◇3◇ ハタハタせんべい(オス)
「然太郎、来たよー」
いつものように、ドアノブに下げられている『CLOSED』のプレートを無視して店内に入る。然太郎はほぼ定位置となっているレジカウンターの隣の作業台のところにいた。相変わらず、ミシンをカタカタと動かして何やら制作している。
「マリーさん、いらっしゃい。もう少しで終わるから待ってて」
「いいよ、ゆっくりで。融けるやつじゃないから」
「ちなみに今日のは何?」
「実家から送られてきた
「『ハタハタせんべい』? しょっぱいの? 甘いの?」
「これは甘いやつ。おせんべいというか、クッキーとかに近いかな」
「成る程。楽しみだなぁ」
そんな会話をしながらでも然太郎のミシンは止まらない。私には絶対出来ないやつ。ただまっすぐ縫うだけならぎりぎり出来そうだけれども、ゆるくカーブしたり、同じところを何度も縫ったりというのはまず無理だ。
「何作ってるの?」
「スタイだよ。お客さんから注文受けちゃって」
「スタイ……ああ、よだれかけか。なぁーんかおしゃれな言葉になっちゃってまぁ」
「ねぇ。僕らの頃はよだれかけだったのにね」
「然太郎の時も?」
「そうだよ、僕ら4つしか違わないんだから」
「そうだけどさ」
いや、年はそうだけど、然太郎の場合、ご両親がご両親だから、てっきり『スタイ』って呼んでいるもんだと。まぁ、お母さんは日本で生まれて日本で育ったクォーターだけれども。
「ふう、出来た。完成~」
そんなことを言って、出来上がったものをこちらに向けてくる。
それはドーナツのような形をしたスタイだった。
「何か変わった形だね」
「でしょ。これはね、360度スタイっていって、汚れたらこうやって少し回すんだ。そしたらほら、こっち側はまだ汚れてない」
「成る程、360度使えるってわけね」
「いまのところ男の子か女の子かわからないからって、色もアイボリーだし、形もただの丸にしちゃったけど、女の子だったら縁を花みたいにしたり、男の子ならその先を尖らせて星みたいなデザインにしたりしてね」
「へぇ」
「というわけで、こちら10枚セットが何と2000円!」
「ええ……? 安すぎない? 一枚あたり200円とか」
「いやいや、これ10枚作るのに使う布なんてたかが知れてるからね。僕の技術料が加わっても結構なぼろもうけだったりするんだよ」
「ぼろもうけって……」
「いや、本当は1000円でも良いと思ったんだけど、あんまり安すぎるのも印象が悪いかなって」
「それはあるかも」
確かに一理ある。
安けりゃそりゃあ嬉しいけど、そこまで安いと粗悪品なんじゃないかと疑いたくなってしまう。とはいえ、1枚200円は安い。
買うより安上がりだっていうのが手作りの良さなのだが、私が作ったらまず間違いなく色々失敗するだろうから、材料費だけでも2000円を軽く超えそうだけど。
然太郎がいそいそとスタイをビニール袋に詰め、さらに紙袋の中にしまっているのを眺めながら、私は私でカウンターの脇に立て掛けてある折り畳みの椅子とテーブルをセッティングする。すると、然太郎は私の視線に気が付いたのか、ちょっと照れ臭そうに笑った。
「そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫だよ、マリーさん」
「へ? 何が?」
「僕らの子どものスタイは僕が作るから」
「は?!」
「え? もしかして作りたかった?」
「いや、そうじゃなくて! こ、子どもとか」
気が早過ぎでしょ、ちょっと!
どこまで本気で言ってるんだ、このイケメンハーフメガネ君は。
「いずれね、いずれの話」
「ま、まぁ、そうね。そうだよね」
いや、いずれはそうかもしれないけどさ。いや、いずれそうなる未来とかあんの?!
「大丈夫、マリーさん? 顔が真っ赤だけど」
「誰のせいよ」
「えっ、僕のせいなの?」
「概ね、然太郎のせいだから。もう、今日は冷たいお茶を所望するから」
「わかった」
何の心当たりもありません、みたいな顔をして、然太郎は店の奥へと引っ込んでいった。バックヤードなんていうには狭すぎるそこには電気ポットと小さな冷蔵庫があり、その冷蔵庫の上には、緑茶だけではなく紅茶やコーヒー(といってもインスタントだけど)がきっちりと収められた可愛らしいカゴが置かれている。そのカゴは常連客であるおばあちゃんの手作りらしい。この店のこういう備品は、常連さんからの差し入れないしは寄付が大半だ。
さすがに氷まではないものの、しっかりと冷えた麦茶をごくりと飲み、一息つく。
本日のお菓子『ハタハタせんべい』は、楕円形の生地をふわりと二つに折った形で焼いた甘いおせんべいで、ハタハタに見えるよう、焼き
「パリパリして美味しい。思ったより硬くないんだね」
「でしょ。今度はメスの方をお取り寄せしようかな」
「メスとかあるんだね」
「あるある。メスの方はね、どら焼きみたいな感じ。中に粒あん入ってるんだ。好きでしょ、あんこ」
「うん、好き」
しばし、パリパリという咀嚼音だけが店内に響く。
きっと、気まずいのは私だけなのだ。
『僕らの子ども』
なんていう言葉にどきりとして、それが出来るための行為というものを想像してしまっただなんて。なんていやらしいんだ、私は。
「ねぇ、マリーさん」
「な、何?」
「まだ顔赤いけど大丈夫? 熱があるんじゃない? 測る?」
「大丈夫。全然熱とかないから。これは大丈夫なやつだから」
嘘です。
全然大丈夫じゃないやつです。
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