06:魔術都市マギウスへ

「よっ、ゼファー。いよいよ出発かい」


 マギウス魔術学院の入学試験まで残り十日に迫った、晴れの日。

 帝都ヴェルマーズの馬車駅を訪れ、いよいよ魔術都市マギウスへ出立しようとしていたゼファーの元に現れたのは、同僚、《灼華》アリアンロッドだった。

 アリアンロッドは、その見目の麗しさから馬車駅の客や駅員たち皆の視線を釘付けにしている。それを知ってか知らずか、そんな視線に晒されていることも気にせず、アリアンロッドの瞳はただゼファーのみを捉えていた。


「アリアンロッド。お前、妹殿下の見送りに行かなくてよかったのか?」


 対して、ゼファーも周囲の視線を気にすることなく、アリアンロッドがこの場に現れたことを訝しんだ。アリステラとリタも、おそらくこの時期にマギウスへ向かうだろうと予想しての発言である。帝都ヴェルマーズから魔術都市マギウスまで、馬車でおおむね一週間の旅程だ。


「アリステラたちは昨日、皇族専用の紅蓮馬車でとっくに出発したよ」


 ヴェルメアの皇族は皆、赤毛で生まれてくるという。赤あるいは紅は帝国を象徴する色であり、皇族関係のあらゆる物は赤に染め上げられているのが特徴だった。駅馬車の窓から遠く、小高い山の上に聳えるヴェルメア宮城の外壁も赤だ。


「それよりゼファー、魔術で飛ばないのかい? アンタなら二日くらいでマギウスに行けるだろうに」

「あれ疲れるんだよ。馬車の方がゆっくり出来てよっぽどいい」

「馬車の方が疲れそうなもんだけどね」


 アリアンロッドが語る通り、ゼファーは得意の風塵魔術を応用することで空を飛行することができる。この技を使用できる魔術師は現状帝国内ではゼファーだけであり、《魔導六煌》の一員に数えられるだけの実力があって初めて使用できる特別な魔術と目されていた。

 長い時間馬車籠の中で揺られるのはそれはそれで疲れるが、ゼファーは飛行魔術を使用する際の疲れよりはよほどましだと考え、マギウスまでの足を馬車に選択したのだった。


「まあ、そんなわけで馬車で行くが。何か言いたいことでもあって来たのか?」

「いいや。ただ長らく会わなくなるだろうからね。シャニとかメロゥムからの激励のお言葉も持ってきてるけど」

「なんだそれ。一応もらっておくか」


 同僚の《魔導六煌》から新たな任務に赴くゼファーに向けた励ましの言葉を預かってきたというアリアンロッド。苦笑しながらそれを受け取ると答えたゼファーに、アリアンロッドはよし来たと答えた。


「シャニはマギウス生誕祭でソロコンサートを開いてあげるから刮目せよ、ってので、メロゥムはマギウス土産よろしくね、だったかな」

「相変わらず自由だなあいつら……」

「ま、それがあたしらの良いところだよ。だろう?」


 にっ、と口の端を上げて見せるアリアンロッドに、ゼファーも違いない、と答える。《魔導六煌》の一員になってから、自分はずっと笑顔が増えたという自覚はある。


 そんなことを話しているうちに、マギウス行の駅馬車がもうすぐ出発することを知らせる鐘が駅舎内に響き渡った。いよいよ魔術学院に向けて出発だ。


「よし。じゃあそろそろ行くよ。見送りありがとう、アリアンロッド」

「いいってことさ。大事な後輩の新たな門出を祝うためだよ」


 ゼファーのくせっ毛を優しく撫でたアリアンロッドは、しかしその表情を引き締め、ゼファーの耳元で鋭く言葉を放った。


「ゼファー。マギウスは中立故に色んなトコから人が集まる。オルデラにおいて諜報員が最も生き生きする場所はあそこだ、気をつけな」

「……心得てるよ」


 だったらいいさ、とゼファーから顔を離し、アリアンロッドはその細く美しい指でゼファーの頬をぐりぐりと突く。


「あたしに断りなく彼女なんか作るなよ~?」

「なんでお前の許可がいるんだよ……いや作らんが」


 訳の分からないことをのたまうアリアンロッドにため息で返し、ゼファーは改めて頭を振った。そして、マギウス行の馬車に向けて歩を進める。

 その背中を見つめたアリアンロッドは、はじめてゼファーと出会った時の、彼の様子を思い返していた。


「……あのちび助がまあ、だいぶ大きくなったもんだよねえ」


 ぼろぼろの衣服を纏って、こちらを鋭く見つめ返してきたあの頃のゼファー。激情を胸に秘め、帝国のために身を削ってきた少年の背中に、アリアンロッドは誰にも聞こえないような声でエールを送った。


「気張りなゼファー。ようやくアンタは、普通の少年になれるかもしれないんだ」


 呟きは風に乗ってゼファーの耳まで届いたのだろうか。何か言ったか? と振り返ってくるゼファーに、「早く行きなバカ」と笑みで返す。

 やがて、ゼファーを乗せた駅馬車が見えなくなるまで、アリアンロッドはそこに立ち尽くしていたのだった。




 オルデラ大陸の南半分を統治するヴェルメア帝国。その、ちょうど中心のような位置に帝都ヴェルマーズは存在していた。そこから、馬車で七日程度の距離に、魔術都市マギウスは存在する。


 帝国との国境に面するマギウスは、その魔術をもって高度な自治権を有した過去を持つ。都市国家として、いかなる国家にも属さずその独自性を確保してきたマギウスは、魔術師の魂の故郷とも呼ばれる魔術師の楽園だ。


 実を言うと、魔術師でありながらゼファーはマギウスを訪れたことがない。そんなことをしている暇がなかったとも言い換えられるが、それはさておき。果たして《魔術の都》とはいかなる場所なのか。

 魔術師としてさらに磨きをかけることが出来るだろうか。そんな淡い期待に胸を躍らせながら、駅馬車のシートに沈みこむこと三十分。

 ゼファーは静かな寝息を立て、眠りに落ちていった。



 駅馬車は、マギウスまでの旅程で必ずいくつかの街に立ち寄る。長い距離を走った馬は疲れ果てるため、馬を変えねばならないからだ。無論、客の用足しや食事、宿を取るのも大きな理由だ。いくら帝国の街道が整備されているとはいえ、街の外である以上、夜中は野盗や魔物に出くわす危険がある。

 そんなわけで、四つの街に立ち寄ること四日目。


 ヴェルメア帝国の中東部、森の街マールウッドの駅舎を出たゼファーは、妙に街が騒がしいことに気付いた。

 妙にバタバタしている、というか、帝国の兵士たちが街中にたむろしている。露店や宿、酒場の店員たちも慌ただしそうに駆けていた。


「これは……ただ事じゃないな」


 ゼファーの経験上、街中にこれだけの兵士が詰める理由は、魔物の群れが現れたか、あるいは強大な魔物が現れたかのどちらかだ。少し尋ねてみようか、と思って街中へ足を進めると、やはり騒がしい。


 これはひょっとすると馬車も足止めされるかもな、と考え始めたゼファーの視界に、見知った影が二つ飛び込んできた。


「むぅ……マギウスまでの旅程に魔物が出てくるなんて聞いてないよリタ~」

「それはそうですよアリステラ様。魔物に言葉が通じたら苦労しません。旅には苦難がつきものです」

「そうだけどさあ。このまま足止め食らえないよ」


 帝国兵たちの傍で軽妙なやり取りを交わす美少女が二人。二週間ほど前にヴェルメアの宮城で出会った二人組であった。

 立場を自覚させないように高貴な身なりはせずに、町娘のような恰好をしている。

 第三皇女アリステラと、その侍女リタだ。

 

 彼女たちのやり取りから考えるに、ゼファーの想像通り、どうやら魔物が現れたためにマールウッドで足止めされてしまっているらしい。

 彼女たちに事情を聴いてみようか、と思うゼファーだったが、あまり彼女らと接触するのもいかがなものか、と思う気持ちもあった。なにせ自分が凄腕魔術師とアリステラに露見したら事だし、リタとはマギウスで再会しましょうね、なんて言って別れているのだ。ここで再会してしまうのはちょっと間が抜けている感じがして嫌だった。


「見つからないうちに消えるか」


 すぐさまローブを脱ぎ、踵を返すゼファー。その背中に、「あー!」という大きい声が降ってきた。思わず、げっと呻いてしまう。


「ゼファーくん! ゼファーくんだよね!? なんでマールウッドにいるの!? あっ、わたしはマギウスに行く途中なんだけど!」


 武力全振り皇女様は、どうにもこうにも目が良いようだった。


 あきらめたように振り返ったゼファーの目の前に、一息で駆けてきたアリステラ皇女殿下がにんまり笑顔で立っている。彼女が呼吸するたびに揺れる赤いポニーテールが可愛らしい。

 その背後では、侍女のリタが目をまん丸くして立っていた。ここで会う予定じゃなかったんだけどな……。


「ゼファーくん、まさかこんなところで会えるなんて。元気にしてた?」

「ええ、まあ」

「あっ、後ろに控えてるのはわたしの友達のリタだよ」


 リタを見ていたことに気付いたのか、アリステラが声を弾ませる。

 侍女ではなく友達として紹介するんだな、と、ゼファーはアリステラの性格に感嘆を覚えた。彼女の言葉に少し照れつつ、リタがゼファーに向かって挨拶を返す。


「こんにちは、ゼファーさん。お久しぶりですね」

「ああ、久しぶり、リタ。ここで会うとは思ってなかった」

「まったくです」

「えっ、二人とも知り合いなの?」


 ゼファーとリタを交互に見ながら、アリステラが驚いてみせる。前回会った時と同様、ころころ表情が変わるアリステラを見て、ゼファーは自然と笑みが漏れてきた。


「二人にお会いできてちょうどよかった。私も馬車で東へ向かうんですが、何があったかお聞きしても?」

「もちろんだよ。わたしたちも困ってるんだ」

「それでは酒場で食事でもしながらお話ししましょうか。ちょうどお昼時ですし」


 リタの言葉に呼応するように、アリステラのお腹がぐう、と鳴く。まあ、と口元を抑えるリタ。


「えへへ、あたし結構食べる方なんだよね……」


 恥ずかしそうに照れ笑いするアリステラに向かって、ゼファーは笑って答えた。


「酒を飲むたびに吐く女を知ってますから。全然問題になりませんよ」

「え? ゼファーくん、そんな知り合いがいるんだ」

「殿下もよくご存じの方ですが、彼女の名誉のために秘密です。私も空腹ですし、早く向かいましょう」

「えぇ、余計気になっちゃうよ~」


 ゼファーが言う酒を飲むたびに吐く女のことが誰か分かったのか、リタが小さく噴き出した。

 同じ頃、帝都でくしゃみをした赤毛の女がいるとかいないとか……。

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