08:ヴェルメア帝国第三皇女、アリステラ
ゼファーが酒場で三人分の食事代の支払いをしている頃。
「ここの食事は俺が持つよ」というゼファーのお言葉に甘えて先に酒場を出た女子二人は、ゼファーと話し合った通りワーベアが街道を塞いでいる理由について調査を始めようとしていた。
ゼファーが奢ってくれると聞いた途端、目を輝かせて「じゃあその間にしっかり調べとくよ!」と喜び勇んで宣言したアリステラであったが――、
「任せといてゼファーくん! とか言ったは良いけど全然アテがないよリタぁ~」
「弱音吐くのが早すぎますアリステラ様」
およよ、と目元を拭う素振りをしながら弱音を零し、リタに抱き着くアリステラ。
しかし、リタはこんなアリステラへの対処法をよく知っていた。なにせアリステラのことは十年以上前からずっと、すぐ隣で見続けているのだ。
長年の侍女経験が培ったスキルを活かし、リタは誰にも見えないほど高速でアリステラの尻を叩く。リタの愛、叱咤激励である。
「いったい! またお尻叩いたでしょリタぁ」
「アリステラ様が弱気になるのが早すぎるからです。奢ってくださったゼファーさんに悪いと思わないのですか?」
「いやそれは思ってるけどさあ……」
リタに叩かれじんじん痛む臀部を擦りながら、アリステラが唇を尖らせる。しかしリタはどこ吹く風だ。
「調査の基本は足ですよ。町人、兵士にもいろいろ尋ねてみましょう」
「知ったような口を利くなあ……どこで聞いたの、そんなの」
「いま帝都で流行りの物語りです。アリステラ様はたぶん五頁も読めずに寝てしまわれるでしょうけど」
「失礼な! 十頁はもつよ!」
何の自慢にもならないようなことを言って、アリステラがリタの言を否定した。そんなアリステラを、リタはジト目で睨む。
アリステラとリタの付き合いは非常に長い。彼女らは二人きりでいるときのみ、皇女と侍女ではなく、ただの幼馴染みの親友同士としての関係になるのだ。
「……じゃあ賢くて可愛いパーフェクト侍女なリタさんの言う通り足で調査してみますか」
「ええ、そうしましょうアリステラ様」
「いやツッコんでよ」
「事実ですから」
「こ、こいつ……!」
やいのやいの騒ぎつつ、二人は聞き込みを開始した。
「魔物が街道を塞いだ理由? うーん、わかんねえなあ」
「この街を治める貴族が弱腰なんだよ。とっととワーベアを斃せばいいものを」
「魔物を殺せと命令されたら、我々はそれを遂行するだけです」
「もしもワーベアを殺してみぃ、森から魔物が敵討ちに来よるぞぉ」
「帝国兵が増えたら街に金は落ちるけど……東から物を運べないんじゃねえ」
「魔物が押し寄せてきたら事だからな、ちょいと隣の村まで逃げようかと思ってんだ」
「いやお姉さんたち稀にみるべっぴんさんだね。ねね、楽して稼げる仕事があるんだけど興味ない?」
マールウッドの街を巡ること小一時間。アリステラとリタが町人や兵士たちに聞き込みを行った結果、特に有益な情報は得られなかった。
ワーベア討伐派の兵士もいれば、反対派の町人もいる。愚直に任務を遂行しようとしている兵士や、マールウッドから逃げようと考える町人もいた。
ついでに変な勧誘をする怪しい男がいたので、そいつは帝国兵に突き出しておいた。
「……誰もワーベアが街道を塞ぐ理由についてはわからないみたいだね」
「ええ、参りましたね。むしろこのままではワーベア討伐派と反対派の意見が割れているうちに街から物資が無くなって干上がる可能性すらあります」
「それはまずいな……」
いついかなる時も、国を支えるのは民である。
幼き時分より父アルフレドからそう教えられてきたアリステラにとって、マールウッドの現状は捨て置けないものだった。自分の力が足りないのは百も承知だが、この街の力になりたい。
無論、自分の夢に大いにかかわってくるのも理由ではあったが。
「……リタ、もう一度探そう。いや、もう一度じゃないな。わかるまで探すんだ」
「ええ、アリステラ様。御心のままに」
リタが恭しく頭を下げた。
いまこの時、目の前に立つのは親友のアリステラではなく、ヴェルメア帝国第三皇女のアリステラだと肌で感じたから。
「それではアリステラ様、手分けいたしましょう。私はあちらへ――」
リタが改めてアリステラに己の考えを述べようとしたその時。
「――もう知らないよ、母さんのことなんて!」
二人が話し込んでいた路地に面する住宅から、大声で自らの母親を罵倒するのと同時に飛び出した少年の姿があった。
思わず振り返るリタと、その少年が家から飛び出す流れを一部始終見届けていたアリステラ。
うんうん、よくある親子喧嘩だよね、わたしもお父さまと十日に八度は喧嘩するからよくわかるよ、なんて考えていたのだが。
彼女たち二人の目に、彼が黒光りする何かを小脇に抱えている姿が鮮明に映った。
「……あらま。リタ、見えた?」
「……ええ、アリステラ様。彼が抱えているもの、あれはまず間違いなく魔物の卵です」
少年が大事そうに抱えていた黒光りする何かは――魔物の卵だ。
酒場で交わした会話。アリステラの脳裏で、すべてが繋がる。
誰かが森を荒らした。そして、魔物の結束力は強い。
多分あの子が魔物の森から卵を持ち出したんだ。だからワーベアが街道を塞いだ。卵を持ち出した理由はわからないけど、手遅れになる前にあの少年から魔物の卵を取り返さなきゃ――。
「リタ、わたしはあの子をぐえっ!」
言いながら駆けだしたアリステラだったが、リタが伸ばしたその手に襟首をつかまれ、潰れたカエルのような声を出す。
「……待ちなさいアリステラ様」
「うぉい。これがこの帝国の皇女に対する仕打ちなの?」
「こういうときだけ己の立場を持ち出さない」
アリステラはリタを横目で睨んだが、冷淡に返されてしまった。こういう時のリタはまあ結局正論を吐くので、アリステラはおとなしく彼女に捕まっておく。
「かの少年は何か言い争いをした結果家を出ていったようです。まずはそちらをあたりましょう」
「でもその後からあの子に追いつける?」
「追いかけっこをする場合、帝都でしたら我々に一日の長があるでしょうが、マールウッドではかの少年に軍配が上がるのでは? 彼の家族に助言を仰ぐべきです」
「……左様でございますねリタ様、ご慧眼ですわ」
皮肉めいた返しをしたらリタのデコピンが飛んできた。
臀部に続き額がじんじんと痛んで、アリステラは情けなくて泣きそうになってしまった。これ不敬罪適用できないの?
件の家へ向かうリタの背中を追い、ともに少年が飛び出してきた家の前に立つ。
皇女殿下がお先にどうぞ、と一歩引いた侍女に青筋を立てつつ、アリステラは家のドアをノックした。
「……失礼。お聞きしたいことがあるのですが」
「……どなたでしょうか?」
扉の遠くから、警戒するような女性の声が聞こえてくる。
どうする? とリタに無言で視線を送ると、彼女は頷いた。
はー、これあんまり好みじゃないなぁ。でも仕方がない。やるって決めたのはわたしだし。
「――ヴェルメア帝国第三皇女、アリステラ=ティスカ=ヴェルメアです。この扉を開けてもよろしいですか、親愛なる帝国臣民の貴女」
「皇女様ですって? つくならもうちょっとましな嘘を吐いたらどうなの」
「おっしゃる通り。ではその目で確かめていただきましょう」
言って、アリステラが止める間もなくリタが家のドアを開けた。
ドアから覗くその家は、こじんまりとした部屋で出来ていた。ドアから一番遠く、窓際のベッドから上半身を起こした年かさの女性が、驚愕の瞳でアリステラたちを見つめている。不審人物がいきなり家に押し入ってきたのだから、警戒心も高まるだろう。
「はじめまして。見知らぬ帝国臣民の貴女」
「あ、あなたたち何なんですか、急に」
「落ち着いてください。動揺は体に毒です」
リタが淡々と述べるが、家に押し入っているのは自分たちなのだから少し無理がないか、とアリステラは考えた。この女性結構やつれてるし、心労で倒れかねないよ。
「こちらにおわすは、雄大なるオルデラにその威容を誇りしヴェルメア帝国を統べる王の中の王、帝国皇帝アルフレド=ヴェイン=ヴェルメア陛下が御息女、皇位継承権第五位、第三皇女アリステラ=ティスカ=ヴェルメア殿下にございます。…………ほらアリステラ様」
「あ、そうか。すみません急に。……これがその証拠です」
淀みなく大仰な名乗りをして見せたリタに小脇をつつかれ、アリステラはああそうだと思い直した。左手の手袋を外し、その下に隠れていた手の甲を眼前の女性に見せる。
アリステラの日に焼けた左手の甲。そこには火を吐く竜の頭に似た痕がある。
その見た目の通り竜痕とも呼ばれるそれは、ヴェルメアを統べる一族の身体のどこかに必ず現れる、神聖なる一族の証だと言われている。
そして、物心ついた帝国臣民は皆、この竜痕を持つ者は皇族であり、己を庇護する臣民の守護者であると叩き込まれるのだ。
「りゅ、竜痕っ……!? わ、私としたことがとんだ無礼を……! ど、どうかお許しくださいませ……!」
「あ、いいです! そんな畏まらないで、あとベッドから出ないで!」
模範的帝国臣民たる態度を見せた女性が、ベッドから抜け出し床に跪こうとするのを止め、アリステラは彼女に優しく問いかけた。
「突然押しかけてごめんなさい。貴女のお名前を教えてくれますか?」
「い、偉大なるアリステラ様……。私はカーラと申します」
名前の前に偉大、だとかつけられて、アリステラはつまらなさそうな顔をした。まだ何も偉大なことの一つだって成し遂げていないのに。ヴェルメア家の血が流れるこの名前には、いつだって仰々しい飾りが付いてくる。
「カーラさん。わたしはついさっきこの家を飛び出していった男の子について聞かせてほしいんです」
アリステラは、内心の不機嫌は顔に出さずに、皇族を前に怯える哀れで善良な市民に優しく声をかけた。
「ふ、フレッドが、息子が何か粗相を!?」
「なるほど、フレッドくんというのですね。……申し遅れました、私はアリステラ殿下の侍女、リタでございます」
「は、はあ……。そ、それよりフレッドがどうかしたのですか!?」
口角から泡を飛ばして訪ねてくるカーラ。もしも息子がこの高貴な方々に無礼を働いていたら……そんな悪い想像をするだけで胸が張り裂けそうなのだろう。
アリステラは彼女を安心させるべく、優しい表情を顔に張り付けるよう心掛けて首を振った。
「フレッドくんをどうこうしようだなんて思っていませんよ。わたしたちはフレッドくんが持っている卵のようなものに興味があるんです」
「た、卵……あの子が抱えてたあれですか?」
そうです、と二人そろって首を縦に振る。息子が下手をこいたわけではないことがやっと理解できたのか、カーラは安堵のため息を吐いた。
「もしよろしければ、彼があの卵をどこから手に入れたか、教えてくれませんか?」
「…………」
「答えはどうであれ、誰にも言いません。ヴェルメアの炎に誓って。ねえリタ?」
「もちろんです」
アリステラの言葉に怯える目をしたカーラを宥めるべく、二人そろって静かにほほ笑んで見せる。カーラは下を向いて、言いにくそうに口を開いた。
「魔物の……森、でしょう」
「やはり」
リタが言葉を放つと、カーラが弾かれた様に顔を上げた。その顔色は死人もかくやと言わんばかりに青白く、瞳は不安に押し潰され揺れている。
「あ、ま、まって、違うんです、フレッドは、あの子は……」
「あ、落ち着いてくださいカーラさん! 大丈夫、悪いようにはしないから!」
「で、でも、でもフレッドが……魔物の森から……!」
ベッドから這い出ようとするカーラの肩を、優しく握って押し戻す。病人の割に力が強い。息子を守ろうとする親心だろうか。カーラをベッドに押し込めてから、アリステラは大きくため息を吐いた。うん、まだまだこれからだ。
そして、アリステラはカーラが落ち着くよう、ゆっくりとその背を撫でた。彼女の瞳を見、大丈夫だから、と辛抱強く繰り返す。
三十回ほど、カーラを安心させる言葉を繰り出しただろうか。
ようやく落ち着きを見せたカーラが、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「……取り乱して、申し訳ありません。お二人がご覧の通り、私は生まれつき体が弱くて」
「はい」
「数年ほど前に病に罹ってしまったのですが……この病に効くお薬は、その……」
「高価なんですね」
「はい……日々の暮らしを圧迫するのです。夫は帝都まで出稼ぎに出ていますが……それでもどんどん、なくなっていく一方で……」
カーラの語る言葉に、徐々にすすり泣くような声が混じる。
「フレッドには不自由な思いをさせたくないと……薬代を削りもしましたが、それがこの有様で……」
「……病状が悪化し、寝たきりなってしまった、と」
「はい……うっ、うぅ……」
いよいよカーラは顔を手で覆って泣き始めてしまう。
リタを見やると、彼女は腕を組んで言葉を続けた。
「カーラさんの病状を見るに見かねたフレッドくんが魔物の森から何かを拾ってきて、薬代の足しにしようと考えたのでしょう」
「黒く艶やかに光る卵だもん。きっと高く売れると思ったんだね」
「……一目でわかりました。魔物の森から採ってきたのだと。しかも家を二日も明けるものですから、私は、フレッドを叱って……」
薬も買えずやせ細っていく母を助けたい一心で、家に帰らずに魔物の森から卵を取って来たのに。喜ばせたい母は自分を厳しく叱るだけ。喜びもしない。
まだ魔物の森の怖さも、夜の怖さも知らない年齢だ。子供のフレッドにとっては、カーラに厳しく怒られる意味がわからずに、ただただ悲しかったのだろう。
「……なるほど。状況は把握出来ました」
「はい……どうか、どうかフレッドを許してやってください……! 私を、私のことを思って、卵を取って来てくれただけなんです……!」
禁忌を犯した息子を庇い、アリステラに縋るカーラ。アリステラは彼女のやせ細った腕を撫でた。
安心してください、大丈夫です。絶対悪いようにはしない。そう伝えるように。
それにね、
「カーラさん、あなたは思い違いをしてますよ」
「へ……?」
「わたしたちは最初から、フレッドくんの卵に興味があるだけです。ね、リタ?」
「はい。早くフレッドくんから高値で買い付けませんと」
リタに振り向くと、彼女は全てわかっていますという表情で頷いてみせた。
さすがわたしの親友。わたしがやりたいこと、全部わかってるんだね。
「というわけで、わたしたちはフレッドくんに会いたいんです。彼が行きそうなところを教えてもらえませんか?」
「ぁ……、はい……アリステラ様、ありがとう、ございます……!」
アリステラが浮かべる慈愛の笑みに、カーラは頭を垂れて感謝の意を示した。
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