128 金ヶ崎の退き口(2) 越前攻めに向けて
二月三十日入京し、三月一日に衣冠を整えて参内、帝に御太刀、御馬を献上する。村井貞勝らに命じていた禁裏の修理は終えていていた。さらに先の信長触状によって徳川家康、北畠具房ら諸国の大名が上洛し朝廷に礼参している。帝はお喜びであった。
その日、ぼくは幕府にも参内し、足利義昭を訪問した。
大広間で、ぼくは義昭と二人だけで顔を合わせた。二人だけの密談である。
「ノブナガっ。おまえは六天魔王を名乗っているそうだな。六天魔王に会ったことがあるのか? わしは会っておるぞ。話もした。おまえは六天魔王ではない。畏れ多いではないか」
「ウム……」
「六天魔王と交渉し、この天下を有名無実とも、わしの物にすることにした。信長、今のうちに、わしに従っていたほうがいいぞ」
義昭はそう言い放つと、ぼくを見詰めて目尻を吊り上げた。
そうか。やはり、武田信玄、朝倉義景らと組んで、われの包囲網を築こうとしているという情報は誠であったのか。
「朝倉義景は、京に参内するであろうか。もし。参内することがあらば、われは即座に
ぼくはそう言い返して、笑みをつくってみせた。
翌日、京の宿舎にしていた二条衣棚の妙覚寺に徳川家康と松永久秀を呼びつけた。越前攻めを伝えるためである。ぼくに付き添っているのは、帰蝶だけである。
「久秀殿、朽木の件はどうであった?」
太田牛一を通じて依頼していた件について、開口一番尋ねた。久秀は顎に手を添えてぼくを見詰めた。
「……それが、なんとも、言葉を濁しておりまして」
「何故だ、わけでもあるのか」
「信長殿の力は十分承知しておりましたが、どうするか判断しかねておるようにございます。一つに、今は浅井家の傘下に入っていること、一つに公方様への気兼ねがあるためにございましょう」
「ウム……」
「公方さまの一筆がありましたら、おそらく……」
「分かった。ならば、仕方あるまい」
ぼくは溜息をついて天井を見上げる。そして話を変える。
「もし、朝倉義景が、公方様の命を軽んじて参内しなければ、われは越前朝倉を討伐するつもりだ」
「朝倉を……」
家康が呟いた。
「朝倉は、武田信玄と組んで、われらを包囲する腹積もりらしいのだ。そなたたちも、この戦に参陣してもらいたい。いかがか?」
事実上の配下になっていた二人に水を向ける。
「勿論でござる。われは信長殿と一心同体でありますゆえ」
家康が即答した。
「われも」
久秀も慌てて同意した。
「それで、陣立てはいかほどに?」
家康が尋ねる。
「織田は、二万、その他併せて総勢三万ほどだ」
「南伊勢討伐八万に比べ、少ない陣立てでございますな。朝倉は、おそらく三万近い軍勢で待ち構えるにちがいありませぬ」
それは十分承知している。
金ヶ崎から撤退することになれば、被害が甚大になるし、より大混乱に陥るであろう。そのことを、この二人に、今ここで説明することなど出来るはずがない。
「京の警護と称して、四月上旬までに陣立ての準備をしてもらいたい」
「はっ」
二人は
四月十日、五人の仲間を妙覚寺書院に集めた。話は朝倉攻めについてである。
「越前朝倉攻めの準備が整った。後は、義景が二十日までに参内しなければ、軍を越前に進める。何か、気になることがあれば、申せ」
「殿」帰蝶が口を開いた。
「殿が、浅井長政殿と交わした約束ごとは、どうなります」
「約束……」
「浅井家と同盟を交わした時の条件にございます。朝倉を攻めない、攻めることがあらば、事前に相談するという条件にございます」
「ウム……。それは、古い話だ。気にしなくてもよい」
「ただ、お市さまの立場が辛いものとなります」
帰蝶の言葉で、場の雰囲気が静まり返ってしまった。
ぼくは腕を組んで天井を見上げた。
「仕方あるまい。やらなければ、歴史が進まない。本能寺に辿り着けないのだ」
「殿、朽木の件は如何なりましたでしょうか」
牛一が話題を変えた。
「松永久秀が調略を試みたが、うまくいかなかったようだ」
秀吉が口を挟んだ。
「それならば、われが、口説いてみましょう。われに、千の兵を任せてくだされ。調略してみせます」
「そなた……、もしや」
秀吉がにやりと笑った。勘のいい男だ、気付いたのかもしれない。ぼくがこの戦の顛末をすべて知っていて、手を打っているのではないか、と。
「よし、サル、そなたに任せよう」
「有難き幸せ」
四月十九日、浅井家の居城小谷城に張り付かせていた権六から知らせが入った。朝倉景義、浅井長政に動きなし、と。
翌四月二十日、ぼくは朝倉征伐軍全軍に陣触れを出した。
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