◆5◆ 秘めたる胸の内
僕のお店『スミスミシン』は木曜日が定休日だ。これは特に理由があるわけではない。そこまで繁盛している店ではないとはいえ、小売店である以上、土日祝日を休みにしてしまうのはやはりもったいないし、それに、平日に休みがあった方が都合が良い場合もあるからだ。
平日だとショッピングモールに行くにも空いているし、役所関係の用事を済ませることも出来て良い。とはいっても、数ヶ月に1、2回は木曜以外の休みをもらったりもする。それは前月から店の外と中のお知らせボードで告知することになっていて、一応いまのところそれで大きなトラブルもない。
まぁそもそも、こんな小さな手芸店が気まぐれに休みをとったところで、誰も困らないのだ。
「でも、週に1日しか休みがないなんて、疲れない?」
以前、そうマリーさんに言われたことがある。
マリーさんのお休みは木曜と日曜だ。その設計事務所の定休日は日曜日で、それ以外にもう1日、あるいはもう2日を休みとして取ることが出来るらしい。事務所に所属しているとはいっても、チームで動くわけではないようで、行き詰った時などに先輩にアドバイスをもらったりはするものの、基本的に仕事は一人でするものらしい。だから好きな時に休めるのだとか。
「疲れないよ。僕のお店は半ば趣味みたいなものだし、一日中好きなものに囲まれて好きなことをしてるだけだからね」
そう、僕は、この四方を布に囲まれた落ち着く空間で、日がな一日、きれいなグラデーションになっている刺繍糸やミシン糸の棚や、整然と並べられた手芸道具を眺めながら、その季節に合わせた小物を作ったり、たまに教室を開いて手芸の楽しさを伝えたりしているだけなのだ。疲れるわけがない。あぁ、嘘。目と肩はちょっと疲れるかもだけど。
「でも、週に1日しか休みがないんじゃ、彼女とデートとか出来ないじゃんか」
これは僕がマリーさんと恋人になる前に言われた台詞だ。その時は「大丈夫、僕、彼女いないし」と笑い飛ばしたのだが。
いざ、彼女が出来てみると、マリーさんのその言葉がどうにも頭から離れない。そうだよ、だってマリーさんがそう言うってことは、少なくとも彼女はそういう考えを持っているということになるわけだから。
「ええと、あのね――」
「何?」
「あのさ、来月、どこか出掛けない?」
「来月? 別に良いけど。どこかって、どこ?」
「いや、行先はまだ決めてないんだけど。マリーさん、どこか行きたいところとかない?」
「行きたいところかぁ……。ああ、そういえば来月、仙台の『北の
「家具展?」
「そう。その山岡さんっていうのがね、私が一番尊敬してるインテリアデザイナーなんだ。もうずいぶん前に亡くなられてるんだけどね」
「そうなんだ。僕も一緒に行って良い?」
「それは良いけど。でも、良いの? 私の行きたいところで。然太郎はどこか行きたいところはないの?」
「僕はマリーさんとデートが出来ればそれで満足だよ」
「そんな。私にだけ合わせるなんて駄目だよ。そうやってどっちかだけに合わせてたらさ、そのうち不満がたまって爆発するんだから」
うんと真面目な顔でそんなことを言われれば、確かにそうかもと思えてしまう。マリーさんめ、恋愛には疎いなんて言ってたけど、僕よりよっぽど詳しいじゃないか。ふむふむ成る程、そういうものなんだな。
「それじゃあ僕は『
「『小塚屋』? それは何屋さん?」
「手芸屋さん。ここなんかよりずっとずっと大きいお店。仙台にも3年くらい前に出来たんだ」
「そうなんだ。じゃ、そこにも行こ。しかし、好きねぇ、手芸」
「うん、好きだよ。でもマリーさんだって家具好きじゃないか」
「まぁね、『好き』を仕事にしたからね」
「僕も」
全く幸せなことだと思う。僕もマリーさんも自分の好きなことをして、それでご飯が食べられるんだから。
「来月なら休みはいつでもとれるから、マリーさんの都合が良い時に――」
「でもさ」
マリーさんが小首を傾げる。眉と眉の間に深いシワを刻みつつ。
「木曜じゃ駄目なの?」
「え?」
「だって仙台でしょ? 新幹線で行けば全然日帰り出来るじゃん?」
「ま、まぁそう……だけど」
「え? 日帰り、だよね?」
「も、もちろんだよ!」
言えない。
本当は一泊したかったなんて。
いや、違うよ?
別にマリーさんとそういうことがしたくてとか、そういうわけではない……わけでもないけど。でも、純粋にね? マリーさんとこう、並んで寝るとかね? ほら、なんて言うかなぁ、朝まで語り明かす、みたいなね? 修学旅行みたいな感じっていうかね? だからほんとそういういかがわしい感じのアレではないというか。
「……? 然太郎? おーい、もしもーし」
「――はっ! 僕は何を考えてるんだ」
「ほんと何考えてたの?」
「いや、ええと、次の手芸教室はどんなテーマにしようかなって」
「いまの会話の流れで!? ちょっと然太郎、少しワーカホリック過ぎない? 休みの日くらい離れようよ、手芸から」
「あはは……ほんとだよねぇ」
何とか笑ってごまかすことには成功した。
僕はなんて意気地のない男なんだろう。もっとびしっと男らしくお泊まりを提案出来れば良かったのに。
いや、いまからでも遅くはない。
僕は男だ。見た目はアレだけど、れっきとした日本男児なのだ。
「ま、マリーさん!」
「何? ハタハタせんべい? はい、どうぞ」
「あ、ありがとう……」
ほんのちょっと奮い立った僕の前に差し出されたハタハタせんべいは、ちょっとだけ垂れ目になっていて、何とも腑抜けた顔をしていた。
まぁ、そんならしくないことするなよ。
そんな風に言われた気がした。
そうだ、無理をしたって仕方がないのだ。
良い年の大人とはいえ僕らはまだ始まったばかりなのだし、そういうのは少しずつ縮めていけばいいんだ。
そう言い聞かせて、その腑抜けたハタハタをガリリとかじった。
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