◇6◇ 秘めたる胸の内
然太郎とハタハタせんべいをかじったその夜。
化粧を落としてからシャワーを浴び、ベッドにごろりと転がってスマホを手に取る。
「北の
我が憧れの山岡様。
初めて彼の作品を知ったのは確か、高校生の時だったと思う。卵のようなつるりとしたデザインのスツールだったが、そのなめらかな曲線にすっかり魅了されてしまったのである。
インテリアデザイナー山岡
「卵というのは、つまり、世界中どこにでも転がっているモチーフであるわけだから、どのような暮らしにも溶け込んで然るべきなのである」
この言葉は彼の自伝の中にも度々登場する。成る程確かにな、と思って自分でもちょっと真似て作ってみたことがあるのだが、これがびっくりするほど部屋に溶け込まない。何でよ、世界中に転がってるんじゃなかったの?! とお門違いの怒りを覚えたが、つまりは、それがプロの仕事ということなのだ。簡単そうに見えることほど難しい。それが実は高度なテクニックなのだとわかるのは同業者くらいであって、素人目にはまずそうとは映らない。それがプロの仕事なのだ。
そのことに気付いて、彼を一方的に師と仰ぐようになった頃、その偉大なる家具デザイナーはこの世を去った。きっと天国でも家具を作りまくっているだろうから、天国はあの卵のような家具で溢れていることだろう。
同じ東北であるとはいえ、なかなか仙台にまで足を伸ばすことがなかったので、美術館に行けるのはとても楽しみだ。元々然太郎に誘われなくても行くつもりだったし。
けれども果たして然太郎は楽しいと思えるだろうか。それが心配だ。然太郎は何でも「良いよ良いよ」「マリーさんの好きなので良いよ」なのである。
私が初めての彼女でもあるまいに、なぜそんなに気を遣うのか。
もう少し我を通してくれても良いのに。
そんなことを考えたら、ちょっと胸の辺りがざわざわしてきた。
私はあんなイケメンに気を遣われるほどの女じゃない。
顔も地味だし、正直ボディラインにも自信がない。一応仕事はうまくいっているので『自立した大人の女性』ってやつにカテゴライズされるとは思うけれども、それだけだと思う。性格だって可愛いわけでもない。料理がずば抜けて上手ってわけでもないし、そもそも然太郎に料理を振る舞ったこともない。ただただ毎週和菓子を持って遊びに行き、だらだらしゃべっていただけだ。
たかだかそんなことであのイケメンを落としたと知られたら、この界隈の独身女性(もしかしたら既婚女性もかもしれないが)は皆こぞって全国各地の有名和菓子をお取り寄せし、木曜のスミスミシンに押し掛けるだろう。
私じゃなくても良いんじゃないかな。
然太郎を取り囲む女性をイメージする時、決まって登場するのはモデルみたいに顔もスタイルも申し分ない宝石のようにまばゆい子達だ。
然太郎の隣に並んでも全然見劣りしなくて、もう何ならそのまま何かのCMとかに使われるんじゃないかなってくらいに様になっている感じ。そんなことを考えて、私は、自ら掘った穴の中に落ちていく。
何で私なんだ。何で私なんだ。
一番手っ取り早いのは然太郎にそう聞くことだろう。
確かに好きだと言ってきたのは然太郎の方だが、私はその『なぜ私なのか』という部分を聞けずにいたのである。聞く勇気がなかったというか、そんなところだ。
だってどうする、「いままでの彼女とは違うから」みたいなことだったら。
つまりはあれでしょ、
あのね、自覚はあっても傷つかないわけじゃないからね?
スリープ状態になっていたスマホのホームボタンを押し、今度は『盛岡市 和菓子』で検索する。するとその小さな画面に、老舗と呼ばれる店から最近出来たような小さな店までが、ずらりと表示された。
こことここは最近も行ったし、ここはしばらく行ってないな、などとぶつぶつ呟きながら、ホームページをチェックする。新作が出ていないかと思いながら。心のもやもやは美味しいものを食べれば晴れる。はず。
普段は木曜にしか買わないけど、明日、通勤前に買って行こうかな。それで休憩中につまむのだ。きっと糖分が足りてないから、こんなに沈んでしまうんだ。
よし、もう明日はアレだ。
一日中好きなものに囲まれて仕事してやる。
ちょっと高い和菓子も食べてやる!
などとよくわからない結論に至り、鼻息荒く電気を消した。にもかかわらず、何だか興奮してしまってついついスマホで和菓子の画像を検索してしまった。これも良い、あっ、これも美味しそう。あんこ系も捨てがたいけど、この落雁も良いかも。あああ迷う。
もちろん、そんな無駄に高ぶった状態で、眠気がやって来てくれるわけもなく。
22時頃に然太郎から『おやすみ、マリーさん』というメッセージが届いたが、『おやすみ、然太郎』と返した後も優に2時間は眠れなかった。
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