第6話因縁と約束

 闇ギルドを出て、血のように真っ赤な夕陽が沈み行く街並みを歩いていると、顔も見たくない奴らに遭遇した。


「ゲヒヒヒ。ヨハンの旦那。ご機嫌よろしいようで」

「……最低のクズに会ったわね」


 一人はご機嫌を伺うように、頭に載せた帽子を取って深く小粋に挨拶をする老人。

 もう一人はこの世全ての闘争と疫病の原因が俺にあるかのような憎悪を向ける女。

 老人はネーレウス。

 女はエキドナという。


「旦那でもクズもねえよ。ヨハンと呼べ」

「……人殺しのクズに何を言おうが勝手でしょ」


 エキドナは鼻息を鳴らしながら悪態をつく。

 一方のネーレウスは「お若いですな」と笑っている。


 エキドナは相変わらず血に染まった赤黒いローブを羽織っている。その内側には奴の仕事に役立つ手術道具が仕込んである。顔だけは良いので何も知らない男に誘われることが多いが、肩に手を置いた瞬間、手の甲にメスという刃物を突き刺されたという話を聞いている。まさに『戦慄女医』という悪名が相応しい。

 こいつが俺を敵視しているのは、親しかった患者を俺が殺したからだ。それ以来、どうにかして俺を殺そうと企んでいる。


 ネーレウスは一見、笑い声以外は老成した洒落者の好々爺に見えるが、自由都市ソロモンに存在する五つのギルドの一つ、『武器商人ギルド』の長である。本来なら俺のことを旦那と呼ぶような立場ではないが、敢えてそう呼ぶ。小馬鹿にしているのだろう。こうして何気なく歩いていても、おそらくボディーガードが複数人で守っているのだ。現に未熟な奴が一人居るようで、裏路地から俺を警戒している。

 このじじいとはいろいろ武器の取引をしたり、闇ギルドを通じて暗殺を頼まれたりしている。


「珍しい組み合わせだな。もしかして噂の愛人とはこの女なのか?」

「クズな貴様の下衆な勘繰りだな。私たちはたまたま出会ったのだ」

「ゲヒヒヒ。愛人なんて噂があるんですねえ。実は、私たち偶然ですけどバッカスに行こうと思ったんです」


 俺は「バッカスは閉まってたのか?」と何気なく聞く。


「いえいえ。中で喧嘩――というよりバッカスくんが一方的にやっつけちゃいましてね。その余波で店が滅茶苦茶になってしまったんですよ」

「……何があったんだ?」

「詳しくは知りません。気になるのなら言ってみたらどうですか?」


 それもそうだ。俺は「分かった。行ってみるぜ」とネーレウスの横を通ろうとする――不意の殺気に身体を後ろに捻る――俺の目の前にはメスが突きつけられていた。

 メスを回転させて上向きになっている俺の顔を刺そうとする。俺はそのまま背中から倒れて、横に転がり距離を取る。

 エキドナが両手にメスを持ってこちらに駆けてくる。ナイフを抜く間もなかったので両手で手首を掴む。どちらか遅かったら右手は目を抉り、左手は喉を切り裂いていただろう。

 エキドナが息を深く吸う――含み針を出される前に思いっきり頭突きをしてやる。


「ぷ、ら――」


 鼻血が出るくらいの威力――鼻の骨が折れているかもしれない。その後、鳩尾辺りに前蹴りをして胃液と共に含み針を吐かせる。膝を付くまで蹴り続けて、戦意を失った頃合にこめかみ目がけてつま先で蹴り、意識を狩ってやった。


「ネーレウス。こいつの診療所まで運んでやれ」

「おや。殺さないんですねえ」

「殺そうとしたらあんたが止めるだろ。分かってて言いやがって……」


 相変わらず俺を殺そうとしやがって。

 医者が殺し屋に勝てるわけねえだろ。


「こいつが起きたら言ってやってくれ。『あんたの手は人殺しじゃなくて、人を救うためにある』ってよ」

「良い台詞ですねえ。殺し屋が言うべき台詞じゃないくらいに。ゲヒヒヒ、良いでしょう。ちゃんと伝えておきますよ」

「じゃあ頼んだぜ」


 まったく、損な役回りだぜ。

 人に恨まれるってのは。




 酒場バッカスの外観はそれほど荒れていなかったが、中に入るとテーブルと椅子がひっくり返っていて、酒と食べ物が床に落ちている。酷い有様で客は一人も居なかった。

 エリスは椅子に座って泣いていて、マスターは困ったように頭を掻いていた。


「おいおいおい。何があったんだよ?」

「うん? ああ、坊主か……お前のほうこそ何があった?」

「あん?」

「血の臭いがするぜ」


 歴戦の元冒険者は伊達じゃねえな。

 俺は「エキドナと会ったんだよ」と答えた。


「灯火は消してねえ。それよりも何があったんだよ?」

「新顔の冒険者崩れがエリスにちょっかい出してな。少し懲らしめてやった」

「何人だそいつら」

「四人だ。一般的なパーティと同じ人数だな」


 四人の冒険者崩れにたった一人で勝つぐらい、マスターならできて当然だ。

 俺はエリスに近づき「大丈夫か? 怖かったのか?」と問う。

 エリスは泣きながら頷いた。


「こ、怖かったですけど……ご迷惑をかけてしまったのが、申し訳なくて……」

「ああもう、泣くなって! 怪我とか無いんだろ? 今怪我したら診てもらう医者居ねえぞ……」

「け、怪我はないです……」


 とりあえずホッとした。

 ……ホッとした? この俺が?

 師匠が居なくなって以来、自分が良ければそれでいいと思ってた俺が?


「ふん。情が付いたか?」


 マスターが厳しい顔で言うものだから「そんなんじゃねえよ」と強気で返す。


「さっさと二千セル稼いでもらうためだ。そんなことよりもこれでクビってわけじゃねえよな」

「……そんな冷たい男だと思ってたのか?」

「いいや。あんたは馬鹿みたいに熱い馬鹿だよ」


 俺は「今日はこれで閉店か?」と訊ねる。


「いや。片付けしたら再開するつもりだ」

「……はあ。手伝ってやるよ」


 倒れたテーブルと椅子を元通りに立たせる。

 それを見ていたエリスが「わ、私もやります!」と椅子を起き上がらせる。

 俺はマスターに「モップ持ってきてくれ」と言う。呆気に取られていたマスターは気のない返事をして奥の部屋に入っていく。

 ……分かっているよ。ガラじゃねえってことは。


「あ、あの、ヨハンさん……」

「ヨハンでいいって。お前も不幸だったな。初日でガラの悪い客と出会っちまって」


 なんで俺は気遣うような台詞言うんだよ……


「だ、大丈夫です! 不幸なのは昔からですから!」

「それはそれでどうなんだ? ま、いいか。ほれ。そこのテーブル一緒に立てるぞ」


 三人で掃除したらすぐに綺麗になった。

 これで営業再開できるな。


「ところで、エリスの料理はどうなんだ?」


 こっそり耳打ちすると、マスターは「アリアドネより上手い」と笑った。


「結構な腕前だよ。聞いたところ独学だけどな。味覚が良いみたいだ」

「へえ。そうなのか」


 テーブルを拭いているエリスを見ながらマスターは言う。


「あんな子が不幸になっちゃいけねえよ。なあ、お前もそう思うだろ? 坊主」

「……そんなことは分かってるよ」


 できることなら、俺と関わりないところで幸せになってほしい。

 殺し屋の俺なんかと関わりない、平和な場所で。


 営業再開すると、常連客がぞろぞろやってきた。


「へへ! 可愛い子ちゃんが給仕やってくれるじゃねえか!」

「手ぇ出すなよ! マスターに殺されるぞ!」

「ぎゃははは! マスターの親戚か?」

「臨時雇いだよ」

「また奥さんと喧嘩したのか? まったく、どうしようもないな」

「うるせえ! てめえには酒一滴もやらん!」


 下品で騒々しいが、その晩は何事も無く終わった。

 この日だけで百セルの給金を貰えた。残りの千九百セルはこのままなら十九日後に貰える計算になる。

 エリスも自信が付いたようだった。

 これならすぐかもしれないな。




「思い出したんだ。十年前の約束を」


 三日後。酒場バッカス。

 マスターが間抜けのような顔でぼそりと俺に言った。


「そうか。それはおめでとう」


 ぱちぱちと拍手をするとマスターは「坊主。お前最初から知ってたろ」と睨んできた。


「当たり前だ。あんたらの告白シーンを影から覗いていたんだからな。ていうか俺が居なければ結婚できなかっただろうが」

「うぐぐ……」

「それに、女将さんが怒ってた理由は『あの丘』のことを忘れていたからだろう?」


 図星のようで目に見えて落ち込むマスター。


「長い付き合いだ。あんたが何をして怒らせたのか目に浮かぶぜ」

「じゃ、じゃあ言ってみろよ!」

「女将さんが丘のことをぽろりと言ったら、あんたはこう言ったはずだ。『あんな辺鄙なところがどうした?』ってな」

「むう……」

「女将さんは大事な思い出の場所を、辺鄙なところと言われて少しだけいらっとしたけど、それでも思い出させようとして、でも鈍いあんたは思い出せなくて」

「うぐぐぐ……」

「女将さんがとうとうキレて喧嘩になって。そんであんたが『出て行け!』と最後に……」

「だあああ! 分かったよ! 俺が悪かったよ! ていうか気持ち悪いぐらい当たってるのなんだよ!」


 そりゃあ長い付き合いだからな。


「それより、エリス遅くねえか? 一緒に来たんじゃねえのか?」


 その言葉に首を捻る俺。


「はあ? あいつなら先に出て行ったよ。俺はあんたが約束思い出してないだろうと来ただけだ……てっきり奥の部屋で準備していると思ったが、違うのか?」


 マスターは怪訝な表情で首を振る。

 なんか嫌な予感がするな……

 そのとき、窓ガラスが割れた。


「な、なんだあ!?」


 マスターの間抜けた声。

 俺は素早く身を隠したが、ガラス割れた以外に何も起こらない。

 ただの悪戯か?


「おい坊主。そこに転がっている石に紙が包まっているぞ」


 マスターが指差すところには拳骨くらいの石が転がっていた。

 しかも言ったとおりに紙が包まっている。

 俺は注意しつつ紙を広げて読んだ。


『女は預かった。返してほしければウロ湖まで来い』


「おいおい。面倒なことしてくれるじゃねえか!」

「エリスが攫われたのか? この前言ってた野盗か?」

「んなわけねえだろ! 野盗がわざわざ人質にするかよ! 店に投げられたんだから、あんたに恨みを持った奴に決まってるだろうが!」


 マスターは「……もしかして冒険者崩れか?」と言う。

 ああ、三日前のあれか!


「しょうがねえなあ。俺が助けるしかねえじゃん」

「何言っているんだ? 俺も行くに決まっているだろ」


 マスターが馬鹿げたことを言ったので俺はびしっと指差してやる。


「あんたは約束の丘に行かなきゃいけねえだろ! ウロ湖は反対方向じゃねえか!」

「うぐ! そ、それは……」

「安心しな。ここに来る前に女将さんと会ってきたから。あの人は丘で待っているぜ」


 俺は首をこきりと鳴らした。


「仕方ねえから、灯火を消しに行くぜ」

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