第7話冒険者と湖
十年前――俺がまだ九才のガキだった頃。
初めて人を殺した頃だ。
俺は師匠から友人であるマスターと女将さんを結婚させるよう指示されていた。
女心の分からない鈍いマスターと女将さんをくっつけるのは難しかったが、そのくらいのハードルを越えないと『効率よく』人を殺せないと言い含められていた。
『人の心を操る』訓練――友人の恋路を弟子の課題にするなんて、流石、『死神』と呼ばれた殺し屋だった。
俺はマスターを唆して名もない丘に女将さんをデートに誘うようにした。
その丘には美しい花が咲いていた。昼間にだけ花を咲かせる珍しい『睡眠花』だ。
『どうだ? 綺麗だろう?』
『そうね……本当に綺麗ね……』
睡眠花は黄色い花びらで、匂いも芳しかった。
丘が一望できる大きな木の上で、二人の会話を唇で読む。
マスターが遠くから見守ってほしいと言ってきたからだ。
『この時期に最も多くの花が咲くんだ。ま、明日には散ってしまうけどよ』
『そうなんだ……なんか残念』
『よ、良かったら、また見に来ないか?』
すると女将さんは口を尖らせた。
『そんなこと言って。他の子にも同じこと言ってるんでしょう?』
『ば、馬鹿! 言ってねえって!』
『じゃあ十年後にしましょう』
女将さんは悪戯っぽい顔で笑った。
マスターはぽかんとしている。
『十年間、一緒に居られたら、またここに来てみるのはどう?』
『そ、それって……』
『バッカスくん。私のこと、好きでしょう?』
馬鹿みたいに口をパクパクさせているマスター。
思わぬ展開に俺はどうしようか迷っていた。
変な感じになったら、二人の記憶を消してやり直しさせるかと物騒なことを考えていたのだ。
でもマスターはきりりと真面目な顔になって、女将さんに言う。
『ああ。好きだ。だから十年後、一緒にここに来よう』
その後、二人がなんて言ったのか分からない。
唇が重なったからだ。
俺はようやく師匠からの課題が真っ当できたと安心できた。
それと同時に二人を祝福する気持ちも生まれた。
その後、何度か離婚の危機はあったが、なんとかおおごとにならずに済んでいる。
だから俺は夫婦喧嘩と言わずに痴話喧嘩と言っている。
犬も食わない夫婦喧嘩ではなく、人を食ったような痴話喧嘩。
本当に馬鹿馬鹿しい――
すっかり夕方になっちまったウロ湖の周りには遮蔽物がなく、四方を見張っていれば近づく者はすぐに発見される。
マスターを敵に回したのだから知恵の浅い奴らだと思っていたが、案外そうではないらしい。
四人の冒険者崩れの内訳は二十歳半ばの男二人と女二人だった。
男の一人は剣士のようで鞘から抜いた剣を肩に担いでいる。もう一人の男は魔法使いだ。黒いローブを纏っている。
女も剣士と魔法使い――いや、僧侶だな。聖職者の装いをしている。エリスは女剣士の腕の中でぐったりしている。
湖を背に四人はマスターが来るかどうか待っている様子だった。
ここで俺は二つの選択肢があった。一つは釣り人に変装して何気なく近づき奇襲する。もう一つは裏手から泳ぎ、湖から出て奇襲する。
まあ両方ともエリスの身に危険が及ばない保証はなく、しょうがないから話し合いとう第三の手を取るしかなかった。
「えー、あんたら、その女を今すぐ解放しろ」
俺は堂々と正面から出てきて四人に話しかけた。
ぎょっとした顔になる冒険者崩れ。しかし剣士の男が剣先を俺に向けて「誰だ!?」と喚く。
「誰って……その女を預かっている人間だよ。ヨハンって言うんだ。何を勘違いしているのか分からねえけど、さっさと解放しろよ」
「なんだと!? じゃあお前もあの酒場の店主の関係者なのか!?」
「違う。そいつは――エリスは臨時雇いの給仕だよ。マスターの配偶者は他に居るぜ」
俺は両手を挙げながら、ゆっくりと近づく。
魔法使いの男が「動くな!」と叫んだ。
ぴたりと足を止める。
「あんた、あいつに頼まれてここに来たんじゃないのか?」
「はあ? それも違う。俺はな、そいつを助けに来たんだ。でも安心しろ。分かっているぜ。行き違いがあったんだろ?」
四人は顔を見合わせて、俺が言わんとすることを考える。
それを待たずに俺は続けた。
「あんたらはマスターへの人質としてエリスを攫ったんだろう? でもな、マスターに『無理矢理』雇わせてたんだよ。こいつ、金を稼がないといけなくてな」
「……つまり、店主とこの娘は無関係だと?」
「その証拠に、マスターじゃなくて俺が来たわけだ。おわかり?」
四人は俺の言葉を計りかねているようだった。
俺とあいつらの距離は二十歩分。その半分さえ近づければ殺すなりなんなりできる。
「俺としてはあんたらと揉めるのはごめんだ。だがマスターとあんたらに何があったのか風の噂で聞いている。もしエリスをこの場で解放するのなら、あんたらの報復に手を貸すぜ」
「……どういう風に手を貸すのよ!」
今度は女剣士だ。
「俺の仲間も加えて、マスターを襲うのはどうだ?」
「仲間? 何人いるのよ?」
「俺を抜いて八人だ。十三人居たら、あのマスターでも殺せるだろ」
これは嘘だ。俺に仲間なんて居ない。なんとか口車に乗らせてエリスを取り戻せればいいので、そのためなら嘘を吐きまくるのも悪くない。
「どうするデニス?」
女剣士が男剣士――デニスに訊ねる。
少し考えてデニスは答える。
「お前が店主の仲間でない証拠はあるか?」
「そんなもんねえよ。ていうかどうやって証明すればいいんだよ?」
「モネ。お前、真偽判断の魔法できたよな?」
モネと呼ばれた僧侶の女は黙って頷いた。
「モネにやらせる。ロドリゴ、シャーネ。人質を逃がすなよ」
デニスとモネがこっちに近づいてきた。
今なら二人を殺せるが、我慢しないと。
「真偽魔法、発動……デニス、テストするから何か質問して」
モネによって白い光に包まれる俺。
デニスは「お前は男か?」と問う。
俺は「もちろん男だ」と答えた。
色は白のまま変わらない。
「では――」
デニスが質問しようとする。
マスターとは仲間ではないので、これはクリアできるなと思った――
「――拘束しろ」
その瞬間、身体中が縄で縛られた感覚に襲われた。
身体が――動かない!?
「ヨハンさんよ。俺らはエリスちゃんからいろいろ聞いてるんだぜ?」
にやにや笑うデニス。モネもくすくす笑ってやがる。
「あんたが店主と親しいことぐらい割れてんだよ。さてと、人質は二人もいらねえよな」
デニスは剣を振り上げた。
「あんた殺し屋だよな? だったら死んでも誰も泣かねえ。むしろ悪人が減って世界が平和になるぜ!」
「…………」
殺気を込めた目で睨んでやると「そんな目で見ても怖くねえよ」と笑いやがる。
はあ……仕方ねえな。
「……魔法ってのは厄介なもんだな」
「はあ? ……便利の間違いじゃねえか?」
「いや、厄介だぜ。なにせ、術者が気絶しちまったら、解けるんだから――よっ!」
口の中に仕込んでいた含み針でデニス――ではなくモネを刺した。
モネは糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
「なあ!?」
「ほら。厄介だろう? 拘束魔法は口の自由が利くんだから」
余裕を持って立ち上がる俺。
デニスが「うおおおおお!」と雄叫びを上げながら剣を振り回す。
「自棄になったら戦闘は負けだ。剣士なら尚更だな」
剣筋を避けて、ややカウンター気味に喉に向かって地獄突きをする。鎧を着込んでいる場合があるからな。
剣を落として喉を押さえるデニス。数発顔面を殴って気絶させた。
「ああもう。俺って予定通りに進んだ試しがねえなあ」
ぼやきながらゆっくりと残りの二人に近づく。
すると女剣士のシャーネが小さな短剣をエリスの喉元に突きつけて「止まれ!」と言う。
「お前らなあ。そんなもん見せたらこっちも本気になるしかねえじゃねえか」
「……一つ聞いておきたい」
魔法使いのロドリゴが不敵な笑みを見せながら言う。
「どうしてこの湖に誘き寄せたと思う?」
「知らねえよ。知る必要もねえ」
「……ここでしか『呼べない』ものが居るからだ」
ロドリゴが魔力を溜めている。
動きたいが、エリスに短剣を突きつけられている以上、下手には動けない。
「あの店主は化け物みたいに強い。だったらよ、こっちも化け物呼ぶのが道理じゃねえのか?」
「……すげえ貧乏くじ引いちまったな」
今の言葉で分かった。
こいつ魔法使いじゃなくて、召喚師か!
「出でよ、レヴィ!」
ウロ湖の水面に大きな波紋が出て、ぶくぶくと泡が起きている。
そして――現れた。
「おいおいおい。俺は魔物専門じゃねえんだけど……」
呆れるしかない。全身を鱗で覆われて、角の生えた、長くて大きな水竜――そんなもんが召喚されたのだから。
ロドリゴが得意げに笑う。
「はっはっは! さあレヴィ、やってしまえ!」
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