猫王国のお祭り

れんげそう

猫王国のお祭り



 今日は年に一度のお祭りの日。


 朝から国中の猫たちがバタバタと走り回っています。


 漁師は夜も明けないうちから船をだし、美容師は自慢のハサミを使って列をつくるお客さんの毛をカットしていきます。


 特に今年は一人っ子の王女様が成猫おとなになるのでお城の人たちも大忙し。


 厨房のシェフ達は食材が書かれたメモを片手に市場に向かい、メイド達は床から窓から全てをピカピカに磨きあげています。


 みんなお昼寝も忘れてしまったように働き、主役のエレン姫だけが部屋で時間をもて余していました。


「ふわー…っ。

 誰も遊んでくれにゃいにゃんて、つまんにゃい」


 夕日が差し込む窓辺に前足をかけて人目も憚らずに大きな欠伸です。


 全身の白い毛がほんのり湿っているのは、先程まで数人がかりのメイドにお風呂に連行されてシャンプーでくまなく洗われたから。


 その後でたっぷりと嫌いなドライヤーの温風にさらされたので、姫はご機嫌斜めです。


 走り回っていると知らぬ間に絡まる長い毛並みも、煙突や屋根裏を歩くとすぐに汚れる白い毛も、姫は好きではありませんでした。


「神様にゃんて、いるわけにゃいにゃ」


 茜色の空を見上げる姫の小さな呟きは誰にも聞かれずに消えていきます。


 王国には代々受け継がれている伝説がありました。


 王女様が成猫おとなになる年の祭りの夜には神様が現れて次の国王を選ぶというのです。


 そして姫はその猫と結婚しなければならない決まりでした。


 今夜のバーティでは神様に選んでもらおうと国中の雄猫がお城にやってきます。


 でも姫は勘づいていました。


 子供の頃から一緒に机を並べて育ってきた虎柄の幼馴染は父王が姫にあてがった猫です。


 年も近く、日に日に精悍になっていく彼は左大臣の子息でした。


 父王は次の王に彼をすえようと考え、姫が子猫の頃から側においていたのだろうというのは容易に推測できました。


 なにせ姫は生まれてから今日まで神様を見たことがないので、父王が伝説を利用しようとしているようにしか思えなかったのです。


「お散歩、行きたいにゃあ…」


 今日は大嫌いなシャンプーの時しか部屋を出ていません。


 お転婆なエレン姫がパーティ前に泥だらけにならないよう、部屋の前には見張りまで立っています。


 姫はイライラしてつい爪研ぎをしてしまいました。


 無心で爪を立てて引っ掻いていくと不思議と苛立ちが落ち着いてきます。


 研いだことで少しだけ丸みをおびた爪先をペロリと舐めました。


「随分と行儀の悪い姫さんだにゃ」


「にゃっ?!」


 突然、空から声が降ってきました。


 姫が窓の外に目をやると黒く大きな影が外から部屋の中に飛び込んできます。


 突然の事に姫の白い尻尾が大きく膨らみますが、騒ぐ前に黒い影に押し倒されて口を塞がれてしまいました。


 山の向こうにほとんど隠れてしまった夕日の光は弱く、姫にのし掛かってくる黒い毛並みはまるで夜の漆黒を吸い込んでいるみたいです。


「騒ぐにゃ。

 騒がにゃければ怪我をさせるつもりはにゃい」


 金色の瞳がうつす姫の瞳孔はお月様のようにまんまるくなっていました。


 姫が口を塞がれたまま頷くと、彼の背中で細くしなやかな尻尾がゆったりと揺れました。


「俺は怪盗だ。

 この城のにゃかで1番値打ちがある宝はどこにある?」


「それを聞いてどうするのにゃ?」


「決まってるだろ。

 盗むのさ。

 俺は怪盗だからにゃ」


 負けたことなどないような自信たっぷりの目が姫を見下ろしています。


 その金色の瞳は姫がこれまで見てきたどの宝石よりも魅惑的に輝いています。


 姫はゴクリと喉を鳴らし、早鐘を打つ鼓動を抑えながら口を開きました。


「盗み出すにゃんて無理にゃ」


「そんにゃことにゃい。

 俺の実力も知らにゃいくせに」


 姫がわざと素っ気なく突き放すと黒猫はムキになって白い牙をのぞかせました。


 姫は心臓を落ち着けながらツンと澄まし顔をつくります。


「部屋の前には見張りがいるにゃ。

 それどこか今夜は城の至るところに他の猫の目があるにゃ。

 どうやって中に忍び込むつもりにゃ?」


「天井裏の小窓からでも堀の水路からでも、いくらでも方法はあるにゃ」


「じゃあ教えにゃいって言ったら?」


「これを見てもまだおにゃじ台詞が言えるかにゃ?」


 ちっとも強気な彼の表情が崩れないので揺さぶってみると、彼はポケットから小さな匂い袋を取り出しました。


 彼がその袋を少し揺らしただけで袋の開口部に少しだけ付着していたらしいそれがツンと漂ってきます。


 ぞわりと姫の全身の毛が粟立ち、悩ましい吐息と共に彼の下で体をくねらせてしまいます。


「そっ、それは…っ」


「そう。

 マタタビ粉にゃ。

 まったく効かない強者もいるらしいが、そんにゃ奴には会ったこともにゃいんでね」


 黒猫が匂袋を姫の鼻先で揺すると、意思に反して姫の体からは力が抜け目がとろんとしてきます。


「さぁ、この袋が欲しかったら素直すにゃおに宝のありかを教えるにゃ」


「うにゃあぁっ。

 卑怯にゃあ…っ」


 姫が前足をつき出しても黒猫はそれをひょいとかわします。


「卑怯にゃものか。

 これは立派な戦術にゃ」


 虚しく空を切った姫の前足の爪は黒猫の服にかかります。


「教えるにゃ。

 教えるからもうやめてにゃ」


「いいだろう。

 それで宝はどこにあるにゃ?」


 涙目の姫が降参するとようやく黒猫は匂袋を姫の鼻先から離しました。


 姫は前足で目元を擦り涙を拭って答えます。


「屋根裏部屋の木箱のにゃかにゃ。

 バーティで出してるのはレプリカで、本物は盗まれにゃいように木箱の奥に隠してあるのにゃ」


「どの木箱だ。

 教えろ」


「口で説明するのは難しいのにゃ。

 パッと見ただけじゃわからにゃい所に印をしてあるのにゃ」


 詰め寄ってみても困ったように眉根を寄せる姫を黒猫はしばらく黙って見下ろしました。


 やがて黒猫は不意に立ち上がると姫を軽々と抱き上げて窓の外に身を乗り出したのです。


「にゃにゃにゃっ?!」


「口を閉じていろ。

 舌を噛むぞ」


 言うやいなや彼は姫を抱えているなどとは思えない身のこなしであっという間に屋根の上へとあがってしまいました。


 冬の夜風が髭を撫でて、姫は黒猫にぎゅっとしがみつきます。


 黒猫は飄々と高い屋根の上を駆けながら次々と屋根を飛び移っていきます。


 姫はあまりの緊張と恐怖から口から心臓が飛び出してしまうかと思いました。


 やがてお城の1番高い位置にある屋根の上に跳び移った黒猫は小窓の鍵を器用に外して部屋の中へと忍び込みました。


「さぁ、どの木箱だ」


 姫は暗がりの中で目を凝らしながら木箱の1つずつをチェックし、やがてそれを見つけ出しました。


 姫は木箱の蓋を開き、中から黒く大きな布を引っ張り出して、身に纏います。


「…おい、どういうことにゃ」


 姫の様子を見守っていた黒猫は低い声で唸りました。


 他に木箱の中に残されていたものといえば似たような…つまり町娘たちが普段着ているような粗末な服や安物のアクセサリーしか入っていなかったのです。


「この城のにゃかで最も価値があって皆が欲しがるものにゃんて、1つしかにゃいにゃ」


 今夜お城に集まってくる国中の雄猫達が求めているものはたった1つです。


 そしてそれを直接与えられるのは、世界中を探しても1匹しかいません。


「ふざけるにゃ。

 子守りするつもりでわざわざ忍び込んだんじゃにゃい」


「何でも盗んでみせるのが怪盗にゃ。

 それとも口先だけのコソ泥だったのかにゃ?」


 姫がわざと煽ると黒猫は忌々しそうに姫を睨みます。


 床の下では慌てた様子で姫の名を呼ぶ複数の声が聞こえ始めていました。


 姫は黒猫に抱きついてまるで秘め事のように囁きました。


「今大きな声で鳴いたら誰か来てしまうにゃん。

 だから誰にも知られないようにここから連れ出してにゃ、怪盗さん」





 その夜、忽然と消えた姫を探して城中大騒ぎになりました。


 けれどついにその消息を知ることはできませんでした。


 唯一の手がかりとなったのは、後日城に届けられた1枚のカードのみ。



《神の御言葉に従い、国中で最も尊い宝を頂戴しました。

       怪盗 ジャック&エレン》



          END




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