129 金ヶ崎の退き口(3) 佐柿城での軍議 


 京から若狭街道を北上し、四月二十一日海津氏の田中城に着陣。

 さらに翌四月二十二日には、若狭の松宮清長の居城熊川城に着陣。清長は若狭の守護若狭武田氏の家臣で朝倉氏と対立している。若狭武田氏の当主武田元明はお家騒動により朝倉の一乗谷城に住まわされていた。


 四月二十三日栗屋勝久の居城佐柿城に着陣。勝久も清長と同じ立場にあった。このまま西に向かうと、友益のいる佐分利さぶり郷に入ることになる。

 朽ち木に出向いていた木下秀吉が合流する。秀吉の報告によると、朽木元綱は織田軍には協力するが、公方様の指示がない限り傘下には入らないということであった。

 この日、元号が元亀に改められた。新しい時代の幕開けである。


 翌二十四日は将兵に休養をとらせ、徳川家康、柴田勝家、森可成、池田恒興、坂井政尚、松永久秀、池田勝正らを佐柿城に集め軍議を開いた。

 

 公然と朝倉家の征伐を帝、将軍からの公認を得たわけではなかった。名目は将軍に反抗的な武藤友益むとうともますの討伐であった。友益は若狭武田家の家臣であり、石山城を居城にしていた。

 ぼくの腹つもりは、言いがかりをつけて越前に攻め込むというものであった。兵数を三万に抑えたのは、金ヶ崎の退き口の件もあったが、武田家攻略に大軍を率いるのは不自然だったからである。


「明日、東に軍を進め敦賀に入る。まず手筒城を手中に収め、尾根伝いに金ヶ崎城を攻め落とす」

 ぼくはそう言って腕を組み、配下の武将たちを見回す。


「信長殿、石山城はどうされるおつもりか?」

 池田勝正が尋ねた。

「朝倉を攻め滅ぼさなければ、武藤友益を叩いたところで、どうにもならぬ。だが、背後をつかれては面白くない。石山からの守りは、松宮、栗屋に委ねることにした。武藤など、後で如何ようにでもなる」


「殿、先陣はわれにお申し付けくだされ」

 森可成が言った。

「よかろう。柴田勝家、坂井政尚、池田恒興、そなたらも可成の後に続け」

「はっ」


 越前は平野部が多い。標高百七十一メートルの手筒山城は越前を守るうえで欠かせない要害である。その北には義景の従兄弟朝倉景恒の守る金ヶ埼城があり、そして南には枝城の疋田ひきだ城がある。

 これら敦賀郡の三城を下せば、一乗谷に向けて一挙に攻め込むことができる。


 軍議の後、ぼくは寝所に木下秀吉、明智光秀、池田勝正を呼んだ。

 三人はぼくの前で胡坐をかく。

「明日、手筒山を攻める。その後金ヶ崎城を総攻撃する。金ヶ崎城をわれらの物にした暁には、秀吉、光秀、勝正、そなたらが城に入り、守りを固めよ。金ヶ崎城から、周囲を固めるのだ」

「お任せを」

 三人は口を揃えた。


 翌二十四日早朝、織田軍は東に進み敦賀郡に入った。

 森可成軍が気勢を上げて手筒山に向かった。ここは、ぼく直属の配下たちの戦ぶりを見せつけるところである。

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