◆4◆ ハタハタせんべい(オス)
「スミスさん、スタイを作ってもらいたいんだけど」
そんな注文をしてきたのは、常連の安田さんというおばあちゃんだ。何でも長男のお嫁さんがおめでたらしい。
「良いですよ。どの生地が良いですか」
「赤ちゃんが触れるものだから、柔らかい生地が良いわね」
「そうですね。じゃあ、こちらのトリプルガーゼがお勧めです。色はどうしましょう。もう性別はわかってるんですか?」
「それがね、まだわからないのよ。誰に似たのか恥ずかしがり屋さんみたいでねぇ」
「そうなんですね。それじゃあ、どちらでも良いように、このアイボリーにしましょうか。デザインの希望はあります?」
そう尋ねると、安田さんは、鞄の中から財布を出し、その中にしまっていたらしい雑誌の切り抜きを作業台の上に置いた。
「亜弓さんがね、いまはこういうスタイが流行ってるんですよ、って教えてくれたの。出来るかしら」
それは360度スタイなんて呼ばれるシャンプーハットみたいな形のスタイで、少々汚れてもくるりと回せばまたきれいな面が出てくる、というタイプのものだ。
「昔はよだれかけなんて呼んでたけど、いまは『スタイ』なんてハイカラな言葉なもんだから、最初何を言ってるのかわからなくてねぇ」
「ですよね。僕の頃もよだれかけって呼んでたんですけどね」
「あら、そうなのね」
それから、何枚必要か、留めるのはスナップボタンが良いか、面ファスナーが良いかなど細かい部分まで注文を聞いた。そして、料金を提示して、出来上がったら連絡することになった。
赤ちゃんに使うものだから、特に肌に当たる部分には気を遣う。しっかり丈夫に作らねばとは思うけど、縫い目が直接肌に触れたらこすれて痛いかもしれない。なので、首回りはうんと柔らかい生地でパイピングすることにした。それから、スナップボタンだが、これは固すぎても危険だ。もしもの時、すぐにぱちんと外れてくれないと大事故に繋がりかねない。なので、子どもでも外せるくらいのプラスチックスナップにしよう。そのうち自分で外しちゃうかもしれないけど。
型紙を作って布を裁断する。
自分の作ったスタイを着けたふにゃふにゃの赤ちゃんをイメージしながら、一つ一つ丁寧に縫う。
もしいつか、自分にも子どもが出来たら、こうやってスタイを作ったりするんだろうな。それから肌着に布おむつなどなど、作りたいものはたくさんある。だけど、布おむつはどうだろう。マリーさん、面倒だから紙が良いとか言うのかな。まぁでも、それならおむつは僕が替えれば――
「――いやいやいやいや!」
まだお付き合いが始まったばかりなのに、どうしてそんな話になるんだ。知らなかった、僕って結構先走るタイプなんだな。
その3日後。
いつもの時間にマリーさんがやって来た。
あともう少しで最後の一枚が縫い終わるので待っててもらうことにする。
すべて縫い終わり、出来上がったスタイを梱包していると、マリーさんがこちらをちらちら見ていることに気が付いた。何やら不安そうなというか、心配そうな顔をしている。
そういやマリーさんは裁縫が苦手なんだった。きっと、既製品を買うのはちょっとなぁ、でも、私は裁縫が苦手だしなぁ、とか思っているに違いない。僕は別に既製品が駄目とは思わないけど、まぁこの通りの環境なわけだし、マリーさんが手作りスタイに興味を持ってもおかしくはない。
でも案ずるなかれ、マリーさん。僕がいるじゃないか。僕はこの道のプロ……を名乗って良いのかはいまいちわからないけど、でもこれで生活をしているわけだから、やっぱりプロで良いのかな? それはさておき、とにかく僕がいるのだ。僕が作っても良いし、どうしてもマリーさんが作りたいのならちゃんとサポートもするつもりだ。
だから、大船に乗ったつもりでどーんと任せてほしい。
というつもりで「僕らの子どものスタイは僕が作るから」と言ったわけだが、さすがにちょっと気が早すぎたな。落ち着け、僕。ちょっと舞い上がりすぎだろう。
今日のおやつはマリーさんのご実家から送られてきたという『ハタハタせんべい』だった。おせんべいというと、しょっぱいものをイメージする人が多いかもしれないが、ここ岩手には『南部せんべい』というせんべいがあり、クルミや落花生が入っていたりして、ほんのり甘いやつもある。
そしてこのハタハタせんべいもそういう甘い系のおせんべいのようだ。ふわりとたたまれた半月型のおせんべいで、ちゃんとハタハタに見えるよう、目やヒレ、うろこが描かれている。焼き鏝を押し付けて描かれたのだろう、その素朴なタッチが、食べるのがもったいないほどに可愛らしい。
けれども、このおせんべいは食べられるために存在しているわけだから、ここは容赦なく頭からいくことにする。
一口噛んでみると意外とあまり硬くはない。ほんのりと甘く、ナッツの香りがする。聞けばこれはオスのハタハタであるという。メスの方は柔らかな生地でどら焼きのようにあんこが入っているのだとか。ううん、ぜひとも食べてみたい。
しかし何だかマリーさんの顔が赤い。
熱はないみたいだけど、一体どうしたんだろう。
「ああそうだ、マリーさん」
「な、何」
「いや、その、ほらいつも来るのって木曜日でしょ」
「うん、ここお休みだし。それに合わせて仕事もお休みもらってるからね。でも、それが何?」
「ええと、あのね――」
マリーさんの仕事はインテリアデザイナーである。
宮塚設計事務所というところに勤めていて、提携している不動産屋さん等から住宅や店舗の内装の仕事をもらっているのだとか。
マリーさんが盛岡に来て最初に手掛けたのは、駅前にある小さな理髪店だ。老いた両親に代わり長男夫婦が後を継ぐことになったため、思い切って若者向けに改装したのである。
以前ちらりと覗いてみたのだが、白とグレーを基調にした落ち着いた空間になっていて、小さなお子さんを連れた若いパパさんが一緒に並んでカットされていた。先代の頃と比べて若い人の利用が増えているらしい。技術の面ではさほど変わらないらしいのだが、内装ひとつで客層がこうも変わるものかと感心したものである。
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