10(終) フウセンガニ

 動物の脱走、というのはどこの動物園でも年にいっぺん訓練をやっていると、エスちゃんもテレビで見たことがあった。若手の職員が猛獣の着ぐるみを着て、麻酔銃や捕獲ネットを持ったほかの職員に追いかけまわされる、という、ぱっと見ちょっとシュールなやつだ。


 エヌくんはわくわく顔で救護所を出た。わくわくすんな。わりとシリアスにまずいんじゃないのか。エスちゃんはそうツッコみたかった。しかしフウセンガニってどんな生き物なんだろう。最近大好きでよく読んでいる、電●文庫のキノコと弓で戦うバトルアクション小説に出てきそうな名前だ。そのライトノベルにはカバの戦車だとかエスカルゴの爆撃機だとかイグアナ騎兵だとか、ヘンテコな生き物がどんどん出てきて、それもまたエスちゃんがそのラノベを好きになったポイントだった。しかしエヌくんに貸そうとしたものの「俺字の本苦手なんだよ」という、頭の悪さ全開のリアクションしかなかったので、とりあえず布教は諦めたのだが。


 夕暮れの、オレンジ色の空と、園内に植えられた木々と、さわやかな風。きっと明日も晴れるんだろうな。エスちゃんはそう思いながら、さっきエヌくんが頭のねじを締められてしまった水族館エリアをちらりと見た。


 ……ありゃなんだ。空を、カニが飛んでいる。背中には風船のようなものをつけている。風船おじさんか。カニ風船はどんどん空へ舞い上がり、あたかもたんぽぽの綿毛のごとく、妄想動物園の空を埋め尽くしている。だんだんとその数は増え、どちらかというとたんぽぽの綿毛というよりムクドリの群れみたいになってきた。ありがたみが薄い。


「エヌくん、あれがフウセンガニ?」

「そうだ。南半球のとある島に住んでいて、現地では塩ゆでにしてバナナと一緒に食べる」


 いや食べ方は聞いていない。エヌくんはそのうち「モルモットは原産地では一頭まるまる丸焼きにして食べる」とか言いだすんじゃなかろうか。いやそんなことは言わないと思いたい。


 フウセンガニの風船は、七色にキラキラ光っている。小さいころよく遊んだ、チューブからノリの塊みたいなのを取り出してストローの先につけてつくる風船みたいだ。そう言うと、


「チカバルーンとかプラバルーンとかいうやつだな。遊んでるうちにくっついてベッタベタになっちゃうあれだ」エヌくんは冷静にそう言った。そうだそれだ。懐かしい。

「それと同じように、フウセンガニも体から粘液を出して、それをふくらませて飛んでいると長年思われてきた。だがしかし」

「違うんだ」

「そう。あの風船は殻の一部が変形したもので、飛んでいないときは体内に仕舞われている。飛ぶためのガスは食べ物を消化するときに発生したガスだ」


 はー。なるほどなー。

「殻の一部だから、割られてしまうと脱皮するまで飛べないんだよ」

 エヌくんはそう言うと足元に落ちていた木の枝を拾い素早く投擲した。さすが元バレーボール部、素晴らしいコントロールで木の枝は近くを飛んでいたフウセンガニに突き刺さった。


 ぷしゅーっとガスの抜ける音がして、フウセンガニは墜落した。

「ほれ」そう言ってエヌくんは当たり前みたいにフウセンガニを捕まえた。よく見るとそのフォルムは毛ガニとヤシガニを合体させたような、なかなか気持ち悪い見た目だ。


「うっわゴワッゴワの毛だ」

「可愛いだろ? 毛が生えてる生き物は何だって可愛い」

 いやその基準はどうかと思うよ、エヌくん……。エスちゃんは心の中でそうぼやいた。


 風船のやぶれたフウセンガニを地面に置くと、フウセンガニはそそくさと逃げだした。そこに飼育係のひとがやってきた。

「きみもしかしてフウセンガニ墜落させた?」

 エヌくんは「ぎくり」という顔をした。人ってこんなに分かりやすいリアクションするんだ。


「え、あ、その……」

「ありがとう! その勢いで、フウセンガニが妄想動物園の外に出ていくまえに、みんな撃ち落としてくれないか!」


 は?


 予想外の展開に唖然とするエスちゃん。エヌくんは腕をぶんぶん回すと、渡されたダーツをこれでもかこれでもかと投げ始めた。やっぱり素晴らしいコントロールである。バレーボール部より野球部のほうが向いてたんじゃないかね。まあ現状生物部員だけど……。


「年に一回か二回くらいフウセンガニが脱走するんだよねえ。大して害もないんだけど、妄想のなかの生き物が妄想の外に出ていくのはやっぱり危険だからね」

 飼育係はニコニコしている。ニコニコしている場合ではないと思う。


 あらかたフウセンガニを墜落させたエヌくんは、短く刈った髪に、色白な顔に、汗の玉を光らせていた。エヌくんはエヌくんのくせに、身だしなみとして持っているらしい汗拭きシートで顔を拭いた。意外と清潔なんだな……。


「ふうやれやれ。飛べねえカニはただのカニだ」

 エヌくんからジブリの名台詞が出てきたところで、閉園十分前を知らせるチャイムが響いた。


「……おかしいな。妄想のなかの時間は無限のはずなのにもう閉園かあ」

「帰ろ。楽しかったよ」

「お、おう……」

 二人は、妄想動物園の出口を出た。入り口はゲートがあるが、出口は回転バーのあるシンプルな一方通行で、近くのお寺の裏に出る。


「楽しかった~。エヌくん、ありがと」

「お、おう、そうか、さおり」


 エスちゃんは不覚にもどきりとした。エスちゃんの本名は「南川さおり」という。エヌくんは「北野直也」だ。本名で呼ばれて、エスちゃん――さおりちゃんはびっくりしたのだ。


「な、なによぅ直也くん……」

 今度はエヌくんが赤面した。しばらく、現役時代の加藤一二三九段のような空咳をしたあと、


「きょうから互いに、名前で呼ぶか……?」

「いいよ……えへへへ……」という、聞いていて恥ずかしいやり取りをした。

 さおりちゃんは、

「夕方っていってもまだ時間あるよ――あっ、お土産物屋さんだ。家族におみやげ買おう」

「それもいいな。俺は部員どもにおみやげ買うか」


 二人で土産物屋に入る。人気の動物のぬいぐるみやハンドパペット、キーホルダー、フィギュア、それから「カステラちゃんまんじゅう」などが売られている。カステラなのかまんじゅうなのか判然としないが、さおりちゃんはカステラちゃんまんじゅうのいちばん小さいやつをひと箱買った。直也くんはしばらく、ショウガツウオの透明標本(198000円ナリ)をもの欲しそうに眺めた後、カステラちゃんまんじゅうを買った。


「さ、さおりは……部活の仲間にはお土産買わないのか?」

「買ったところでリア充自慢してるだけだと思われるから。あいつら非リア充なのをなげくわりには、現実の男に興味がないんだよね」


 さおりちゃんは自分へのおみやげ用に、ヨツアシキイロビナのキーホルダーを買った。直也くんも同じものを買った。

「おそろい……だな」

 二人はぼっと火がついたように赤面した。


 土産物屋を出て、近くのお寺の裏を通る。歴史を感じさせるたたずまいの石塔などがあり、ここは歴史という方向から攻めても面白そうだな、とさおりちゃんは思った。


 うっそうと茂る森の中をてくてく歩いて、適当なところに置かれているベンチに腰掛ける。

「まだ電車までしばらくあるね」

「うん、それまでなにしようか。あのさ、俺……すっげえ楽しかった。ありがとう、さおり」

「こっちこそ楽しかったよ、直也くん。直也くんって動物のことなんでも知ってるんだね」

「なんでも知ってるってほど上等なもんじゃないよ。ちょっと詳しいだけだ。あのさ、明日……放課後に生物部見に来ないか? ほら、明日からテスト期間で部活ストップするだろ? それでも俺ミケ三郎にエサやんなきゃないからさ、二人でミケ三郎の世話しないか」

「いいよ。かわいいよね、モルモット。妄想動物園の生き物はヘンテコで楽しいけど、実在する動物も好きだよ。ミケ三郎くん触りたいなあ」

「おっと、ミケ三郎はメスだ」メスならなぜ三郎とつけたのか。


 というわけで、二人はそれから列車で暮らしている街に戻った。それからどういうリア充生活をしたかは定かではないが、まあ……それなりに楽しく、日々過ごしただろう。

 めでたしめでたし。

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妄想動物園 金澤流都 @kanezya

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