第9話説教と仕事

 女将さんが子どもを宿したと、やっと理解した鈍くて頭の回転が遅いマスターは約束の丘で狂喜乱舞した。その狂態を具体的に描写するのは流石の俺でもはばかれるので止しておく。はしゃぎすぎて怪我した馬鹿など知ったことか。

 その後は酒場『バッカス』で宴会になってしまった。当然、夫婦の友人のヘラも招かれた。いや、というよりギルドの人間を使って食事やら酒やらの準備をしていた。どうやらこのギルド長はすべて丸く収まると踏んでいたらしい。何とも計算高い女だぜ。


「坊主! 俺! 親に! なるんだ!」

「うるせえな! 分かっているよそんなこと!」


 酒が弱いくせに酒場の主になっちまっているマスターは、慣れない酒を吞みながら俺に絡んでくる。それが嫌なヘラは、女性二人と離れてきゃっきゃうふふなトークをしていた。


「こんなに嬉しいことねえよ……正直、諦めていた……」

「まあ結婚して十年だもんな。よく頑張ったよ女将さんは」

「俺だって、いろいろ頑張った……」

「てめえの苦労なんて屁みてえなもんだろ」


 そう言って、俺はつまみの揚げたポテトを食べつつ水を飲む。酒は吞めないことはなかったが、襲われたときに反応が鈍るから控えていた。

 それにしてもだらしない顔をしやがる。そんなに子どもって良いものなのか?

 家族を持たない俺には到底理解できねえ。


「なあ坊主」

「ヨハンと呼べ。なんだ?」

「お前、エリスを見捨てようとしてただろ」


 酔っている割にくだらねえことを覚えている。

 ていうか知ってたのか……


「ああ。なんか面倒くさくなってな」

「……『あの死神』に似てきたぞ。考え方も感情も。全て似てきた」


 俺にとっては褒め言葉だがマスターとしては貶しているつもりだろう。だから俺は「弟子は師匠に似るんだよ」と言う。


「三年前まで一緒に暮らしていたんだ。似るのは当然だ」

「三年間も離れていたのに、どんどん似てくるほうがおかしいだろ」


 酔っ払いの説教ほど鬱陶しいものはない。俺は席から離れようとして――腕を掴まれた。


「お前、それでいいのか?」

「……何が?」

「知り合いの女を簡単に見捨てられるような外道になってもいいのか?」


 呂律がかなり回っている……こいつ……


「なんだ。マスター酒吞んでねえのか」

「……よく分かるな」

「何年の付き合いだと思ってやがる。あんたは酔ってたらそんなにすらすら喋れねえよ」


 どうせ女三人に聞かせたくないから下手な芝居を打ったんだろう。

 マスターは厳しい目つきで俺に問う。


「何年の付き合いをしているのは、お前がまともになるって信じているからだぜ」

「……小さな親切、大きなお世話だ」

「小さくても積み重ねれば大きくなるし、大は小を兼ねるって言うだろうが」

「洒落たこと言いやがる。俺は俺の人生を歩くだけだ。道を外れるつもりはねえよ」


 俺は「腕放せ」と強く引っ張るが――びくともしなかった。

 それなりに鍛えているがまだまだマスターには敵わないようだ。


「あの娘は――エリスはお前にとってどんな存在だ?」

「……ただの依頼人だよ」

「違うな。お前がまともになるチャンスそのものなんだぜ」


 何をほざきやがってるんだこのおっさん?

 酒瓶で転んで頭打って死ね。


「あの娘を守ることで結果的にお前自身も救われるんだ。それを覚えておけ」

「……いい加減腕を放せ」


 マスターはしばらく俺を見つめて――それならようやく腕を放した。


「俺はお前の師匠でも何でもないが、それでも教えておいてやる」

「約束を忘れるような馬鹿に教わることはねえが、一応聞いてやる」


 マスターは俺にためらいもなく言った。


「人殺しでも、良いことをしていいんだ。『あの死神』がお前を拾ったようにな」

「…………」

「忘れるなよ、坊主」


 けっ。勝手なことを言いやがる。




 あの冒険者崩れたちは酒場に行く前に自警団に通報しておいた。後で聞いたが、全員、自由都市ソロモンの刑罰を受けて追放ということになった。刑罰とは輸血用血液と供給用魔力の『提供』だった。体力の低下と魔法を使えなくなって、魔物がうようよいる危険なソロモンの外に追放されるということは、まあそういうことだ。


 エリスは酒場『バッカス』で引き続き働くことになった。女将さんもエリスのことを気に入ったらしい。そのためにヘラは三人で話していたのかと勘繰りそうになったが、俺としては結果オーライなので何も問わなかった。


 そんなわけで百セルずつ収入が入ってくる生活が続くことになったので、仕事はしばらくしなくていいかもなと思っていた矢先、俺は闇ギルドに呼び出された。仕事の依頼、というより指名されたからだ。マスターと女将さんが仲直りしてから二日後のことだった。


 決められた時刻にヘラの部屋に入ると、そこにはヘラの他に同じ殺し屋のゴドムとキリックが居た。

 ゴドムは中肉中背の男で、背中には弓と矢の入った筒を背負っている。地味な服装。一見狩人に見えるが、実際昔はそうだったらしい。何でも狩りの途中に山賊と遭遇し、撃退したことから自分の才能に気づいたようだ。主に毒矢を使う。何回か一緒に仕事をしたことがあるが、標的を外したところは見たことはない。

 一方、キリックはとても小柄な男――ホビットだ。俊敏な動きで標的を仕留める凄腕のナイフ使い。しかしながらいつも仮面を被っていて誰も顔を見たことがない。服装も道化師のようだ。こいつも元大道芸人だった過去がある。同じギルド所属していた芸人を口論の末に八つ裂きした経緯で闇ギルドに入ったと聞いたことがある。


「……時間に正確だな」


 ゴドムが呟く。俺は「なんだ。共同の仕事なのか?」と三人に問う。


「そうみたいですね。でもこの三人なら誰か一人でも十分なはずです」


 キリックが仮面越しに話す。いつも思うのだが蒸れないのだろうか?


「……ギルド長。説明してくれ」


 ゴドムが促すとヘラは煙管を吸う。そして紫煙を吐き出して「ネーレウスのじいさんの依頼よ」と言う。


「さっきキリックちゃんが『誰か一人でも十分』と言ったけど、これは手に余るわね」

「つまり、標的が複数ということか?」


 案外賢いゴドムの指摘にヘラは頷いた。


「標的は三人。それぞれに護衛が十人から十五人。それも同時に殺さなきゃいけないの」

「……三人の内、一人でも殺せば暗殺の難易度が上がるってことですか?」


 キリックの言うとおりだろうなと俺も思った。案の定ヘラは「そうよ」と肯定した。


「三人の悪徳商人。麻薬と呪いと奴隷を扱っているの。あなたたち三人はあたしが選んだ標的を殺してほしいの」


 ヘラは立ち上がり俺たち三人にそれぞれ依頼書を渡す。

 俺は……奴隷商人か……

 しかも厄介だな。


「何か質問はある?」


 ヘラはそう訊くが、あまり質問などなかった。というより不用意な質問はご法度だった。

 何故、ソロモンの武器商人ギルドの長が三人の悪徳商人を殺さなければならないのか。

 何故、俺たち三人を指名したのか。

 何故、依頼書に書かれた金額が相場よりも高額なのか。

 そんなことを問うても、藪から蛇が出るだけだ。


「ないなら依頼書をここで燃やして。期限は一週間後。健闘を祈るわ」


 俺たちは紙を二つ折りにして、各々火で燃やした。

 同時に灯火を消すことが開始された――




「というわけで、俺の仕事を手伝ってくれ」


 朝食のとき、俺はエリスに言った。夜は酒場の仕事があるから言えなかったのだ。

 エリスは呆然として「お手伝いですか……?」と訊ね返す。


「わ、私、何もできませんよ?」

「標的が舞踏会に参加するから、会場に入るためにパートナーとして一緒に来てほしいんだ」


 所在がつかめるのが、この日しかなかった。他の日だと暗殺の成功確率が下がってしまう。

 するとエリスは悲しそうに「人を殺すんですか?」と訊いてきた。


「ああ。当たり前だ。それが俺の仕事なんだから」

「…………」

「嫌なら給仕に化けるしかねえな。まあ一人ぐらい余計に死んでも構わねえか」


 俺は焼けたパンを齧りながら呟く。

 するとエリスは「殺すって、給仕さんもですか?」と目を見開いた。


「ああ。気絶させても良いけど、万が一ってことがあるからな」

「……分かりました。同行します」


 何故だか知らないが、エリスは了承してくれた。

 そんなに人が死ぬのが嫌なのか?

 俺にはまったく理解できなかった。


「でも一つだけ約束してください」


 エリスは真剣な顔で俺に言う。


「標的以外には、手を出さないでください」


 俺は何の気なしに言う。


「ああ。約束するよ」


 自分でも破るとは思わなかった――

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