130 金ヶ崎の退き口(4) 浅井長政が反旗を翻す


 四月二十五日早朝、天筒山城に向かって出陣する。

 先陣は森可成軍、続くのが柴田勝家、坂井政尚、池田恒興の軍である。総勢一万数千。

 坂井政尚は勝竜寺攻めで勝家と共に戦勝に功績を上げた武将である。京における政務にも実績を示しており、使える人物である。

 池田恒興はぼく信長の小姓として、長年身近に仕えてきた。気心の知れた強者である。


 いつもの事だが、山城を力攻めするのは多くの犠牲者が出る。それを承知で実行させたのは一日も早く勝利を収め、京に戻らねばならなかったからだ。なにしろ、義昭が何を企んでいるのか、今は見極めきれずにいたからである。


 戦闘は初めから過酷を極めた。

 籠城する朝倉勢は勇猛果敢に戦った。われらの軍は力まかせに波状攻撃を繰り返し、戦場は凄惨を極めた。

 朝倉本家からの援軍もなく、孤立した天筒山城は孤高の戦いを続けている。主城の金ヶ崎城も支援の気配を見せない。朝倉家では一門衆間の序列争いがあると聞いていたが、それにしても腑に落ちないところがある。やはり朝倉の動きを探っているのであろうか。


 日が西に傾き始めても、勝敗の決着がつかなかった。戦死者、負傷兵が次から次と運ばれてくる。ぼくは天幕内で腕を組んで息をこらしていた。

 

 そして西の空が赤く染まり始めたころ、天筒山城から火の手が上がった。

 天幕に森可成の将兵が駆け込んでくる。

「殿、天筒山城を落としました。わが主がご見分を賜りたいと申しております」

 ぼくは頷くと床几から立ち上がった。

「将は無事であるか?」

「はっ。わが主の嫡男、可隆様が戦死されましたっ」

「ウム……」


 ぼくは馬廻り衆数十名を従えて、手筒山城に入った。敵兵の死体が転がっている。われらが兵が城外に運び出している。敵軍の戦死者は千三百人を超えていた。城兵の殆どが戦死したことになる。朝倉本家は彼らを見殺しにしたのだ。おそらく、朝倉にはまだ浅井勢の反旗の知らせが届いていないのだろう。


 森可成、柴田勝家、坂井政尚、池田恒興が出迎えた。

 彼らの顔は血と黒煙で赤黒く染まっている。

「ご苦労」

 ぼくは一言声をかける。そして、可成の肩に手を置き頷いて見せた。彼をぼくを見詰めてから天を仰いだ。


 戦が一段落して、陣屋は久しぶりに落ち着きを取り戻した。

 空には満天の星々が煌めいており。陣幕が篝火に赤く染まっている。


 暗闇の中から、権蔵がひそかに現れた。

「殿、浅井勢に動きがあります。小谷城下に、軍勢を密かに集めております」

「やはり、そうか……」

 ぼくは掻巻布団を纏ったまま立ち上がった。

「権蔵、もう、ひと働きしてくれ」

「はっ」

「秀吉、小六、利家に伝えよ。ここに、直ちに参るように、と」

「はっ」


 夜半過ぎに、秀吉、小六、利家が陣幕に顔を揃えた。

「権蔵から知らせがあった。浅井長政に反旗の気配あり、と」

 三人は顔を見合わせた。

「信じられないが、誠だ。これからは、慎重に事を運ばねばならぬ」ぼくは床几に腰を落とす。

「そなたたちも、まずは座れ」

 

 ぼくは秀吉を見詰める。

「サル、そなたは、気付いておったであろう」

「殿の言葉に腑に落ちないものがありましたゆえ」

「うん……」ぼくは俯いて吐息をつく。

「夜明けと共に、金ヶ崎を攻める。やつらが、簡単に降伏したならば、浅井が反旗の知らせをすでに朝倉に伝えられているというあかしになる。われらは直ちに撤退しなければならぬ。北から朝倉二万五千、南から浅井軍二万五千、挟みうちになる。袋をネズミだ」


「殿はただちに、お逃げくだされ。殿しんがりはわれらが全うしますゆえ」

 秀吉が叫んだ。小六も大きく頷く。

「そうもいかんのだ。京への道、若狭街道の状況をまだ掴めていないのだ。行動に移すのは、様子をみてからにする」そう言って、利家を見詰める。

「イヌよ、そなたは、準備が整いしだい、われの傍に参れ、われを警護するのだ、京まで」

「はっ。仰せの通りに」


 三人は暗闇の中に消えた。


 ぼくは床几から立ち上がった。

 今宵は眠れそうもなかった。


「殿、竹中半兵衛でござる。お話が……」

 天幕の外から声がした。

「入れ」

 半兵衛が入ってくる。

 そして、ぼくの前でおもむろに片膝をつく。


「朽木元綱の件にございますが、奴はわれの親しき友にございます。気心の知れた間柄にございます。われが、浅井の居候をしていたおり、何度も彼とは接触をしておりました」

「ウム……」

「ことの成り行きで、奴は浅井の傘下に入っておりますが、決して心から組しておるわけではありませぬ。われが、出向いて説得してみせまする」

「そうか……。われを見逃してくれるというのか、それなら、それでいい」

「殿、それでは、ことが足りませぬ。京まで送り届けてもらわねば、なりませぬ」

「京まで……」

「おそらく、浅井長政は、琵琶湖西岸の野武士、一揆衆、百姓どもに、信長追討の号令を出しているに相違ありませぬ。やつらは、正規軍より悪賢く、手に負えないやからでございます。竹槍、鍬を持って、雲霞うんかのごとく押し寄せてまいりますぞ」

 

 ぼくは床几に腰を落とした。

「われが出向いて、必ずや、口説き落としてみせます」

「うん……」

「ただひとつ条件があります」


 ぼくは目の前の、半兵衛の顔を見詰めた。

「京に戻り、態勢が整いしだい、若狭街道に兵を進め、武藤友益を攻めていただきたい。浅井、朝倉に対し拳瀬し、朽木を守るためでござる」

「承知した。直ちにかかれ」

「はっ」

 

 半兵衛は立ち上がり、陣幕の外へ体を向ける。

「半兵衛、朽木の件が終わったら、金ヶ崎に戻り、サル、いや、秀吉に殿しんがりの策を授けよ」

「承知。わがあるじ木下秀吉。そして盟友蜂須賀小六殿を、決して死にはさせませぬ」

 半兵衛は陣幕の外に消えた。

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