9 サンマイガイ
フードコートでお昼(エヌくんは牛丼、エスちゃんは牛丼とクレープとタピオカミルクティー)を食べて、午後のうろつきを開始した。
また水族館的なところに行く。エヌくんはエスちゃんの手を引っ張って、
「サンマイガイだーっ!」と奇声を発した。サンマイガイ。なんじゃそりゃあ。
「なにそれ、サンマイガイって」
「千駄ヶ谷の将棋会館の近くの側溝に住んでる貝だ」
ずいぶん場所が具体的だな。テケテケスタンはどこにいった。エスちゃんがそう思っていることを知っているのかいないのか、エヌくんは無意味に胸を張る。
「なんか変な貝だね」
目の前にいるサンマイガイは、とてヘンテコな形をしている。巻貝でも二枚貝でもない。殻三つがかみ合ってできている。正直に言うと身がちらりと見えている。
ときおり水を吸ってぴょいぴょいと移動し、貝にしてはずいぶんアクティブだ。サンマイガイはひとところにじっとしているのが苦手らしい。
「名前が見た目通りなのは分かったけど、なんで千駄ヶ谷の側溝に住んでるの?」
「それは俺もよく知らないんだが。なんか、将棋用語であるらしいぞ、サンマイガイ」
そんなバカな。将棋ならエスちゃんのおじいちゃんが少し嗜んでいて、小さいころはエスちゃんも教えてもらった。勝負事が致命的に下手くそなので、駒の動かし方といくつかの用語くらいしか知らないが、サンマイガイなんて将棋用語聞いたことがない……待てよ。二枚替えって言葉があったな。大駒一枚と小駒二枚を取り換えるやつ。それの三枚バージョンを三枚替えっていうのかな。
エスちゃんはとうとうと説明して気付いていないエヌくんに気付かれないようスマホを取り出し、「将棋 三枚替え」で検索した。ふむ、予想通りちゃんと用語としてあった。
「……なにスマホみてんだ」
「つまりこういうことでしょ?」と、エスちゃんはエヌくんに三枚替えの理屈を説明した。エヌくんはよく分からない顔をして、
「エス、お前将棋が分かるんだな」とトンチンカンなことを言った。
「ルールしか知らないし、用語をいくつか知ってる程度だけど。でも3月のラ●オンは好きだよ」
「ああいう薄暗い漫画苦手なんだよな」エヌくんは渋い顔をする。
「ぜんぜん薄暗くないよ? ニャーさんたち可愛いし、川本家の料理もおいしそうだし」
「アニメ、流行ってたからちらっと見たけどいじめとか壮絶じゃなかったか」
「漫画はもっとすごいよ、川本家の三姉妹の父親が」
「あーあーあーあーやめやめ! 今度読まして。俺は代わりに百●貴族貸すから」
「百姓貴族って、あの鋼の錬●術師のひとの?」
「そうだ。面白いぞ。……それよりサンマイガイだ。なんで漫画の話してんだ……こいつは、霊長貝類だ」
霊長貝類。霊長魚類に続いてこれまたヘンテコなのが出てきたぞ。
「こいつらは、将棋を指せるんだ」ドヤ顔でエヌくんが言う。エスちゃんはよく分からずエヌくんとサンマイガイを見比べて、
「それはいくらなんでも無理ってもんでしょうよ」と答えた。
「それが本当なんだって。ほら、そこに対局開始ってボタンあるだろ」
そう言いエヌくんは自信満々で対局開始のボタンを押した。すると、水中を漂っていたサンマイガイが、エヌくんの向かいにちょこんと止まった。水槽の壁に将棋盤が映し出される。エヌくんが先手だ。
「えーと。まずは角道を開けるんだよな!」
お、エヌくん案外理屈分かってる。エヌくんは歩をついた。サンマイガイも角道を開ける。
「えーとえーと、角を守らないと」ここでエヌくんは驚きのミスをした。銀を上がってしまったのである。これは角と連結していないのでタダで角をとられ馬を作られごっそり駒をとられるやつだ。サンマイガイは間髪入れずにエヌくんの角をとって馬を作った。
……その後、サンマイガイはぽいぽいっとエヌくんの駒をとり、あっという間にエヌくんは詰んだ。
彼氏の頭の悪いところを見てしまったエスちゃんは、ため息をひとつついて、
「……動物園デート、失敗だったね」
と答えた。エヌくんはびっくりして、「なんでだ? 楽しくないのか?」と訊ねた。
「いや、すごく楽しいけど、エヌくんのアホなところがぞくぞく目についてつらい」
「ハッハー! そうきたかー! 俺はエスの可愛いとこいっぱい見られて楽しいぞ!」
「もうっ、そんなくだらないのろけやめてよっ」エスちゃんは顔を真っ赤にしてエヌくんの背中を一発たたいた。エヌくんは「おうふ」と悲鳴を上げてよろけ、ガラスにごちん、と頭をぶつけた。
頭をぶつけたところにサンマイガイが集まってきて、なにやらレーザーのようなものを発した。人間や類人猿なみの知恵があるのであれば、こういうレーザーガンみたいなものを作ってもおかしくない。まさかエヌくんは洗脳されてしまうのか? エスちゃんは慌ててエヌくんを引っ張った。
「さやいんげんっ!」
エヌくんは素っ頓狂な声を上げた。エスちゃんはびっくりして、眼鏡の向こうの知恵あるエヌくんの目を見る。
「さやいんげんっ!」意味不明なセリフを発して、エヌくんはニコニコしている。エスちゃんは中●らもの作品の登場人物になってしまったのだろうか。
「ね、ねえ、エヌくん……どうしたの……?」
「俺は大変な真理に気付いてしまった。帰って試験勉強をしなくては!」
「し、試験勉強って、きょうは明日から始まるテスト期間前に英気を養おうって妄想動物園に来たんだよ? 明日から頑張ればいいじゃん!」
「だってエス、楽しくないんだろ?」
「う、ううん、楽しい、すごく楽しいよ! エヌくん頭いいし! 勉強より動物園がいいな!」
「うれP」いつ時代やねん。エスちゃんはそう、心の中で突っ込んだ。
「ううーん、なんか頭痛いな。ううーん……」
エヌくんがそうぼやいている。ちらと、サンマイガイの水槽を見ると、「危険! たたかないでください!」とある。まさにエヌくんは叩いてしまったのだ。ぞわりとして、振り向くとエヌくんはばったり倒れて目を回していた。
……そういうわけで、午後の時間をだいぶ救護所で消費した。妄想動物園の救護所は、妄想動物のなかにいくらかいる危険生物に対応するため医師が常駐している。そんならもっと安全対策してくれ。エスちゃんはそう思った。
エヌくんは「一時的に脳みそのねじを締められた」らしい。なんでも、サンマイガイは一時的に脳に干渉するビームを撃てるらしいのだ。それで勝ったプロ棋士がいるとかいないとか。
一時的と言わず永遠にアホでなくなってくれればよいのだが。エスちゃんはため息をついた。
ようやく起き上がったエヌくんは、しばらく難しい顔をしてから、エスちゃんに言った。
「ミケ三郎、エサ食べたかな」
ここまできて心配するのがモルモットだとは。どれだけやさしいんだ。エヌくんはカバンからスマホを取り出し、生物部のグループLINEを確認して、
「ほかの部員にお願いしたけどやってくれたみたいだな」
と言ってスマホをカバンに戻した。
「じゃあ、次どうする。そろそろ閉園じゃないか?」
「あ、ホントだ。妄想世界では時間は無限にあるはずなのにね」
エスちゃんの心が寂しく鳴った。虚空に響く鈴の音だ。エスちゃんは手をぐーぱーすると、
「もっといっぱい見たかったなあ」
と呟いた。エヌくんも、「俺もだよ」と答える。
二人は、手をつないで救護所を出た。エヌくんはすでに頭のねじが緩まっているようだ。
「次は何を見ようかな。もっと動物園ぽいの見たいな。なにがいい?」
エスちゃんがそう訊ね、エヌくんがしばし考えていると、園内にサイレンが鳴り響いた。
「フウセンガニの水槽が壊れてフウセンガニが脱走しました! 避難してください!」
「おお、生まれて初めて動物の脱走を見るぞ……!」
んなこと喜ばんでいい。エスちゃんはエヌくんの脳みそのねじを締めたいと思った。
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