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 クリスマス直後、付き合っていたカノジョから「好きな人が出来たの」と振られた。

 付き合って三か月ほど。こっちはまだ普通に好きだったけれど、きっぱりと言い切ったカノジョに考え直してほしいなどと言えず、ただ承諾するしかできなかった。

 その後、どこをどうして何をして帰って来たのかわからないけれど、気付けばアパートの玄関で、あまりの寒さに目を覚ました。

 頭はガンガン、気持ち悪いし、自分が酒臭い。

 これが、きっと噂に聞く二日酔いとか言うやつだ。

 お酒は二十歳になってから、ってことで今まで飲んだことなかったし知らなかった。つらい。

 とりあえず、ずるずると這いながら布団に移動して潜りこみ二度寝。

 日付の感覚もないまま、何度か目を覚まして、水を飲んだりはした。

 ただ、何もやる気が起きず、ほぼ布団と同化していた。

「うー。からだがいたい」

 寝すぎで背中がばきばきする。

 このままでは固まって動けなくなってしまいそうだ。

 丸まっていた体を布団の中でゆっくり伸ばす。

「……起きるか」

 凹んでいても何度も朝は来るし、おなかも空く。

 残念ながら食料のストックが切れていたので、ざっくりとシャワーを浴びて着替えて、買い出しに行くことにする。

 出掛けに、玄関先に転がっていた携帯を拾い上げると、案の定バッテリー切れで何もうつさない。

 コンセントにつなぎ、充電状態にして家を出た。



 しばらく食べていなかったので、胃にやさしそうなヨーグルトやプリンやら、あとは適当にインスタント食品をかごに入れて、レジで財布を開いて気付いた。

 お札が一枚も入ってない!

 小銭はあったが数百円で、絶対的に足りない。

 店員にお金を入れて来るのを忘れたと謝って、あわててコンビニを出る。

 おかしい。確かに入ってたはずだ。おろした直後だったから。まだ三万円くらいは。どこに消えた。

「やば」

 すきっ腹で走ったせいか視界がゆがみ、しゃがみ込む。

 ざらざらと荒くなる景色が気持ち悪くて自分の膝に突っ伏し眼を閉じた。

 これからどうしよう。

 追加の仕送りを頼んだりしたら、一人暮らしなんか止めて家から通えとか言われそうだよなぁ。

 片道二時間半もかかるのに、勘弁してほしいよなぁ。どこに行った、おれの三万円。

「ねぇ、だいじょうぶ?」

 すぐ傍で聞こえたかわいらしい声にのろのろと顔を上げる。

「大丈夫くない」

 ちかちかする景色の中、声と同様にかわいらしい小学生が小さく首をかしげていた。

 ダメだ。しんどい。再び突っ伏す。

「まってて。いま、呼んでくる」

 ぱたぱたと小さな足音が遠ざかった。



 目が覚めたら知らない天井があった。

 ちょっと結構古びた感じ。

 体を九十度回転させるともとは真っ白だったであろう、少々くたびれた色のカーテンと壁。

 反対側に百八十度回転させると、やはりくたびれた色のカーテンが一面に広がっている。

 えぇと、あれだ。

 高校の時に何度か半仮病でサボった保健室に良く似ている。

 固いベッドの質感も、そういえばちょうどこんな感じで。

「どこだ、ここ」

 のろのろと起き上がると頭がふわりと変に軽い。

 これ、立ち上がるとヤバい感じか?

「あ、起きてる。……大丈夫?」

 仕切りのカーテンの隙間から、女の子が顔をのぞかせる。

「たぶん」

「待ってて。先生、呼んでくる」

 ぱたぱたと遠ざかる足音を聞きながら、覚えのあるやり取りをなんとなく思い出す。

 コンビニ出た後、声をかけてくれた子だろう。

 あの時の言葉通り助けを呼んで、ここまで運んでくれたようだ。

 あのまま放置されたら凍死コースだった。あぶない。たすかった。

「大丈夫ですか、あけますよ」

 さっきの子ではない、女性の声と同時に返事を待たずカーテンが開けられる。

「まだちょっと顔色悪いか。はい。熱はかって」

 入って来た看護師さんは、こちらの顔を少し見た後、体温計を手渡してくれる。

「ありがとうございます。……あの、ここは」

 施設は古びているが、体温計は普通の電子式のものだった。

 脇に挟んでから看護師さんに尋ねる。

「あなたが倒れていたところから、そんなに離れていないですよ。徒歩五分くらいの吉藤医院……三十七.五度。まだ少しありますね。水分補給してくださいね」

 検温完了の電子音が鳴った体温計を受けっとり、かわりにペットボトルをこちらに手渡した後、テキパキと手元のバインダーに書き込む。

 自分とさほど歳は変わらなさそうに見えるのに、なんかすごくしっかりしていて、自分の情けなさにがっかりする。

「おかーさん。おかゆ持ってきた」

 先ほどの女の子が一人用の土鍋と茶碗ののったお盆をベッドサイドのテーブルに置く。

 え? おかあさん?

 女の子は十歳くらい。看護師さんは二十代前半にしか見えない。若すぎない?

「ありがと。じゃ、これ食べてください。少ししたら先生が来ると思いますから、診察うけてください」

「ありがとうございます。いただきます」

 淡々と説明して出ていく看護師さんと女の子の背中に、あわててお礼をつたえた。



 気付いたのは診察後、受付で保険証の提示を求められ、財布を開いた時だ。

 保険証はいつもの場所に入っていた。

 問題は、お金だ。

「……あのぉ」

 先ほどとは別の看護師さんに保険証を差し出しながら、おそるおそる声をかける。

「はい?」

「……お金、なくてですね。えぇと、後日では、まずいですか?」

 そうだよ。コンビニで食料も買えなかったんだった。

 帰らない予定だったけど、年末実家に帰ってお年玉もらって支払いとか、ダメだよなぁ

「なに。どしたの? お金ないの?」

 さっき診察してくれた妙に愛想のいい医師が顔をのぞかせる。

 入ってたはずの三万がなくなってて、そのせいでコンビニで何も買えなくて、帰りに倒れたことを焦って説明する。

「あ、そっか。振られて、やけ酒飲んだ時に使い切ったのか」

 ふと思い出し、口走ると医師と看護師が顔を見合わせて、笑いをかみ殺している。

 しまった。これは恥ずかしい。

「そっかぁ。じゃあ、治療費良いから、労働する? 三食付けるし、たくさんじゃないけどバイト代も出すよ。さっきの病室で良ければ泊まってもいいし」

 年末帰省しないと言ってあった実家に戻るのもいろいろ言われそうだし、願ってもない申し出だ。

「よろしくお願いします。明日の朝、来ればいいですか?」

 食べた後、診察してもらいひと眠りしたら平熱まで下がっていた。今晩寝ればもう完治だろう。

「時間は適当でいいよ。ゆっくり寝てから来て。熱が下がってなかったら来なくて大丈夫だから。っていうか、一旦帰って支度してここに戻ってきてもいいよ。食べるものないんでしょ?」

 こちらとしてはすごく助かる申し出だけれど、大丈夫なのか。

 ちらりと看護師に目をやると、呆れたような顔で医者を見つめていた。

 そりゃ、そうですよねぇ。

「まぁ、でもその方が安心ですね」

 断ろうとしたところを看護師さんが一つうなずいて、結局甘えることになった。



「おはよー。志緒ちゃんも来てくれたんだね。こっちのお兄さんはいたるくん。掃除手伝いだからね」

 おかゆをもってきてくれた女の子が裏口から入ってくると、受付対応してくれた看護師の辻さんが紹介してくれる。

「おはようございます。……風邪、治ったですか?」

「うん。おかげで。ありがとうね」

 少し屈んで目線を合わせてお礼を言うと、小さくうなずいて「駐車場掃いてくる」とすぐに外に出て行ってしまう。

「えぇと。ここのお子さんですか?」

「ううん。昨日会ったでしょ。もう一人の筒井って看護師の娘。でも、まぁ、近いうちに、ここの子になるかもしれないわねぇ先生ともうまくいってるみたいだし」

 辻さんは何か楽しそうに笑いながら、少し声を潜めて教えてくれた。

 そっか。



「お昼にしますよ」

 何年も前から使われなくなったらしい入院用の病室の掃除をしているところに、パーカーにジーンズというラフな格好の筒井さんが顔をのぞかせる。

 そんな格好だと、まずます若く見えた。

「すごい、きれいになってる。がんばってるねぇ。寒いけど風邪ぶり返してない?」

 なんていうか、看護師の格好の時より当たりが柔らかい。というか、子供扱いされてるのか。

「風邪は大丈夫です」

 もともと丈夫なのだ。今回はただ不摂生が過ぎたのと精神的なショックがあっただけで。

「そ? じゃ、行こっか」

 軽やかな足取りで先に歩き出す。

「……志緒ちゃん、良い子ですね。すごくしっかりしてるし」

 会話に困り、半ば無理矢理見つけ出した話題だったけれど、振り返った筒井さんは満面の笑みだった。

「でしょ! 料理も上手なのよ。あのおかゆも志緒が作ったしね。嫁にはあげないわよ」

 いたずらっぽく笑う顔が思いのほか可愛くてびっくりする。

「え、と。いりませんよ!」

「なに? うちの志緒のどこが不満なの!」

 慌てて返すと、筒井さんはむっとする。

 欲しいとか言ったら言ったで絶対怒るでしょ。めんどくさい人だな。

「そんな顔しないでよ。冗談だよ。ほめてくれてありがと。自慢の娘なの」

 はにかむような笑みを残して、軽やかに階段を下りる背中を追いかけた。



「恵理ちゃん。夕ご飯の買い出し頼んで良い? 至くん、荷物持ちに連れて行って良いからー」

 掃除がひと段落つき、残りはまた明日にしようと決まったところで、辻さんが筒井さんに声をかける。

「はぁい。志緒は?」

「宿題やって待ってる。先生が教えてくれるって」

 ホントにしっかりしてるなぁ。きっちり掃除も手伝って、勉強もやるなんて、えらい。

 自分が小学生の頃を思い返すと、掃除はさぼって、宿題なんか新学期始まる直前に親に泣き付いて、だった気がする。

「志緒ちゃん、先生とも仲がいいんですね」

「先生も奥さんも志緒のこと、可愛がってくれるから、すごく助かってる」

「そうなんですね……奥さん。って?」

「あれ、聞いてない? 辻さん。病院では旧姓使ってるけど、先生の奥さん」

「え?」

「そんなに意外かな?」

 思わず足を止めると、筒井さんも合わせて立ち止まりこちらを見上げる。

「……いえ。筒井さんがそのうち先生の奥さんになるだろうみたいなことを、その辻さんから聞いたので」

 ぼそぼそと答えると筒井さんは何とも言えない表情になる。

「人をからかうの好きな人だから……何を思ってそんなこと言いだしたんだか。困った人だなぁ。私も昔ね、」

 他愛のない辻さんのいたずらの内容を楽しそうに話してくれる。

 そっか。うん。


 

「あれ、志緒ちゃん」

 並ぼうとしたレジに見覚えのある後姿を見つけ声をかける。

「いっちゃんだ」

 あれから掃除を手伝ったり、先生と暇つぶしをしたりと年末年始を病院で過ごした。

 そのあとも病院の休みの日に先生に呼ばれてお邪魔すると、志緒ちゃんたちもいたりして、それなりに仲良くなった。

 ただ、試験が近くなるとこちらもそれどころではなく、最近は足が遠のいていたから、ちょっと久しぶりな感じだ。

「買い物? 恵理さんは一緒じゃないの?」

「お母さんはまだ病院。いっちゃん、またそんなのばっかり食べてる。良くないよ」

 かごの中はスナック菓子とカップ麺でいっぱいになっている。

「……ごめんなさい」

 笑ってごまかそうとしたが、非難がましい目にぶつかり素直に謝る。

 小学生に食生活を注意される大学生。ダメすぎだろ。

「でもさぁ。志緒ちゃんもチョコばっかりじゃん?」

 板チョコ数枚とあと細々としたものしか入ってない。

「私のはバレンタインの準備」

 会計を済ませた後、並んでエコバックに商品を詰めながら志緒ちゃんは一緒にするなと言わんばかりの口調だ。

「何。手作り? 好きな子に上げるの? どんな子?」

「友達と交換する用だよ。好きな子なんていないし」

「え。おれのことは?」

 冗談めかして言うと、志緒ちゃんはこちらを見上げる。

「いっちゃんはさ、お母さんのことが好きなんじゃないの?」

「え?」

 あまりに唐突なことを言われて固まる。

 いやいやいや。

 確かに、割とかわいい人だし、年上に見えない感じだし、話してても楽しいけど、でも、それだけだ。しっかりしてそうで、たまに抜けてるし、親ばかだし、そういうとこも、可愛いけど、でも。

 考えたこともなかった。

 だってさすがに対象外だろう。

 恵理さんだって、こっちのこと手のかかる弟みたいな扱いしてる。

「なんで? そんなふうに見えた?」

 先に歩き出した志緒ちゃんの隣に並ぶ。

「んー、どうだろ」

 はぐらかすというよりは、本当に迷っているような感じに見えた。

「でもさぁ。たとえば志緒ちゃんはOKなの? おれが恵理さんを好きだったとしても」

 母親を取られるみたいな感覚にならないのだろうか。

「私はお母さんが幸せになるならそれで良いし」

「恵理さんは志緒ちゃんがいるから幸せだと思うよ」

 どこか淋しげな志緒ちゃんに真面目に伝えると大人びた笑みをこちらに向ける。

「あのね、お母さんはホントは叔母さんなの.ママの妹。私のこと、引き取ってくれたの。私のせいで失くしたものもあるし、我慢してることもいっぱいあるはずなの」

「でも、それは志緒ちゃんのことが好きだから」

「うん。わかってるよ。だけど、それとは別だよ」

 たぶん、その通りなんだろう。

 いちばん傍にいる志緒ちゃんがそう思うのなら。

「なんか、おれダメダメだねぇ。なのに、なんでおれに話してくれたの?」

「いっちゃんが良い人だから、かな。お母さんもいっちゃんといると楽しそうだしね」

 どこかからかうような口調。

 小学生にやり込められた気分で大変悔しい。

「じゃ、今度三人で、どこか遊びに行こう」

 悔しいけれど、まぁそれはそれとして。

 まずは屈託なく笑った顔がみたいから、とりあえず。


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