第8話水竜と星空

 水竜――竜の亜種で水辺に生息する魔物である。竜は『龍』と異なり知性はないが、犬猫と同じくらいの知能はある。だから召喚した人間の言うことはできる限り聞くし、自然界の強者である自負が本能的にあるせいか、かなり好戦的な面を持っている魔物だ。


 俺が知っている知識はそんぐらいだ。元冒険者のマスターならより詳しく知っているかもしれない。急所とか弱点とか。俺は人専門の殺し屋だ。こんな魔物、しかも竜相手に戦ったことなどない。はっきり言ってピンチである。


「行けレヴィ! 食ってしまえ!」


 水竜――レヴィと名付けられているようだ――は俺を一飲みしようと大きく口を開けて迫ってくる!


「うおおおおおお!?」


 巨体に似合わず物凄いスピードで目の前まで迫ってきた。回避しようと横っ飛びするが、鋭い牙が俺の腕の肉を抉った。

 物凄く痛いが表情に出さない。痛みを無視したり我慢したりする訓練は、七才の頃から受けていた。

 だが出血は厄介だな。連撃をして来ないのを見越して、暗殺道具の一つ、糸を巻いて出血を抑える。


「はっはー! どうだ? 殺し屋風情が、勝てる相手じゃないぞ!」


 召喚師のロドリゴが得意そうに笑う。


「そうだな。俺には殺せないな……だったらこうだ」


 俺は気絶していたモネの身体を起こし、背後に回って首に腕をかける。


「人質交換といこう。この女を殺されたくなければ、エリスを解放しろ」


 思わぬ行動だったらしく、女剣士のシャーネが目に見えて動揺した。


「なあ!? この、卑怯者!」

「……いや、そっちが先に人質使ったよな?」


 呆れるとはこのことだ。自分は良いけど、他人はしちゃいけないって、そっちのほうが卑怯だろう。

 しかし意外と冷静なロドリゴは「解放したら、お前逃げるだろ」と指摘してきた。

 当たりだ。こんな魔物と戦ってられるか!


 ここで俺には一つの選択肢があった。それを冒険者崩れに問う。


「なあ! あんたら俺を雇わないか?」

「……さっきと同じ話だろう。答えはNOだ」

「そうじゃない。正式に雇ってくれれば、俺はあんたらに攻撃できない」


 俺は闇ギルドの規則を大声で言う。


「いいか? 『殺し屋は雇い主に対して攻撃してはならない』と決められているんだ。俺の実力はもう分かっているだろう? もちろんタダで構わない。雇い料としてエリスを解放してくれればいいんだ」


 この提案にシャーネは心動かされたらしくロドリゴに「どうする?」と訊く。

 ロドリゴも迷っているようだったので、追い討ちをかける。


「もし納得しなかったらモネを殺す。なに、人質にはデニスも居るんだからな」


 これなら頷いてくれるだろう。そう思っていたが、思わぬ反撃を受ける。


「そんなにこのエルフ娘が大事なのか? 出会って一週間ぐらいだろう?」


 ロドリゴがどうしてそんな質問をしたのか。

 おそらくは交渉を有利にしようとしたんだろう。そのぐらいの意図しかなかったはずだ。

 しかしその問いは俺にとって深く考えさせるものだった。


 そもそも俺はどうしてエリスを助けようとするんだ?

 一週間前は赤の他人だっただろう?

 殺し屋が人助けか? そんなのおかしいだろう。


「……よくよく考えてみればそうだな。俺はエリスを助ける道理もなければ、義理もないし、義務もない」


 今まで戦っていたのが馬鹿らしくなるくらいだった。痛い思いをしてまで取り戻す必要なんてない。


「やっぱ雇う話、なかったことにしてくれ。なんか面倒になった」

「……はあ!? 何言ってんだよ!」


 シャーネが喚くけど、もうどうでも良くなった。

 俺はモネを放した。


「エリスなんて俺にはどうでもいいエルフだった。たった二千セルのためにここまで一生懸命になるなんて阿呆らしいぜ。帰って寝ることにするわ」


 そう言って後ろを振り返ったときだった。

 ……まったく馬鹿ばっかりだ。


「あー、お前ら、逃げたほうがいいぜ」

「……何をさっきから言っているんだ? 少しくらい分かること言ってくれ」

「じゃあ分かりやすく言うぜ」


 俺はたった七文字で言う。


「マスターが来た」


 マスターが冒険者時代の愛用の得物である大剣を背負って、こちらに走ってくる。

 あの馬鹿、せっかく女将さんと仲直りするチャンスだったのに。

 まったく、人間は思い通りにならねえなあ。


「あいつ……! ロドリゴ、あの大男だ!」

「ようやく目的の男が来たな……!」


 マスターは息を切らしながら「待たせたな……」と俺の隣に来た。


「待ってねえよ。女将さんとの約束どうするんだよ」

「嫌な予感がしたんだが、案の定だったな」

「質問に答えろよ。あんた、女将さんの――」


 マスターは「馬鹿野郎!」と笑いながら言う。


「俺のせいで若い奴に迷惑かかってんのに、自分の都合で行けるかよ」

「……はっ。じゃああいつら任せるわ」


 俺はその場にどかりと座り、抉れた腕の手当をし始める。


「舐めやがって! だがレヴィはそこらの冒険者が束になっても敵わない!」


 ロドリゴが水竜に命じた。

 水竜はマスターを一飲みしようと襲い掛かる!


「貴様が勝てる可能性など――ありはしない!」


 水竜の牙が襲う前にマスターは――突貫した。

 そして水竜の横顔――そう表現していいのか分からないが向かって右だ――を思いっきり殴る!

 水竜は身体を上に跳ね上げて――地面にどしんと倒れて、そのままのびてしまった。


「……はあ?」

「えっ? えっ?」


 傷跡を糸と針で縫いながら俺はぼそりと言う。


「そこらの冒険者じゃねえんだよ、マスターは」


 元Sランクの冒険者――災害と評される人間に与えられる称号は伊達じゃない。

 マスターはそのまま呆けているロドリゴの前に来て、かなり手加減をして腹を殴った。


「ぐぼっ!」


 手加減したと言っても、骨か内臓は無事じゃ済まないだろうな。

 ロドリゴが気絶したことで水竜のレヴィは光と共に消えた。元の住処に返還されたのだろう。


「ひいい!? く、来るな!」


 シャーネがエリスを盾にして逃げようとする。

 そのときエリスが起きた。


「うーん……ここは……?」

「ちょうどいい、ここから逃げるんだよ! 走れ!」


 エリスを連れて走ろうとしたとき、運悪く石につまずいて、シャーネは転んでしまった。

 俺は機を逃さず、走ってエリスのところへ行き、奪い返した。


「大丈夫か?」

「え、あ、その、ありがとうございます……」


 何がなんだか分からないようだが、とりあえず無事なようだ。


「くそ! これを使うしか――」


 悪あがきなのか、最近ソロモンで売っている巻物を使おうとするシャーネ。

 確か使うと強力な魔法が出るらしい。


「くらえ! テラライトニング――」


 しかし暴発することも多いらしい。不幸なことに粗悪品だったらしく、魔法は不発どころか、持ち手のシャーネが魔法を受けることになった。


「ぎゃああああああああああああああああ!」


 あー、焦げてるな。

 でも息はあるようだから大丈夫か。


「おう。お前ら無事か?」


 エリスの縄を解いていると、マスターがこっちに近寄ってきた。


「ああ。なんとか――」

「ヨ、ヨハンさん!? 腕が――」


 腕? ああ、傷のことか。


「大丈夫だ。化膿止めも塗ったし」

「……ごめんなさい。私のせいで」


 落ち込むエリスに俺は「馬鹿かお前」とおでこを指で押してやる。


「悪いのはこの四人組だろうが。お前は悪くねえ」

「……そうじゃないんです」

「ああん?」


 エリスは申し訳なさそうに言う。


「私の運が悪かったから……」

「はっ。そんなの関係ねえよ」


 幸運不運なんて迷信だ。そんな馬鹿らしいもん信じるほうが馬鹿を見るぜ。


「腕を怪我したのは、俺が油断していたからだ。ただそれだけだ。変な慰めは返って傷つけるぜ?」

「…………」

「それに、ごめんなさいより、ありがとうのほうが嬉しいけどな」


 なんで殺し屋らしくない台詞だろう。

 さっきまで見捨てようとしていた人間の吐く台詞じゃない。


「……ありがとうございます!」


 するとエリスはにっこりと微笑んだ。

 それは可愛らしいと誰もが思う笑顔だった。


「そんで、あんたどうするんだよ」


 もう陽が沈もうとしている。今から走ってもあの丘に着く頃は夜中になっているだろう。

 マスターはばつの悪い顔になっている。


「そうだよなあ。今から行っても間に合わねえしな」

「何のことですか?」


 エリスが不思議そうな顔をしたので、俺は約束のことを話してやった。

 するとエリスは神妙な顔で言う。


「たとえ間に合わなくても行くべきです」

「だけどよ――」

「マスターさんは、女将さんのこと、愛していないんですか?」


 マスターは顔を真っ赤にして「は、恥ずかしいこと聞くなよ!」と照れた。


「だったら行くべきですよ」

「でも居なかったら――」

「それでも行くんです。そうでないと――」


 エリスは胸を締め付けられるような悲しそうな顔で言う。


「大切な約束が本当に嘘になってしまうじゃないですか……」




 エリスの言葉は幼稚であったけど、純真であることには変わりない。

 マスターは走って丘に向かう。

 俺もエリスを背負って並走する。

 女将さんは居ないだろなと俺は思った。

 そしてこう想像する。丘の上に手紙が置いてあって、内容は離婚届であると。


 しかし俺には想像もつかなかったことが起きた。


「お、お前。どうして――」

「……待たせすぎよ。あなた」


 睡眠花の花が閉じた真夜中の丘。

 そこで、女将さんが待っていた。


「こ、こんな時間まで、待っていたのか?」

「うん。そうだよ」

「来るって、思ってたのか?」

「うん。そうだよ」


 俺とエリスは離れたところで見守っていた。

 マスターは俯いて「約束、守れなくてすまん」と呟いた。


「いいの。あなた――バッカスくん、忙しかったんでしょう?」

「だ、だけどよ……」

「それに、来てくれた」


 女将さんは嬉しそうに言う。


「それだけで、嬉しかったから」


 マスターは、大の男のくせに、ぽろぽろと大粒の涙を流し始めた。


「泣かないの……空を見て。綺麗な星よ」


 女将さんの言葉に見上げると、満天の星が輝いていた。


「酒場をやっているときは、見えなかったわ」

「……なあアリアドネ」

「なあに? あなた」


 マスターは改まって言った。


「この夜空を、また見に来ないか?」

「…………」

「十年後とは言わねえ。一年後でも半年でも一ヵ月後でもいい。お前と二人で見たいんだ」


 マスターは女将さんの手を取った。


「頼む。俺にはお前が必要だ」

「……ちょっと難しいかな」


 女将さんは困ったように言う。

 マスターはショックのあまり、膝をついてしまった。


「う、うう……」

「ち、違うのバッカスくん! 二人が難しいってこと!」

「……どういうことだ?」


 女将さんは膝をついたマスターに身体を寄せて抱きしめる。


「二人じゃなくて、三人でもいい?」


 三人って、まさか、子どもか!?

 まあ夫婦だもんな。当然だよな。

 ふとエリスを見ると感動して涙を流している。

 いや、泣くほどか……?


「三人? 誰だ? もしかしてヘラもってことか!?」

「…………」


 あまりの鈍さに流石の女将さんも絶句してしまった。

 このおっさんはどうしようもねえな……


 こうして痴話喧嘩は終わったわけで。

 一言で表すなら、まさにくだらない騒動だった。

 元の鞘に納まったんだからな。

 まったく、人騒がせだぜ。

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