05:アリステラの短剣

「ゼファー様、こちらがアリステラ殿下が必ずマギウスへも持っていかれるであろう武具です」


 中庭に戻ってきたリタがゼファーに差し出したのは、革のケースに収められた小ぶりの短剣だった。確かに短剣程度の大きさならば、持ち運びにも支障はない。お守り代わりにもなる。


「手にとってもよろしいですか?」

「……はい」


 若干の逡巡ののち、リタが頷いた。それについては無理もない、と思う。

 主人の所有物を勝手に持ち出し、他人の手に触れさせているのだ。まともな侍女なら罪悪感で胸が張り裂けそうになっていることだろう。

 しかし、そうだとしても、リタはアリステラのためにこの短剣をゼファーの元へと持ってきたのだ。ゼファーは、リタがアリステラを強く想うその心を、非常に尊いものだと思った。


「綺麗な短剣ですね。よく手入れもされているらしい」


 リタから受け取った短剣のケースを外し、刀身をまじまじと見つめる。

 アリステラはきっと、この短剣に毎日油を注して磨いているのだろう。一点の曇りもないその刃は、先ほど言葉を交わした彼女の心そのものを映しているようにも思われた。


「アリステラ様は、私が差し上げたその短剣をとても大事にしてくださいます」

「なるほど、リタさんのプレゼントだったんですね」

「はい」


 アリステラが短剣を扱うさまを想像したのか、リタが慈しむような笑みを零す。

 この短い邂逅でもゼファーにはわかった。リタとアリステラは、常人では及びもつかないほど深い絆で結ばれている。


 さて、思考を別のところに飛ばすのはこれくらいにして、本題に移ろう。

 ゼファーは優しく短剣の刀身に触れ、軽く魔力を流してみた。


 魔術道具である魔力環は、それ自体が魔力を非常に通しやすい魔導鋼と呼ばれる特殊な金属で作られているのが常だ。一方、世にひしめく鉄や鋼などは、魔力を伝導するには少々難がある。故に、先ほどのリタも「まさか」とゼファーに問うたのだろう。

 魔導鋼で鍛造されることが少ない武具に、魔力を込めるのは至難の業だ。

 ゼファーやアリアンロッドほどの魔術師ならば、あるいはそれも可能だが……。 


「おや。この短剣、少し魔導鋼が混ぜられていますね」


 眉を上げて、ゼファーがリタに言う。

 アリステラの短剣は一般的な武具より、よほど魔力を通しやすかった。ゆっくりと、しかしさしたる抵抗もなく魔力を込められる武具は、まず間違いなく魔導鋼が混ぜられている逸品だ。


 すると、リタはばつが悪そうな顔を見せた。


「そうとは露知らず……何せまだ私が幼い頃に購入したものですから……」

「慧眼でしたね。これなら魔力を込めるのは容易です」


 短剣について知らなかったことを恥じるようなリタの言を、ゼファーが笑いながらで否定する。


「幼い頃のリタさんが、今この時のアリステラ殿下を救うためにプレゼントされたんですよ」

「……ふふ。ありがとうございます、ゼファー様」


 ゼファーの励ますような台詞に、リタが頬を緩めた。


「さて、それでは魔力を込めようと思いますが……込める魔力の質によっては放出される魔術が固定されてしまうんですよね。アリステラ殿下の好きな魔術って何かありますか?」

「好きな魔術、ですか……。やはり、火炎魔術でしょうか」

「アリアンロッドの得意魔術ですね」


 初球の火炎魔術であればゼファーも扱えるが、高度な火炎魔術はゼファーの対象範囲外だった。とはいえ入学試験に使用する魔術なのだから、そこまでレベルが高いものでなくてもいいだろう。

 そんなことを考えて、ゼファーは火炎魔術が放出されるような魔力を短剣に込めはじめる。

 そのうち、何かを聞きたそうにソワソワしているリタが目に入るものだから、ゼファーは思わず彼女に尋ねてしまった。


「リタさん。何か質問が?」

「……はい、ゼファー様」


 申し訳なさそうに小さく頷いたリタ。

 今後、俺たちはアリステラ殿下の護衛に付く仲間なのだから遠慮はいらない。そんな気持ちを込めて、ゼファーは優しく続きを促した。


「ありがとうございます、ゼファー様。……では、魔力の質、というのはどのようなものなのですか? 初めてお聞きしたもので……」

「ああ……普通はなじみが薄い言葉でしょうね。「質」はあくまで私の感覚の話なので分かりづらいかもしれませんが、ほかの魔術師は「色」だとか「鼓動」「波長」なんて言ったりします」


 リタの質問に対し、わかりやすいようにと思って魔力の質に変わる言葉を教えてみたが、当人は余計わからなくなってしまったようだった。首を傾げている。


「失礼。……では、フロストルム家の得意な魔術はなんですか?」

「我々一族ですか? フロストルムの一族は皆、氷雪魔術を得意としていますが……」

「そう。意外と血筋で得意な魔術は決まっていたりしますよね? ヴェルメア家なら火炎、ルクスラ家なら光明、みたいに」


 ヴェルメアは帝国の皇家、ルクスラは魔術師を数多く輩出している帝国の名門貴族である。なじみがある家名を耳にして、リタは頷いた。


「では、なぜ血筋で得意な魔術が決まっているのでしょう?」

「ええと……」


 リタが考え込むような素振りを見せる。急に言われても確かに難しいかもしれない。


「例えばリタさんの美しい銀髪……ご両親も同じような髪をお持ちなのですか?」

「う、美しい、ですか……」


 ヒントのつもりで出した言葉だったが、どうも口説き文句のような台詞になってしまった。そういうつもりじゃなかったんだが、と思うがもう遅い。

 しばしの間沈黙が続いたが、やがて仕切り直すようにリタがこほん、と咳払いした。


「えっと……私の髪と両親に話に飛んだということは……魔力も親から受け継がれる、ということなのですね」

「おおむねそうなります」

「ということは……一族に受け継がれる魔力は同一の特徴……そう、形状をしているから、同じ魔術が得意になるということですか? 魔力を形と言っていいのかは、わかりませんが……」

「いいや、その通り。正解です。リタさんは魔力を「形」に形容する方が分かりやすいようですね」


 ほくろの位置や、鼻の形など、外見に関して、血族に脈々と受け継がれていく部分が確かに存在する。

 それは魔力にしても同じ話なのだ。魔術師たちの長年の研究によって、魔力には血族独特の「質」や「形」、「波長」があって、それが血族の行使する魔術に大きな影響を与えていると言われていた。


「だからゼファー様は武具に込める魔力の質を気にしていらっしゃったのですね」

「そうです。私が何も考えずに魔力を込めたら風塵魔術が出てきます」

「私の場合は、それが氷雪魔術……。なるほど……よくわかりました。ありがとうございます、ゼファー様」


 存外語りすぎたかと危惧していたが、意外とリタは即興の講義を喜んでくれたらしい。引かれなくてよかったな、とゼファーは内心胸を撫で下ろした。


「ゼファー様、私も短剣に魔力を込めてよろしいですか?」

「え? ええ、それは構いませんが」

「アリステラ殿下がフロストルムの氷雪魔術を行使する様……見てみたいのです」


 そんなもの、反対する理由を見つけるほうが難しい。ゼファーは笑顔で短剣を差し出し、リタも同様の笑顔でそれを受け取るのだった。


 そうして、二人で短剣に魔力を流し込むこと五分ほど。

 アリステラの短剣には、確かにゼファーとリタの魔力が込められ、魔術を放出することができるようになっていた。


「これで完成ですね。あとは入学試験でアリステラ殿下が魔術の行使を念じてこの短剣に触れるなり何なりすれば魔術が出てきますよ」

「であれば問題ありませんね。殿下は戦の前には必ずこの短剣に触れられます。入学試験でもきっと触れてくださるでしょう」

「それは重畳」


 最悪ゼファーは自身が遠隔で短剣から魔術を放出することも考えていたので、アリステラが短剣に触れるルーティンを持っていることは良い知らせだった。


「……ゼファー様、急なことに対応いただき誠にありがとうございました。リタ=フロストルム、このご恩は一生忘れません」


 大事そうに短剣を胸に抱いたリタが、大きくゼファーに礼をした。こんなことでそこまで大仰に感謝されるとは思わず、ゼファーが少したじろぐ。


「いや、そんな大したことじゃありません。顔を上げてくださいリタさん」

「……ゼファー様」

「たぶん、私はマギウスであなたに助けてもらうことが多くなると思うので」


 これはゼファーの本音だった。戦場で援軍が到着するまでの間、壊滅した部隊を護衛するならまだしも、学園に入学して長期にわたって誰かを護衛するなど、ゼファーには未知の領域なのだ。


「もしこの事をご恩に思ってくださるなら、マギウスで私を助けてほしい。それで貸し借りはなしです」

「……はい、わかりましたゼファー様。私でお助けできることがあれば何でも」


 ゼファーの頼みに、リタはゆっくり頷いた。

 そんなリタを見て満足そうに笑ったゼファーは、ああそうだ、と手を叩いた。


「あとはそのゼファー様って畏まるのやめてもらいたいんですが」

「それでしたら私もゼファー様には自然体で接していただきたいです。どうぞリタとお呼びください」


 さっきからずっとゼファー様と呼ばれていてむず痒かったので、やめてもらおうと思えばリタも同様の願いを口に出す。

 二人は顔を見合わせて笑い、どちらともなく口を開いた。


「じゃあリタ、マギウスではよろしく」

「ゼファーさん。マギウスではよろしくお願いしますね」

「さん付けは取れないんだな」

「癖ですので……」


 なるほど、癖なら仕方ない。


「では、俺はそろそろ帰ろうかな。今日はありがとう、リタ」

「こちらこそ。ゼファーさんにマギウスでお会いできること、楽しみにしています」

「ああ、俺も。リタにまた会えるのが楽しみだ」


 丁寧なお辞儀をするリタに手を振って返し、ゼファーは中庭を後にした。

 そのまま廊下を歩き、正門を出たところで。




「……家名のこと聞き忘れたし、アリアンロッドに顔出すって言ってたんだったっけ……」


 自らの失態に気付き顔を曇らせるものの。


「まあいいか。チャンスはまだある……」


 そう呟いて、商業区の自宅へと歩き出したゼファー。

 しかしその五秒後には、彼目がけて「何がいいんだよ」の声と共に火球が降ってくるのであった。



 

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