第10話潜入とダンス
王都ダビデの郊外にあるゲストハウスで舞踏会が開かれる。まあ舞踏会と言っても大半の参加者は踊らない。要はたくさんの人間を集める口実に過ぎないのだ。本来の目的は貴族共の顔合わせで、もし気に入った令嬢が居れば自分か息子か兄弟の結婚相手に推挙する。出会いの場として舞踏会で会ったというのが重要らしい。そりゃあ道端で一目惚れよりは格好がつくわな。
一方、商人が参加する理由はこれまたお得意様となり得る貴族との顔つなぎである。人脈を広げることは商売を手広くすることと同じだ。もちろん同業である商人の情報交換の場として利用される。まあ、舞踏会に参加するには相当の資産と参加料を持っていないといけないが。
さて。そんな貴族と金持ちしか参加できない舞踏会にどうやって殺し屋と村娘のエルフが入ることができるのか。普通に考えたらできやしないだろう。
答えは簡単。俺たちは場を盛り上げるためのダンサーとして入るのだ。
「ふむ……自由都市ソロモンのダンサー、ヨハンか」
受付係の男に身分証の羊皮紙を手渡した。
俺は「ええ。そうです」と上品に応じた。
「主催の方に連絡は伝わっていると思いますが」
「ああ。それは確かだ」
闇ギルドの人間ならばこういう場に入るためにいろんな身分証を持っている。というより師匠にダンサーの資格を取るように命じられたのだ。優れた殺し屋は潜入するために様々なスキル――殺し技を持つ必要がある。ダンスもその一つだ。
「それで、そのパートナーが……エリス……エルフだな」
「は、はい。そうです……」
煌びやかなドレスを纏ったエリスは、ひょっとしたらそこらの貴族の令嬢よりも美しいのではないかと思わせる。化粧はその分、ひかえめにしてやった。この田舎娘、化粧をしたことがないと抜かしたから、俺がしてやるはめになった。
「身分証がないようだが……」
「見習いでしてね。私が彼女の身分を保証します」
受付の男はしばらく黙っていたが、後ろに並んでいる貴族が「早くするざます!」と催促したので「いいだろう。通ってよし」とようやく言いやがった。
「ありがとうございます。行きますよ、エリス」
「は、はあ……」
エリスは俺がこんなに丁寧な言葉遣いをするものだから戸惑っているようだった。
うるせえ。自分でも吐き気がするんだよ。
その後、ボディーチェックを受けて――隠していた暗器はバレなかった――無事に会場に入れた。
「わ、私が居る意味、あったんですか?」
「ダンサーの相方が居ないと不自然だからな」
飲み物を受け取り、壁に寄りかかって、ひそひそ声で話す俺たち。
「でも、どうして舞踏会にダンサーが必要なんですか?」
「前に話したとおり、貴族や商人は踊らない。だが、名目は舞踏会だ。誰も踊らないのは不自然なんだよ。だからダンサーを雇って場を盛り上げるんだ」
「……なんかおかしいですね」
クスっと笑うエリス。貴族の見栄というのはおかしなものばかりだ。だからこそ、ダンサーのように庶民が潤る仕組みになっているのは皮肉でもある。
「おや。壁の花にしては可憐なお方ですね」
酔った若い貴族がエリスに近づく。その声は大きくはなかったが、近づいた貴族が伯爵家――服の紋章で分かった――だったため、注目が集まる。金髪で背が高く、顔も良かった。天は二物も三物も与えすぎだ。
「えと。私は――」
「申し訳ございません。私どもは下賎なダンサーにございます。伯爵様のような高貴なお方にお声をかけてもらうような身分ではございません」
丁重に頭を下げる俺を伯爵は無視して「一曲、お相手できませぬか?」とエリスの手を取った。
不味いな。ある程度のステップを覚えさせたが、踊れるほどじゃないぞ……
「あ、手を……」
「どうかなさいましたか――」
エリスの戸惑いに若干の違和感を覚えた伯爵だったが、次の瞬間「あなた! また浮気ですの!?」と伯爵と同い年くらいの女性が駆け寄った。
しまったという顔をした伯爵。おそらく奥方だろう。エリスを強引に引き剥がす。
「あなたはいつもそうやって! 私のことをないがしろに!」
「いや、そうじゃないんだ! 話を聞いてくれイザベル!」
「もう知らないわ!」
どよめく周囲。ああもう、また夫婦の喧嘩かよ……
これ以上目立つと良くないな。
「奥方。あなたは誤解なさっています」
俺は伯爵に近づいて、指輪を素早く抜き取った。
そのまま奥方に説明する。
「何よ! ダンサーごときが――」
「伯爵の指輪を、エリスが拾いましてね。それを伯爵は受け取っただけのです」
俺は片膝をつき、拾う仕草をして、指輪を奥方に渡した。
「先ほど、また落としましたよ」
「あ、ああ。ちゃんと受け取れなかったね……」
伯爵は不思議な顔をして、俺から指輪を受け取る。
奥方は「えっ? そうなの?」と呆気にとられていた。
「誤解を招いてしまい申し訳ございません。エリス、あなたも謝りなさい」
「も、申し訳ございません!」
奥方はばつが悪くなったのか「まあいいわよ……」と言う。
「それより、イザベル。君の親友のマーガレットが向こうにいたよ」
「本当? ……あ、居たわ。ちょっと会ってくるわ」
何事もなかったように奥方は向こうに行ってしまった。まったく人騒がせだぜ。
「……君。なかなか器用だね。気づかなかったよ」
こっそり耳打ちしてくる伯爵。
バレるのは分かっていたけど。
「ええ。庶民はこういうこともできないと生きていけないので」
俺は飲み物を飲み干して――コップを消してみせた。簡単な手品だ。既にポケットの中に入れている。
伯爵は「気に入ったよ!」とにこやかに笑った。
「オールゴラン伯爵家の家令にしたいほどの逸材だな。気が向いたら来たまえ」
「お褒めの言葉、感謝の極みでございます」
「私はプルート・オールゴランだ。覚えておいて損はないよ。君の名は?」
「ヨハンといいます」
「ヨハン君か。覚えておくよ」
最後にウインクして、伯爵はその場を去っていった。
「ヨハンさん、すみませんでした……」
「いや。しかし壁の花になるのは危険だな」
俺はエリスの手を取った。
「えっ? 何を――」
「ダンサーらしく踊るか。安心しろ。リードしてやるから」
俺は人がまばらな中央の舞台に向かい、エリスの背中に手を回す。
周りの視線がこちらに集まる。
「ヨハンさん……!」
「心配するな。適当に合わせればいい」
会場に流れている演奏に合わせて、俺たちは――踊った。
緊張で身体がガチガチだったエリスも次第にリラックスしてくる。
俺は踊りながら標的を見た。
でっぷりと太った男――いやらしい目つきでエリスを見てやがる。
裏で奴隷商人をやっている腐った野郎だ。
エリスの顔が次第に楽しげになっている。
いつの間にか軽やかにステップを踏んでいた。
会場中が俺たちに注目している。
曲が終わりになった頃合で、動きを止めた。
盛大な拍手が会場を包む。
「はあ、はあ。これは……」
「なかなか良かったぜ。エリス」
俺は何気なく奴隷商人のほうへ足を運ぶ。
貴族たちは握手を求めてくる。快く応じる俺とエリス。
奴隷商人も俺に握手を求めた――袖に隠した針でちくりと刺す。一瞬、奴隷商人は変な顔をしたが、何も言わなかった。まあ痛みの少ないタイプの針だから、そんなもんだろう。
これで暗殺は終了した。しかしもう一つ厄介な仕事がある。
標的の商品である奴隷の解放だ。
「終わったから次に行くぞ」
「――っ! …………」
エリスは驚いた顔をして、すぐに悲しげな表情になった。
遅効性の毒だから、後三十分で標的は死ぬ。
その前にこの場から離れる必要があった。
トイレに行くふりをして、裏口から出る。見張りが居たが油断していたのか、すぐに眠らせた。外は警戒していても中は警戒してなかったようだ。
俺は馬を盗んでエリスを乗せて、奴隷商人の館を目指す。
ゲストハウスから離れても、エリスは黙ったままだった。
闇ギルド所属の殺し屋ヨハンは不幸体質のエルフ娘を助けるようです 橋本洋一 @hashimotoyoichi
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