02:《灼華》アリアンロッド

「おい、どこまで俺を引きずっていく気だアリアンロッド……」


 皇帝アルフレドから第三皇女アリステラの護衛に関する命を受け、その御前から辞した直後。

 宮城の廊下で同僚アリアンロッドと鉢合わせてしまったゼファーは、彼女に首根っこを掴まれながらずるずると引きずられていた。


「だいたい何だって宮城にお前がいるんだアリアンロッド。いつも何かと理由をつけては来たがらないくせに」

「あぁ、まあねえ。だーれがこんな狭苦しいとこに戻るかっての」

「宮城のどこが狭苦しいんだよ……」


 ガハハ、と豪快に笑うような口ぶりでアリアンロッドが答えた。

《灼華》アリアンロッドは、その二つ名のように燃える華のような赤毛の長髪と、帝国魔術師が身にまとう黒いローブを大きく押し上げる豊満な胸部が印象的な女魔術師である。年の頃はゼファーより上で、二十は超えていると思われるが、よく言えば豪放磊落、悪く言えば雑な性格なので、ゼファーも気安く接していた。


「……で、どこまで連れてく気だ?」

「いやさ、いろいろ聞きたいことがあるからとりあえずあたしの部屋に連れてこうと思って」

「嘘だろ!」


 ゼファーが叫ぶ。アリアンロッドとゼファーが仲良く(?)廊下を歩く姿を目撃した侍従たちがくすくすと笑いを噛み殺しながら歩いていく様を見て、ゼファーは《魔導六煌》の威厳も何もないと嘆きたくなった。


「メイルポートまで連れてく気か!?」


《魔導六煌》は帝国最強の魔術師集団だが、なんやかんやで仲が良い。そのため互いの住居についても把握済みであり、アリアンロッドの住処は王都の外、商業都市メイルポートにあった。

 メイルポートは馬車を使っても王都から半日はかかる距離にある。そこまで俺を引きずっていく気か、とゼファーは戦慄した。


「……誰もメイルポートまで連れてこうなんて言わないさ。よし、着いた」

「おいアリアンロッぐえ」


 到着、と言わんばかりに、アリアンロッドは宮城のとある部屋前で立ち止まる。なおかつ急にゼファーの首根っこから手を離すものだから、ゼファーはあえなく廊下に墜落した。絨毯が柔らかかったのだけが救いである。


「何するんだアリアンロッド……というか、ここのどこがお前の部屋だよ。皇族の部屋だぞ」

「いーや、正真正銘あたしの部屋さ。第二皇女アリアンロッド=ディアナ=ヴェルメア殿下の自室だよ」

「へ……? あ……え?」

「あっははは! いつバラそうか迷ってたんだけどまあちょうどいいから今日にした。ほら入んな!」


 バシバシ、と背中を叩かれながら、アリアンロッドの急なカミングアウトに思考を止めてしまったゼファーはゆっくりと彼女の自室――第二皇女アリアンロッドの部屋――へと足を踏み入れた。


「いや、それよりも第二皇女って……アリアンロッドが? 嘘だろ?」

「言ってくれるじゃないのさ」


 愕然とした風のゼファーを見て、アリアンロッドがけらけらと笑う。勝手知りたると言わんばかりに部屋の様々なものをてきぱきと片付けたアリアンロッドは、テーブルとチェアを顎で指し示て座んな、と呟いた。


「お前が皇女? 魔物を焼き付くしたあとその肉を食べる野蛮な女が? 同僚と飲みに出かけたらほぼ必ず飲みすぎて吐瀉する女を捨てた女が? ありえん……」

「おい言いすぎだぞクソガキ」


 茫然自失、と言わんばかりによろめきながら腰かけたゼファーに、アリアンロッドはなおも笑みを零す。あたしが皇女なのがそこまでショックかい、と笑った。


「これからはアリアンロッド殿下と呼ばなきゃいけないのか……? 嘘だろ……なんでみんな教えてくれなかったんだ……」

「《魔導六煌》でいるうちは皇族も貴族も平民もないって言ったんだよ、あたしが。そのあとアンタが入ってきた。だから畏まらなくていい」

「ああ……確かに陛下の燃えるような赤毛とお前の赤毛はそっくりだ……なんで気づかなかったんだ……」

「そんなにショックかね」


 ゼファーの過剰な反応にアリアンロッドは首を傾げたが、ややあってそれはともかく、と手を叩いた。


「それよりアンタに下った帝命だよ。マギウス魔術学院に行けって言われたって?」

「……あ、ああ。そうだ。アリステラ殿下の護衛に……」


 ゼファーははっとした。目の前の女が第二皇女アリアンロッドなら、第三皇女アリステラは彼女の妹だ。


「もしかしてアリアンロッド、お前、アリステラ殿下が心配で俺を?」

「まあそれもある。腹違いとはいえあたしの大事な妹だ。何が何でも護れって釘差しとこうと思ってね」


 言われるまでもない、とゼファーは頷いた。皇帝アルフレドに対し、命に代えてもアリステラ殿下を守ると宣言したのだ。アリアンロッドに似たようなことを言われようと、その気持ちに変わりはない。


「そう、あとはまあ二つ三つほど忠告かな。《魔導六煌》の同僚として、ありがたい忠告」

「忠告?」


 アリアンロッドの言葉に眉を上げたゼファーが、彼女に続きを促す。アリアンロッドは不敵な笑みを浮かべながら言葉を続けた。


「アリステラが武に秀でてることは知ってるね?」

「ああ。剣と槍の皇女殿下、姫戦士アリステラ。街に下りれば知らないやつはいないだろ」

「そう、その通り。アリステラは武の才能に秀でている。ただね、言い換えると……アリステラはその才能を武力に全振りしている」

「才能を武力に……?」


 ゼファーはアリアンロッドの説明に眉根を寄せた。いまいち判然としない。


「もっとわかりやすく言おう。アリステラは武力以外の才能に乏しい」

「どういうことだ?」

「汚い物言いをすれば、あの子は能無しだ」

「な……」


 能無し。それは世間一般に、魔術を行使することのできない者、魔術の根源たる魔力に乏しい者に対する蔑称である。ゼファーやアリアンロッドなどの魔術師からすれば、もっとも縁遠い言葉。

 アリステラ殿下が、そんな能無しだって言うのか?


「だがそれならなぜアリステラ殿下は魔術学院の入学を志しているんだ?」

「ないものに夢を見る……。あの子はマギウスに行けば自分も立派な魔術師に……大好きな姉に近づけると思ってるのさ」

「立派で大好き……?」

「そこはツッコまなくていいんだよ」


 ゼファーはそう言うアリアンロッドに頭を叩かれたが、あまり嫌な気分はしなかった。彼女の物言いには確かに妹を慈しむ姉心が感じられたからだ。

 

「……アリステラ殿下の現状はわかった。しかし魔力に乏しいとなると入学も厳しいんじゃないのか?」


 マギウスは誰にでも門戸を開いているが、魔術の才に乏しい者を迎え入れようとするほど懐が広いわけでもないはずだ。そう思ってアリアンロッドに問うと、彼女はチッチッチと口に出しながら指を振った。


「裏口入学だ」

「皇族特権かよ」


 ゼファーは思わずツッコんでしまった。しかし、確かにアリステラ殿下が話に聞くような能無しなら、マギウス魔術学院に入学するためにはそうするほかないだろう。


「ま、いろいろ向こうにも好条件を提示したのさ。《魔導六煌》が特別授業をしてさしあげますよ、とか」

「まさか、お前が講師になるのか?」

「さあねえ」


 口笛を吹いて誤魔化すアリアンロッド。絶対教師に向いてない、とゼファーは失礼なことを考えた。


「アリステラ殿下のことは初耳だったし聞けて良かったよ」

「ああ、それでさ、アリステラはアンタが《魔導六煌》……帝国最強の魔術師と知らないわけだけど」

「ん? ああ……まあ近いうちに一度お会いしていろいろ説明を」

「やめときな」

「……なんでだ、アリアンロッド?」


 強い口調でゼファーを止めるアリアンロッドに、思わずゼファーは聞き返す。

 アリアンロッドがこんなに強い口調で人を止めるのは、《魔導六煌》の面々がその中でも一番温厚と名高い《廻瀾かいらん》の寝顔にいたずら書きをしようとしていた時くらいのものだ。


「アリステラは皇族としての特別扱いを嫌うんだ。自分に帝国最強の魔術師が護衛として付いてるなんて知れたら荒れるに決まってる。それに、アンタの才能を見たら……まあ、ね」

「でも特別扱いは入学の時点で……」

「だからあたしらは何も言わないんだよ。わかるねゼファー」

「理屈としてはわかるが……」


 果たしてそれが本当にアリステラ殿下にとって良いことなのか?

 そう続けようと思ったゼファーだったが、アリアンロッドの強く心に決めた表情を前に、その言葉は喉の奥に引っ込めておくことにした。今は別に、殿下にすべてを明かすこともないか。


「……アリアンロッド、お前が言うにはつまり、俺は《狂飆》としての実力は隠し、護衛であることも隠し、アリステラ殿下に近づかなければならないのか?」

「まあ、そうなるね」

「賢き飛竜は爪を隠すと言うが……これじゃ牙も隠すの同然だな」

「賢き飛竜だから爪も牙も隠せるのですよ。《狂飆》のあなただからできると信じています、ゼファー」


 アリアンロッドが、ヴェルメアを統べる一族の一人として、湖畔に揺蕩う月のように美しい笑みを浮かべて言った。





「……おいおい、鳥肌が立ったぞアリアンロッド」

「ほざきな」


 次に降ってきたのは拳ではなく、アリアンロッドが得意とする火炎魔術の火球であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る