髪。服に隠されているが、その下には鍛えられた肉体が隠れていることは疑いようもない。服に巻いたベルトを使って、背には槍と槍斧ハルバードを交差させて収めている。特徴から言えば、素寒貧の少年は南方、ヴェルメア帝国の同盟国にして共同統治領とである島国、バルザンド闘士領の出身に見えた。


「学院の試験日まで野宿するなんて嫌なんだよ! いや野宿は余裕で出来るけど穏やかな気持ちで試験を迎えたいんだよオレは!」

「知らん知らん。営業迷惑だぞお前!」

「ほう、試験」


 少年が口に出した言葉を聞いて、ゼファーは俄然彼に興味が沸いた。バルザンド闘士領の戦士たちは、ヴェルメア帝国以上に武を重んじ、魔術を軽視する。

 魔術を行使するものは軟弱者だという風潮が根強いバルザンドで生まれ育ちながらも、魔術学院への入学を希望する彼がどのような人物なのか。ぜひ話を聞いてみたい。

 決めて、ゼファーは未だ言い争う二人の間に割り込み、少年に話しかけた。


「失礼。俺はゼファー。君はバルザンド闘士領の出身か?」

「あ? なんだよ急に……まあ、オレはバルザンドの出身だがよ」

「いいね。店主、彼の分の宿代は俺が出すよ」

「えっ」


 ゼファーの突然の申し出に宿の店主は目をまん丸くし、バルザンド出身の少年は「おいおい、いいのかよ!?」と喜色に塗れた声を上げる。


「構わない。俺も魔術学院の入学試験を受けるからな」

「おお、同じ受験仲間か!」

「……えーと、一泊銀貨五枚でございますが」

「二日分、二人で銀貨二十枚だ」


 革袋から銀貨を取り出し、店主の控えるカウンターに置く。銀貨の数を確かめた店主は、先ほどの少年とのやり取りの中では一切見せなかった営業用の笑顔を顔に浮かべ、ゼファーたちに部屋の鍵を渡した。

 ゼファーとバルザンド出身の少年はそれぞれ鍵を受け取り、二人連れ立って階段を上がって二階の部屋へ向かった。ゼファーと少年の部屋は隣同士だ。


「なあおい、本当にいいのかよ、奢ってくれて」

「構わない」

「……もしかしてオレの身体が目当てとかか?」

「そんなわけがないだろう」


 部屋に入る直前、廊下で足を止め神妙な顔で問いかけてきた少年に、ゼファーは大きく首を振って否定の意を示した。すると、少年はゼファーに一度頭を下げてから明るい顔で口を開く。


「すまねえ……故郷には結構そういう趣味の荒くれが多くてよ。オレはバッシュってんだが、お前はゼファーだったよな?」

「ああ。ヴェルメア帝国出身、ゼファーだ」

「ウチの宗主国様の出身じゃねえか。まあでも個対個ならいいわな」


 名乗ったバッシュに対し、ゼファーが再び自分の名を名乗ると、バッシュはそのがっしりと太い手を差し出してきた。ゼファーも右手を出し握り返す。

 魔術学院の入学を希望する以上バッシュもゼファーと同じく十六歳なのだろうが、自分の手より二回りくらい大きいのではないかと思わせる手にゼファーは少し驚いた。


「よっしゃ。これでオレたちはダチだな、ゼファー」

「ダチか……。ふっ、ならそんなダチにお願いがあるんだが」

「おう、宿代出してくれた礼だ! 尻以外なら何でも差し出すぜ!」


 バルザンドは荒くれ者たちが揃う戦士の楽園である。出身地特有の下品なジョークを繰り出したバッシュに呆れ顔を見せながら、ゼファーは言った。


「夕食の時にでも、君が魔術学院への入学を希望する理由を聞かせてくれないか?」

「あん? そんなことでいいのか?」

「興味があってね」

「構わねえが……夕食代すら出せねえぞオレは」


 それも奢るよ、と答えたゼファーに対し、バッシュは神でも眺めるかのような目で見つめてきた。魔導六煌は高給取りなので、散在しない限りいくらでも金はあるので問題ないのだ。


 夕食時に集合しようという約束をバッシュと交わし、ゼファーは借りた自室の扉を開けた。長旅の疲れを少し癒そう。そう考え、ベッドに身を預ける。次に目が覚めた時は、魔術で光る街灯が夜の街を照らし出す夕食時だった。




 夕食時。宿のすぐ傍にある酒場へ連れ立ってきたゼファーとバッシュは、給仕に案内されるがままテーブルに座り、顔を突き合わせた。

 いざ向かい合ってみると、気づいたことがある。先ほどはあまり気にしなかったが、バッシュの野性味あふれるその顔には、額から鼻筋近くにかけて大きな傷があった。まるで剣で大きく斬られたかのような傷だ。


「お、このオレの勲章が気になるかい?」

「勲章?」


 ゼファーの視線に気が付いたか、傷を親指で指し示したバッシュは誇らしげな口調で語った。


「バルザンド名物の闘技場は知ってるだろ?」

「ああ。剣闘士たちが腕を競う戦士の聖地だな」

「この傷はそこで出来たもんよ」


 バルザンド闘士領の男性、そのほとんどは戦士として生きる。それは国特有の価値観によるものなのだが、この時世は大陸有数の大国であるヴェルメア帝国とオルティ王国が時折、国境沿いで小競り合いを繰り返すくらいのもので、大きな戦争はこの十年、あまり起こっていなかった。

 最近で最大の戦争は、十二年ほど前にオルティ王国が帝国と王国に挟まれたフォゼリア公国に攻め込みその領土を併合した、フォゼリア侵略戦争だ。

 ともかく、この時世、戦士たちの腕の見せ所は限られるわけで。バルザンドの戦士たちは己の腕を誇示するべく、島内各地に建造された闘技場で鎬を削っているのだった。ちなみに、ヴェルメア帝国臣民にも、バルザンド闘技場の観光は人気が高い。


「バッシュ、君は闘技場に出ていたのか?」

「おう。オヤジの命令でガキん頃からやってるぜ」

「すごい親父さんだな……」


 バルザンド闘技場に細かい参加資格は存在しない。死をも恐れず、己が武を誇示したい者は誰でも歓迎するのだ。

 しかし命の危険すらある闘技場への参加を幼い息子に命令する父親とは……。


「まあ仕方ねえよ。いずれはオレもバルザンドの酋長になるかもしれねえしな。実力がねえ奴は舐められる、それがバルザンドだ」

「なに? 君はバルザンド四氏族のひとりなのか?」

「お、よく知ってんなゼファー。改めて言うが、オレはバッシュ=バロウズ。バルザンド四氏族のひとつ、牙のバロウズ家出身だ」


 バルザンド闘士領はヴェルメア帝国の統治領でもあるが、主権自体はバルザンドに古くより存在する四氏族と呼ばれる名家たちにある。そして、三年ごとに一度、四氏族に連なる者からバルザンドを統べる酋長を選ぶのだ。バロウズ家はそんなバルザンド四氏族のひとつであり、バルザンドの中で最強の力を持つとして《牙》を自称していた。


「バロウズ家の人間か。だがバルザンドは魔術を軽んじているのに、どうしてここに?」

「お、本題だな? 確かにバルザンドの勇敢な戦士は魔術に頼らねえ。信じられるのは己の鍛えた肉体だけだからな。でも、オレは魔術師にあこがれちまったんだ」

「魔術師にあこがれた?」


 尋ねるゼファーに、バッシュがよくぞ聞いてくれました! と言いたげに輝く笑顔で口を開く。


「オレぁ十四くらいの時に武者修行のためにオルデラ大陸の色んなトコ巡ってたんだけどよ。ヴェルメアの西だったかな……そこにいた時、森から出てきたクソみたいにウジャウジャいやがるゴブリンとかオークとかの群れに出会っちまったんだよ」


 クソみたいにウジャウジャいるゴブリンやオークとかの群れ。バッシュが語るその風景に、ゼファーはどことなく覚えがあった。

 自分たちで作り上げたのか、棍棒を持って森から出てくるゴブリンたち。生理的嫌悪感を催す醜悪な面を持つ小鬼たちと、二足歩行する巨大な豚のようなオークが、連れ立って人の住処を侵そうとやってくる様。確かに覚えている。


「全体で三百くらいいたんじゃねえかな。帝国兵に交じってオレも戦わせてもらったんだけど、どうにも数で押し込まれてな。こりゃヤベェ、って思ったところで来たのよ!」


 話に熱がこもり、バッシュがテーブルをバン、と叩く。酒場の喧騒にかき消されたからいいものの、テーブルにひびが入っていたのをゼファーは見逃さなかった。


「魔術師が二人、颯爽とな! 聞きゃあ帝国最高の魔術師二人っつーじゃねえか。ひとりは炎でどんどんゴブリンたちを消し炭にしてってよ、もう片方は風でオークどもをめちゃくちゃに切り刻むんだよ!」

「な、なるほどな……?」


 バッシュが語る魔術師二人組に、ゼファーは大いに心当たりがあった。

 というか、自分である。魔導六煌に数えられたばかりの自分とアリアンロッドだこれ。小鬼の森、と呼ばれるゴブリンたちの生息地から、群れが出現する可能性が高いと聞いて付近の砦に詰めていたとき、「実地訓練だよ」と語るアリアンロッドに連れられて魔物を殲滅しに向かったのだ。


「オレたちがあんだけ苦戦したゴブリンどもをいとも簡単に屠って見せるんだから……マジで痺れたぜ。てわけでそれ以来オレぁ魔術師にあこがれてるわけよ」

「……なるほど、よくわかったよ」

「マギウスに行って魔術学びてえっつったらオヤジに死ぬかと思うほどボコられたけどな。それに魔術も使えねえし」


 ガハハ、と大声で笑うバッシュ。ゼファーは自分でも気づかぬうちに誰かの人生に影響を及ぼしていたらしいことを知った。


「マジであの魔術師たちにもう一度会いてえぜ。会ったらサインもらって……勝負してもらいてえな」

「なんで勝負……?」


 サインはまあともかく、勝負を望む理由がわからない。あの魔術師たちのひとりであるゼファーが恐る恐る尋ねると、バッシュは当たり前だろ? みたいに不思議な顔をして答えた。


「オレは魔物どもに負けたが、魔術師たちは魔物を斃した。てことはオレがあの魔術師に勝ったら、オレの負けは消えるって寸法よ!」

「むちゃくちゃだ」


 バッシュの語る理論の荒唐無稽さ加減にうめき声をあげ、ゼファーは心に決めた。

 絶対、魔導六煌であることがバッシュにバレないようにしよう。さもなくば勝負を挑まれる。


 ほんの少しだけ、目の前の少年が怖くなって震えるゼファーであった。

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