07:森の街マールウッド
マールウッドの街を迷うことなく先導するリタの背中に着いていった結果、到着したのは街の中心部に構えられた酒場だった。皇女の侍女として抜擢されるほど優秀なリタのことだから、事前にリサーチしていたのだろう。
「いらっしゃいませ。好きなお席へどうぞぉ!」
店内は町人や兵士たちをはじめとした客でごった返している。ゼファーたち三人が来店したのを横目に捉えた給仕の娘――その両手は客へ配膳する料理の皿で埋まっていた――が、若干投げやりな口調で言う。見るからに忙しそうだ。
給仕の娘の言葉に従い席を探すと、壁際にちょうど三人席のテーブルが開いていたので、帝都からの一行はそこに腰を落ち着けることにした。
「混んでるね」
「帝国兵が街にやって来ていますから。どこの店も混雑しているでしょうね」
席に座ったのち、店内をぐるりと見渡したアリステラが口を開き、リタが返す。
「……それじゃ、なんでここに足止めされてるのか教えてもらえるか?」
二人の会話が終わったことを見計らい、ゼファーがリタに問うた。問題を帝国兵に任せるにせよ、自分で解決するにせよ、情報が欲しい。
ゼファーの問いかけを受けたリタが、彼の瞳を見返しながら頷く。
「マールウッドの南部には森が存在するのは……当然ご存じですよね」
「ああ」
「魔物の森だよね」
リタの質問にゼファーが首肯し、アリステラが森の名を答えた。
マールウッドが森の街と呼ばれる理由は、街の南部に存在する深い森にある。れっきとした正式名称が存在するのだが、その森の特徴を端的に表すとして帝国臣民は皆、こぞって《魔物の森》と呼称した。
「……魔物の森はその名の通り人間の手が及んでいない、魔物たちの聖域だ」
オルデラ大陸には動物と似て非なる、魔物と呼ばれる特殊な生物が存在する。
どこから生まれ、どこへ消えるかはいまだ解明されていない謎の生物。
獣のように凶暴で、時には人並みの知性を併せ持つ人間の敵。
オルデラ大陸に住まう人々の歴史は、人間同士の戦いだけでなく、魔物たちとの戦いによっても紡がれてきたと言っても過言ではない。
「まさか魔物の森から魔物が出てきたのか?」
「そのまさかです。人間三人分はありそうな背丈のワーベアが二日ほど前から街道を塞いでいるらしいですよ」
リタの厳かな肯定と追加の説明にゼファーは顔を顰めた。ワーベアは非常に凶暴な熊型の魔物だ。森から出てくるなんて普通じゃない。
帝国は人間の手によって広く大きく開拓されてきたが、魔物の森はその手から逃れている。否、離されたと言った方が正しいか。
魔物の森はマールウッドの南部に広がっているが、その全体の広さは帝国で最大の都市ヴェルマーズ並みとも言われている。
だが、これだけ広大な土地が放置されているのは、森を破壊したが最後その内部に住まう魔物たちが行き場を失い、人間の生活圏にその魔手を伸ばすことが容易に想像できるからだ。加えて、魔物の森には毒沼や毒霧に覆われた土地も存在するという。
不用意に手を出せば死を招きかねない魔境。言い換えれば魔物の楽園である。
そうして人の手が及ばぬことを理解しているのか、魔物の森に住まう魔物たちは基本的に森を出ない。
マールウッドの住人たちも、森に手を出さなかった。そうすれば魔物が森から出ていくこともないと知っているのだ。
言葉が通じない魔物とマールウッドの住民たちの間に交わされている不文律のようなものがそこにはあった。
「誰か森に手を出したのか?」
「可能性は高いでしょうね。誰か、まではわかりませんが」
愚かなことを、とゼファーとリタが同時に嘆息した。
人の手が入っていないということは、逆を返せばその全容が掴めていないということでもある。
もしかしたら魔物の森には、難病に効く強い薬効のあるまだ見ぬ新種のキノコが存在するかもしれない。そんなキノコを見つけたならば、第一発見者の名は世に轟き、少なくない額の金が懐に転がり込んでくるに違いない。
そんな夢を見た無謀な者が森を荒らした可能性は高い。
「ふーん。ひゃあはれかがほりをはらしたことをわーへあにひょうひきにはやはったらひゅるしてふれるのかな?」
「いいえアリステラ様。そんな単純なものではないと思いますよ」
「いやよくわかるなリタ……」
いつの間に給仕に注文していたのだろうか。両手に抱えた骨付き肉を頬張りながらアリステラが持論を述べたが、リタがばっさり切り捨てた。
一方、アリステラが何を言っているかわからなかったゼファーはリタに称賛のまなざしを送った。
「ごくん。……じゃあ、誰かが森を荒らしたことをワーベアに正直に謝ったら許してくれるのかな、って言ったんだよ」
「なるほど、わかりました。でもそんな単純なものではないと思いますが」
「ゼファーくんまでリタと一緒になっていじめるぅ」
リタ同様、皇女殿下の持論をばっさり切り捨てたゼファーに対し、アリステラはぶぅぶぅと唇を尖らせた。しかし、そんなアリステラの様子を気にすることなく、ゼファーはリタにさらなる質問を投げかける。
「ちなみにそのワーベアはもう人を殺したか?」
「いいえ、まだです。無理に通ろうとした馬車は吹き飛ばされて壊れたようですが、客や御者は怪我で済んだようです」
「ほう。しかしワーベアは殺そうと思えば簡単に人を殺せるはずだ。ただ街道を塞いでいるだけなのか」
「ええ。ですからマールウッドの住民たちは討伐を躊躇っているようですね」
「んー? なんで討伐に尻込みするの?」
この短い間にいつ注文したんだ、とゼファーが驚愕するのを尻目に、焼き串を頬張りながらアリステラが二人に訊いた。リタが待ってました、とばかりに目を煌めかせる。リタもなかなか教えたがりらしい。
「魔物の森の魔物たちは結束力が強いと言います。魔物の森に住まうブラッククロウを仕留めた旅人が、同じく森に住むグレートボアに身体を貫き殺されたこともあるそうですよ。同種の魔物でもないのに仇を討ったのです」
ブラッククロウはカラスに似ているが、それよりもよほど凶暴で狡猾な鳥型の魔物である。グレートボアは成人男性の腕の太さほどもある鋭い牙が特徴の猪型魔物だ。
リタが語った旅人の話はゼファーも耳にしたことがあった。マールウッド住民の忠告を聞かず、無残にも魔物の絆の前に散った愚かな旅人の話だ。
「ひぇぇ……マールウッドの人たちは無理にワーベアを殺しちゃったら魔物の森の魔物たちが黙ってないって思ってるんだね」
「その通りです。馬車が壊されたとはいえ人死にがない故、帝国も兵をただ追加することしかできないようですね。数で脅せないかと思っているのでしょう」
無理でしょうが、と目を伏せてリタが続けた。ワーベアは恐ろしい膂力を持つ。ひ弱な人間の数がいくら増えたところで、紙切れのように吹き飛ばしてしまうだろう。リタは帝国兵が数でワーベアに優位を取れるなどとは微塵も考えていなかった。
「……とはいえ、さすがにこのままマールウッドに足止めされるわけにはいかないよな」
言って、ゼファーはアリステラよろしくいつの間にか注文していた葡萄のジュースを呷った。リタが瞠目する様を見て人知れず笑みを零す。皇女殿下の真似をしてみたのだ。
「そう、そうだよ。なにがなんでもわたしはマギウスに行かなきゃ……あーでもワーベアを殺すわけにもいかないんでしょう? 多分わたしなら
はぁ、とため息を吐きながら白パンをちぎって口に放り込むアリステラ。その小さな口から飛び出たやたら物騒な言葉にゼファーは少し引いた。
「ワーベアを殺したら最後、アリステラ様はマールウッドの住民を皆殺しにした皇女として一生ヴェルメアの歴史を彩るでしょうね。さしずめ、私は皇女を止めなかった愚かな侍女でしょうか」
「もー、やめてよリタ。いまのはちょっと本音が漏れただけだよ」
澄まし顔のリタとけらけら笑うアリステラ。だいぶ物騒な本音だな、と口の外に出かかった台詞を、ゼファーは必死に喉の奥に飲み込んだ。アリステラのちょっと物騒な部分にも、アリアンロッドとの血の繋がりを感じる。
「でもリタ……どうしよっか?」
「街道を迂回し、次の街で馬車を借りてマギウスに向かうという手があります」
「ここから東に向かって一番近い町はクリスベルだが、本来の馬車のルートと外れる。馬車を借りてもマギウスまでは相当かかるぞ」
マールウッドにもっとも近い街、鉱山の街クリスベルは帝国の中南東部に位置している。そのため、クリスベルへ足を向けると帝国の北東端に近いマギウスから離れることになり、遠回りとなってしまう。クリスベルで馬車を用立てたとして、魔術学院の入学試験に間に合うか正直ギリギリだ。
「ゼファーさんのおっしゃる通りですね。ですので二つ目の手は、ワーベアを街道から退かせ、本来のルートでマギウスへ向かうことです」
「そんなことできるの?」
「どうでしょうね……案外、アリステラ殿下の方法が正しいかもしれませんよ」
ゼファーは口角を上げ、アリステラに言った。言われたアリステラは何のことだろう、と目を白黒させているが。
「諸悪の根源をワーベアに突き出して許してもらうとか、ね」
「……あははっ、ゼファーくんったら。さっき自分でそんな単純じゃないって言ったじゃない」
「確かに。ゼファーさんがそんな単純じゃないと言ってアリステラ様の心を傷つけたのではないですか」
「いやそれはリタも言ったろ。むしろ君が先に」
なんのことですか? とすっとぼけ、目を逸らすリタ。まだほんの少ししか関わっていない彼女だが、結構つかみどころのない性格をしているらしかった。
「まあともかく、飯を食い終わったら街を回って情報収集しないか? もしかしたら本当に、森を荒らした奴がいるかもしれない」
「そうですね」
「うん、そうだね。宿に戻って昼寝するのもつまらないし、動かないでいたら入学試験のこと考えてブルーになりそうだ」
そう言って笑ってみせるアリステラは、すでに魔術学院への入学が決まっている。しかし、それを知る二人は真実に対して口をつぐみ、「確かにアリステラ様ならそうでしょうね」と仲良く返して、皇女の心を傷つけるのだった。
「二人ともひどくない!?」
「さて……結構食べたな」
それなりの量の食べ物を詰め込んだ腹を少し擦りながら、ゼファーは酒場を後にした。なかなか美味い飯を出す店だ。リタのリサーチ力に感服する。
――ゼファー。女性と食事をする時間が楽しいものだったら、代金は奢ってやんな。例えばあたしと食事に出た時とか。
――おいコラぁ。オルデラ一の美少女魔術師シャニちゃんと一緒に食事できたんだからもっと嬉しそうな顔して奢りなさいよゼファー!
そんな、
ゼファーが酒場から先に返した二人は、先ほど皆で話し合った通り、ワーベアが街道に立ちふさがった理由を探りに街を歩いているのだろう。
「……ん?」
ゼファーがリタたちに続こう、と街へ足を踏み出し、ふと空を見上げた時。彼の瞳は、マールウッドの街の上を旋回する二羽の鳥の影を捉えた。
……いや、あれはただの鳥ではない。
「ブラッククロウじゃないか」
目を細めてよくよく見つめてみれば、ぐるぐる上空を回る二羽は間違いなく鳥型の魔物、ブラッククロウであった。彼らの視点はマールウッドの街中に向いている。
そう、まるで大事な何かを探すかのように。
「へえ……これは、いよいよもって皇女殿下の推測が正しかったもしれないな」
愉快そうな笑みを浮かべたゼファーは、軽い足取りで二人の背中を追うのだった。
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